649.Date Story:with Angel
前回からの引き続きではございますが、アンヘルとのデート(?)回がはじまります。よろしくお願いします。
頼みがある。と意味深に切り出して、アンヘルはカトラリーを置いてから続けた。
「…………。俺は、ずっと、楽になりたかったんだ」
「……うん」
「でも、おれには許されなかった。理由も分からず絶望の底まで叩き落とされて、二度と這い上がれないよう絶え間なく痛みと苦しさが降り注いで。終わりの無い責苦のなかで、ただずっと死にたいと思っていた」
どこかニュアンスの違う、『俺』。それには、彼がこれまで背負ってきた苦しみが詰め込まれているように感じた。
「でも、俺は死ねなかった。体中に変な痣が出来ても死ねなかった。内臓全部が捻り潰されても死ねなかった。血脈が破裂しても死ねなかった。骨が砕け散っても死ねなかった。……そりゃそうだよな。だって俺は、この世界で最後の吸血鬼だったんだから」
「……どんな種族でも、最後の一人になったら情報保存の為に世界から生存を保証される。ってやつだよね」
「ああ。俺は最後の吸血鬼だ。だから絶対に死ねない。──でもさ。それって裏を返せば……最後の一人でさえなくなれば、俺だって死ぬことができたんだよ」
でも、そうしなかった。アンヘルはそうすることなく、五百年も忘却という孤独の中で生きていた。
でもどうして? と疑問に思うと同時。アンヘルは両の手を握って、顔色を暗くした。
「…………おれさ。夢が、あったんだ。いつかあの閉塞的でクソみてぇな世界から出て、母さんと二人で、毎日甘いモン食って平和に暮らしたかった。──そんな夢はとっくに忘れていたのに、どうにも諦められなかったらしい。だから俺は……この五百年の間、死ななかったんだ。情けねぇよな、覚えてもない夢の為に一生苦しみ続けてたとかさ」
最後の一人でなくなればすぐにでも自殺してしまう自覚があるから、ずっと、孤独であり続けていたということ?
忘れてしまった夢を諦めきれずに、忘却に囚われ苦しみながら、五百年もずっと……。そんなの、あまりにもアンヘルが報われないじゃない……!
やるせない気持ちが膨れ上がって、どんどん目頭が熱くなってゆく。
「……ふ。やっぱりあんたは優しいな。思ってた通り──いや、思っていた以上に、俺に寄り添ってくれるようだ」
そう呟いたアンヘルの顔には、ひどく甘ったるい微笑みが浮かんでいた。
「なあ王女様。さっき、頼みがあるって言っただろ? 何も難しいことじゃない。なんなら今ここで、できることだ。だから俺の頼みを聞いてくれないか?」
「……私にできること、なら」
「ありがとよ、王女様」
一呼吸置いて、アンヘルは続ける。
「──『おまえもきっと幸せになれる』って、言ってほしい。こんな、死に損ないの吸血鬼だけど……他ならぬあんたの口から、そんな希望を貰いたいんだ」
予想外の頼みに、思わず息を呑んだ。
だってそれは。その言葉は。私がかつて一番欲していたものと、同じだったから。
その欲望を口にするのにどれだけの勇気がいることか。虚しくて無為な人生であったと認め、それでもなお希望を求めることの辛さは、身に染みている。
幸せになりたいと思っていても、心のどこかでは、どうせ私には無理だと諦めていた。『幸せになりたい』だなんて果てのない希望を星に願って、その度にまた絶望する──その繰り返しで、いつしか願うことすらやめてしまいそうになった。
だからこそ、アンヘルに言わなきゃいけない。
私自身、かつてその言葉に救われたから。『君は幸せになれる』と他人から言ってもらえて、心から救われる思いだったから……!
