653.Episode Angel:Me enamoré de nuevo.
前回のあとがきであと一話程と言いましたね。あれは嘘です。アンヘル視点、あと二話ございます。
五百年ぶんの記憶と辛苦は想像を絶するものだった。
今まで失ってきた俺の亡霊が──深淵から這い出てきた真っ黒な手が、身体中に張りついて、愚かな俺を更なる地獄へ引き摺りこもうとする。
傷口を爪で抉られるように痛い。顔を圧し潰されているかのように痛い。足を削られているように痛い。血脈という血脈の全てを虫が這ったように痛い。喉に溶岩を流し込まれたように痛い。心臓を滅多刺しにされたように痛い。
失った筈の痛覚が嫌がらせのように蘇り、真っ暗な世界で俺は声が出なくなる程叫んだ。体が痙攣する程もがき苦しんだ。だが、どれだけ叫んでも誰も助けてくれない。……当たり前だ。ここは俺の精神世界なのだから。
これは、あくまでも過去の再演にすぎない。これまで忘れてきたあらゆる苦痛と記憶を最初から再演していくことで、俺はそれらを思い出せる。
ならば、耐えるしかない。
どれだけ辛く、苦しくても。今の俺には願いがある。生きたいと思える理由がある。あの時のおれとは違って、今の俺には“生への渇望”がある。
だから、耐えてみせるさ。
かつては逃げ、そしてずっと目を背け続けた五百年に及ぶ艱難辛苦の再演──。絶対に、最後まで舞台の上に立ち続けてやる。この世の何よりも無様で醜いプリンシパルとなって、他ならぬ俺がこの最悪の舞台の幕を下ろしてやる……!
♢
体感にして五百年。現実では大した時間は経っていないだろうが、俺は確かにその時間を耐え抜いた。これまでの人生を振り返り、本来与えられる筈だった辛苦を今ひと纏めで一心に請け負う。そんな、五百年ぶんの劇の幕切れは呆気ないものだ。
『……まぁ、当たり前か。だってまだ俺の人生は終わってねぇんだから』
掠れた声で呟く。舞台の上には、俺一人。滂沱のごとく汗を流し、息も切れ切れに、酷い顔色でなんとか立っている。
観客席を見渡せば、これまで俺が犠牲にしてきたらしい無数の俺の姿が在った。我が顔ながら、随分とふてぶてしい様子でこちらを睨んでいる。
『悪りぃな。今まで俺を守る為に生まれては死に続けてきたってのに。今になって全部俺が一人でなんとかするとか言い出して、腹立ってんだろ』
俺は何も言わない。ただ黙ってこちらを睨んでいる。
『でもさ。俺、思い出したくなっちまったんだ。こんなのバカバカしいって思ってたのに……もうこれ以上、何も忘れたくねぇ。この記憶も、感情も、苦しみも。全部俺のものだから』
最前列に座るおれに向け、俺は胸に手を当てて深く背を曲げた。まさに、舞台役者のように。
『これからは俺も頑張るから、見守っててくれ。──今まで、本当にありがとう』
顔を上げ、俺は告げる。
『呪われた吸血鬼の舞台はこれにて閉幕。ここからは──……恋に溺れた馬鹿な男の舞台の幕開けだ』
ようやく取り戻せた懸想と思い出を抱え、俺は自ら、あの眩き光の下へと足を向けた。
♢
目覚めた俺は、よくわからないままにミカリアの手伝いをし、よくわからないままに大事件の終息──その渦中に立っていた。
どうしても会って話したかった女は死にかけたとかで眠ってて、起こす訳にはいかないし。そもそも記憶を改竄されていた期間のことを考えると、妙に顔を合わせづらい。
とにかく日を改めようと、後日ミカリアが彼女の下へ向かおうとしていた時に便乗した。一応見舞いという名目で訪ねたのだが、彼女はわりと元気そうで安堵したとも。
ここ暫くのことを謝罪し、見舞いの品も渡して、さあ彼女と話すぞと意気込んだ俺を阻むのは、ミカリアだった。奴がそれはもうずっと話していて、俺が話す隙を与えてくれなかったのである。
まあ……彼女が笑ってる姿を見られたから、ギリギリ許してやったんだがな。
それ以降は、辺境伯としての仕事やデリアルドとしての仕事が重なり、中々彼女に会いに行けずじまい。
だが俺はどうしても彼女に会いたかった。ので、手土産片手に東宮に向かいつつ、屋台スイーツなるものを楽しんでいた時。
『んむ。王女様じゃん』
『アンヘル! 久しぶりね』
彼女とばったり出会った。心の準備が出来ておらず、俺はまた彼女の名前を呼びそこねた。しかし、穏やかに笑いながら俺の名前を呼んでくれたものだから、俺の心臓は不整脈を打つ。
彼女の後ろには執事のみ。一国の王女が街を出歩くにしてはあまりにも護衛が少ない気もするが……好都合だな。
どうやら彼女は暇しているようなので、せっかくならと逢引きに誘ってみた。祭りを回る予定は特にないのだが、言葉の綾というものだ。
『別に構わないけれど……相手が私で本当に大丈夫なの?』
『おう、王女様じゃないと駄目だ。そもそもあんた以外を誘うつもりは初めから無かったさ』
『え?』
片手で両方掴めてしまいそうなぐらい、柔く細すぎる骨のような手首を掴み、
『それじゃあ早速行くぞ』
『あの、行くってどこに……?』
『そりゃあもちろん──……』
彼女の気が変わらないうちに目的地へと連れて行く。掴んだ手首から伝わってくる彼女の脈拍が僅かに指に響くのだが、それがまた心地よくて。このままずっと握っていたいと思ったのだが……想定よりも早く、目的地に到着してしまった。
後ろ髪を引かれる思いで手を放しつつ、俺は意気揚々と告げる。
『──スイーツバイキングだ!』
噂を聞いてからというものの、絶対に彼女と行こうと決めていた甘味の楽園。そこに俺は、ついに彼女と共に足を踏み入れたのだ。
二人きりというわけにはいかなかったが、軟弱な執事は一時間もすれば胃もたれで脱落。実質俺と彼女の二人で、スイーツバイキングをとことん堪能していた。
その最中。俺は彼女と過ごせた幸福から、勢い余って変な言葉を口走ってしまった。