646,5.Interlude Story:Friezacea
陛下とエンヴィーは不可解だ。彼等がこの数年間彼女と関わる際は、非常に仲睦まじくスキンシップなども頻繁に行っていたというのに。
何故、俺がその距離感を参考にしただけで、こうも糾弾されなければならないのか。理解し難い。
確かに俺の体は血も通わぬような冷たさで、ディアルエッドをはじめとした水の精霊達からは『触ったら凍死する』と敬遠されているし、水の精霊どころか大抵の精霊から、『近寄るだけで肌寒くなるからマジで無理』と腫れ物のように扱われているが……人間界では、それ用に規格を落としてほんの少し体温が低い(およそ十五度)程度にまで抑えたというのに。
一体何が問題なのだろうか。我が子達──エリドルも、カラオルも、フリードルも、日常生活を滞りなく送れている。今までとて、彼以外の子達は氷の魔力を待とうが皆たいした問題も無く、水の魔力を持つ人間と共存していた。
ならば俺が彼女に触れても問題はないだろうに。
陛下とエンヴィーがここまで目くじらを立てる理由が、まったく分からない。
『───あなたには、やはり何も分からないんだな』
ふと。かつて、似合わない銀髪を持った男に突きつけられた言葉を思い出した。
『───氷そのものである、あなたはきっと……永遠に理解できないだろう。この、何よりも尊い感情を』
そうだな。君の言った通りだ。俺は、八百年経ってもそれが分からないままだ。
ずっと君の子孫を……氷の子達を見てきたが、それでも、ただの一度も理解は及ばなかった。
遠き友よ。そんなにも、その感情は素晴らしいのか? 君も君の子孫も、皆等しくそれに生きていたが……やはり、俺にはよく分からなかったのだ。
ライナリーバ・フォーロイトよ。『愛』というものは──いったい、どんな感情なんだ?
「……──おい、聞いてるのかフリザセア。ボクの話を無視するとはいい度胸だな」
「申し訳ない。少し、考えごとをしていた」
「説教中に考えごとするなよ。お前ってホントに、割と我が強いよなー」
相変わらず、陛下は不機嫌だ。彼が不機嫌であることは日常的な現象である為、こちらは特段気に留める必要はない。
そもそも俺が怒られている理由が分からない以上、説教など聞く気にもならない。真面目に聞いたところで原因が分からないのだから、はじめから聞き流していた。
よって、考えごとの有無に関わらず、俺は彼等の説教の内容をまるきり聞き流している。特筆して言うつもりはないが。
「はぁ……ところで。お前、アミィのことをずっと見守ってたとかいうの、本当なのか?」
「ああ。彼女が母体にその魂を宿した時から、ずっと見守っていた」
「そうなのか──って、え? 受胎時点から見守ってたの? 流石に気持ち悪すぎるだろ」
「ただ見守っていただけだが」
「それが余計気持ち悪いんだよ。知ってるか? 人間界にはストーカーって言葉があるらしいぞ」
「ストーカー…………」
その意味は分からないが、貶されていることはなんとなく理解できる。
「でもなんで……いや、どうやって、そんな早い段階から姫さんに目ぇつけてたんだ?」
目をかける、と言ってほしい。
「……彼女の魂が形を得たその瞬間、魔力が溶けた。氷の魔力が発芽したその瞬間に枯れ、水の魔力が芽生えたのだ。これで気にするなという方が、無理があるだろう」
「……マジ? 姫さんの魔力って初めから水だったわけじゃなくて、氷が宿ったうえで、水に変化したってこと?」
「そうだ。人間に氷の魔力を与えてからおよそ八百年経つが、このような事例は未だかつて見たことが無い。前代未聞の事態故、彼女は特に目をかけるべきと判断したんだ」
あの時は流石に狼狽えた。ディアルエッドと共に何十通りもの可能性を考えたが、結局正解は分からずじまい。その一年後にまた前代未聞の例外が発生して、ディアルエッドと共に頭を抱えたのが、懐かしく思えてくる。
「……それが理由で、アミィのことをずっと見ていたのか。どうりで、ここ十数年はお前に仕事を振るとありえない速さで終わらせて帰宅する訳だ」
「彼女を見守るので忙しいのでな。……陛下が彼女に接触した時は、流石に本体を殴りに行こうかと逡巡したものだ」
「おい、お前今なんて言った?」
「いえ何も」
白々しく目を逸らすと、陛下は据わった瞳でこちらを睨んできた。
異常事態に巻き込まれ持つべきものを持って生まれず、苦労ばかりの少女。それでも決して挫けることなく懸命に日々を生きていた彼女を、あろうことか陛下はこちら側に誘った。あまつさえ、その終末と運命までもを狂わせたのだ。
こればかりは腹に据えかねる。いくら陛下が相手でも、一言文句を言ってやらねば気が済まない。そう思ったのだが……陛下の加護により彼女が健康になったことも、陛下とエンヴィーの教えで多くの危険から身を守る術を得たことも、紛れもない事実。
現時点では彼女に目立った不利益が無い為、一度は見逃すことにした。
「しっかし、なんで姫さんの氷は溶けちまったのかねぇ……?」
少し離れた場所にある執務机で楽しげに絵を描いている彼女を見遣り、エンヴィーが後頭部を掻く。
それこそ、俺達が一番聞きたいことだろう。魔力の変質がそも稀な事象であるにも関わらず発生した、正真正銘前代未聞の事件なのだから。
「他の連中……ほら、姫さんの兄とか、父親とか、親戚っぽい奴とか。あの辺はそういう異常、何も無かったのか?」
「ああ。彼等はごく普通に氷の魔力を持って生まれた。中でもカラオルの魔力変換効率は目を見張るものがあるのだが、本人にまったく使う気が無いようで、滅多に日の目を見ることはない」
「カラオルって誰……?」
「さあな。あの布男じゃないの、消去法で」
陛下達はカラオルとも接触した事がある為、彼が氷の魔力所持者であることも当然把握している。なにしろ精霊というものは、一目見れば相手の持つ魔力炉の色が分かるのだ。
「まあいいや。フリザセア、特別にアミィの近くに居ることは許してやる。お前の知識や経験はあの子の役に立ちそうだからな。──だが、過度の接触は厳禁だ。いいな?」
「善処する」
「『善処』じゃない。徹底しろ」
「善処する」
陛下になんと言われようが、元より人間界に留まるつもりでいた。だがこうして直々に許可が下りたとあれば、多少の勝手も目を瞑ってもらえよう。
……そういえば。陛下が彼女と接触した、あの日の前日。魔力炉だけでなく、彼女の魂までもが変質していたのだが……まあ、言わずとも良いか。
彼女がどのような存在であろうと、俺が守るべき孫娘であることに変わりはない。その事実の前では──彼女の正体など些事なのだ。