「なれるよ。絶対に、貴方も幸せになれる。誰にだって幸せになる権利があるの。だから絶対、絶対に──アンヘルが幸せになれる日が、いつか必ず訪れるわ。何があっても貴方は幸せになるって、私が保証する!」
アンヘルにも救われてほしい。その一心で、涙を蓄え、心のままに、この感情全てを詰め込んだ言葉を吐き出した。
私を救ってくれた──……夢や希望に溢れた、世界で最も美しい綺麗事を。
どうか、貴方の心をも救ってくれますようにと。貴方が心から幸せになりたいと思ってくれますようにと。そう願いながら口にした。
「…………あんたって、本当に……」
一瞬、目を丸くしたアンヘルと目が合ったかと思えば、彼はすぐに俯き黙り込んでしまった。
私なんかの言葉では駄目だったのだろうか。やはりミカリアやミシェルちゃんでなければ、アンヘルの心を動かすことなど不可能なのかもしれない。
不甲斐ないな。私が悪役王女にすぎないばかりに、同じ苦しみを抱えた人を助けることすらできないだなんて。
「──ありがとう、王女様。やっぱりあんたに頼んでよかった。こんな俺でも……幸せになってもいいんじゃないかって、そう思えてきた」
「っアンヘルはとっても素敵な人よ! 貴方がなんと言おうが貴方は幸せになれるし、貴方はもっと報われるべきだって、私は思うわ」
「くくっ。俺のことをそんなふうに褒めるの、王女様ぐらいだぜ? 俺のことで泣いてくれるのも……今となってはあのバカと、あんたぐらいだよ」
また微笑んで、彼はおもむろに手を伸ばしてきた。彼の青白く骨ばった指の背が、私の目元に優しく触れ、涙を攫っていく。
「……──本当に、おれも幸せになれるみてぇだ」
まるで、ゲームで見たアンヘルルートのハッピーエンドのよう。彼は、少年のようにあどけない笑顔を浮かべた。
──ずっと忘れていたのであろう、遠い過去を取り戻したかのように。
あの言葉で彼を救えたのだろうか。彼の心を、少しでも助けられたのだろうか。……だとすれば、これに勝る喜びはない。
「あんたのこと、信じてよかった。本当にありがとな、アミレス」
「ぅえっ? え、えぇ。役に立てたのなら、何より、です……」
突然名前を呼ばれ、声が裏返ってしまった。
「ほら。もう泣き止んでくれ。俺はあんたの笑った顔が…………。──うん。けっこう気に入ってるんだ」
「わ、わかったから……人の顔をむにむにしないで……?」
アンヘルはとても楽しそうに、大きな両手で私の顔を揉みくちゃにしている。
……あの言葉が、彼の心が救われるきっかけになってくれたのかな。そう願ってはやまないぐらい、随分と晴れやかな表情で彼は楽しそうに笑っている。
それならば、まあ……少しぐらいはアンヘルのおもちゃになってあげてもいいのかもしれない。
「ぐ……っ、主君のお顔に許可なく触れるなど……!」
「執事、無理はするな。もし無理をして、一度食べたスイーツを吐き出した日には──俺はおまえを殺す」
「めちゃくちゃだ……ッ!」
「だから大人しくしておけ。アミレスには今から許可取るから」
私の頬をむにむにしながらアルベルトを一瞥し、彼はまたこちらに視線を戻した。
「そういうわけだから。いいよな、触っても。あんたの頬、もちもちのスイーツみたいで触り心地がいいんだ」
「左様で……。それは別にいいのだけど、お化粧が崩れないようにしてね」
「おー」
短く返事をして、彼は楽しげに私の頬を触り続けた。
昔からハイラをはじめとした侍女たちが頑張ってくれている為、私の肌はもちもちたまご肌だ。それがどうやらスイーツ狂いの彼に刺さったらしい。
すぐ傍に衝立があってよかった。あれがなければ、アンヘルとの戯れが社交界で瞬く間に噂となってしまうところだった。『落ち着いて楽しんでいただけますように』と、あの短時間でここまで手配してくれた運営スタッフに感謝しかない。
あとで、給仕達にチップを渡しておこう……。