643.Side Story:Kile
「……──ん、俺、いき……てる……?」
ゆっくりと目蓋を押し上げると、視界の端で白いものが揺れた。
「やっと起きた。おはよう、カイル。リードさんが治癒魔法を使ってくれたんだけど、調子はどうかしら?」
「────。……おー。助かったわ、サンキューな」
広めのソファだったからだろうか。眠る俺のすぐ傍に座り、アミレスは新聞を読んでいたらしい。
こちらに気づくやいなや、新聞を机に置いて、アミレスは手を伸ばしてきた。
「それで。一体何があったの? 貴方程の人があそこまでボロボロになるだなんて……危険な組織に目をつけられたりしてないでしょうね?」
眉を八の字に下げ、俺の頬を撫でるように触れる。少しばかりひんやりとしたその手が無性に心地よくて、頬を擦り寄せてみた。
「んー……まあ、色々あったんだよ。ヤバいのに関わったとかそういうのではないから、そこは安心してくれ」
ある意味ヤバい奴ではあるが。これ以上心配かけたくないからなぁ、適当に誤魔化しておこう。
「何一つとして説明になってないわよ。まったくもう……私ばかり問題児扱いされるけど、カイルだってじゅうぶん問題児じゃない。私だけ問題児だって注意されるの、やっぱり不本意だわ」
「ははは。自分の胸に手ェ当ててもろて」
「……随分と元気なお口ですね〜」
「いひぇっ、ほへひょーにんなんらへろぉー」
軽口を叩けば、アミレスはムッとした表情で両頬をつねってきた。我が親友様は、目覚めたばかりの怪我人相手にも容赦がないらしい。
……──。……いいな、これ。目が覚めて一番に目に入るものがコイツの顔なの……なんか、理想の幸せって感じがする。
何せ、もう俺は一生、コイツ以外の女に触れられないし触れられたくもないのだ。この一生涯においては、アミレスが俺にとってあらゆる意味で唯一の女であってくれれば、それでいい。
これからの人生全てをアミレスに捧げるから、俺が死ぬまでアミレスには俺を導く星で在ってもらう。それが俺の望みだ。
「──なあ、アミレス。俺もここに住んじゃ駄目?」
「え? 流石にそれは無理よ。貴方、ハミルディーヒ王国の王子だって自覚を待ちなさいよね」
「駄目かぁ」
断られてしまった。まぁ、当然か。一応俺はハミルディーヒの王弟殿下ってやつで、アミレスはフォーロイトの王女様だ。一緒に住んだりした日には、特大スキャンダル間違いなしだろう。
「……あー、やっぱりそれしかねぇのかなぁ。でもなぁ、推しカプには幸せになってほしいからなぁ」
「急になんの話……?」
「お前と一生一緒にいる方法、やっぱ結婚しかねぇのかなーって。まぁ、お前と一緒に暮らしたら、毎日楽しそうだなと思っただけ」
「それはどうも……。でも私、結婚するつもりはないよ?」
「マジ!? え、ガチめに困るんだけど」
「なんで私が未婚志望だと貴方が困るのよ」
理解し難いとばかりに首を傾げているが、それは本当に困る。俺はマクアミの挙式に参列するまで死ねないんだが?!
っと、そこでふと、矛盾が生まれる。
…………俺は確かに、マクベスタとアミレスが結ばれるまで死ねないけど、でも、いざマクアミが成立したら──俺はどうすればいいのだろうか。
たとえ誰かだけのものになったとしても、アミレスが俺の星であることに変わりはないし、俺の人生全てをコイツの為に使うことにも変わりはないだろう。
でも、アミレスが誰かと結婚したら……一生一緒、というわけにはいかなくなる。当然だ。結婚したのにただの親友を優先する奴がどこにいる、って話。
コイツには俺を生かした責任を取ってもらわなければならない。だから、コイツと一緒にいられなくなるというのは、俺としちゃあ大事件だ。
だが、アミレスには幸せになってほしい。あわよくば推しとハッピーエンドを迎えてほしい。
でも────。
「……ああ、そうか。これっていわゆるアレなのか」
「? さっきからどうしたの。もしかして脳に何か異常が……?」
言って、アミレスは不安げに俺の頭を触ってくる。
基本ツンツンしてるけど、なんだかんだ優しいし、身内には激甘だし、たまにこうしてデレる感じ……まるで猫みたいだな、コイツ。
小さく笑い、高潔な猫様──もといお姫様に向け、俺は実に情けない言葉を吐く。
「俺のこと、絶対に捨てないでくれよ。俺はお前がいないと生きていけなくなったんだから、責任持って最期まで俺を生かし続けろよな」
……──結婚しようがしまいが、俺を一番に必要としてほしい。俺の存在価値であり続けてほしい。俺の存在意義を定めてほしい。俺をお前の唯一でいさせてほしい。俺をお前の特別でいさせてほしい。
そしてどうか──どうか。俺が、お前の為に生きているように。俺を、お前の生きる理由にしてほしい。
俺の人生を寄越せと言ってきたんだ。なら、お前の人生も俺にくれよ。俺を生かした責任を取って、一生を懸けて俺を生かし続けてくれ。
「え? まさかのヒモ宣言? 貴方一人養うぐらいなら、今のところ大丈夫とは思うけど……そんな堂々とヒモ宣言しないでよ。人として情けないわよ」
「一旦辛辣か。でも養ってくれんだ?」
「まあ……親友ですし。というか、捨てるって何よ。まるで私が人を捨てるみたいな……」
「ものの例えってやつだよ。そう怒んなって」
遺憾と書かれた顔でアミレスは唇を尖らせる。
分かってるよ。お前は『俺』の親父とは違う。縋る息子を見捨てたあの男とは違うって分かってる。でも、ちゃんとお前の口から聞きたかったんだ。
──『お前』は『俺』を決して捨てたりしない、って。
そう、安心したかったんだ。俺にはもう……お前しかないから。お前に縋って、依存して、この生涯を捧げる。そんな、糸に繋がれた人形のような生き方しか、『俺』にはもう、できないから。
だからどうか『俺』を必要としてくれ。『俺』を見て、『俺』とずっと一緒にいてくれよ、アミレス。
「──俺、こんなにメンヘラだったかなぁ……。お前のせいだぞう、アミレス。お前のせいで俺はメンヘラになっちまったらしい」
「えぇ……? 身に覚えのない冤罪で意味不明な責任転嫁された……。だいたい、貴方のどこがメンヘラなのよ」
「ははっ、ヘラっていいなら全力でヘラるけど?」
「これ以上悩みの種を増やさないでくださいお願いします」
齢十五にしてとことん苦労しているからだろう。アミレスは切実に訴えかけてきた。
「…………うーん。貴方、さっきから変よ。やっぱり頭に何か異常が……!?」
心配してますと言わんばかりの顔で、アミレスは俺の顔を覗き込む。
マクベスタ相手にあれ程緊張していた女が、こうして、一切警戒することなく無防備に顔を寄せてくる。
つまり、信頼されているということだ。他の誰かではきっと成し得ないこの距離。鼻でキスだってできるこの距離は、きっと俺にしか許されていないものだろう。
願わくば。どうか……今までもこれからも、俺だけがこの距離を──……コイツとの最上級の信頼関係を、許されますように。
「だーかーらーぁ、大丈夫だって。めっちゃ元気よ、俺。お前はホントに心配性だな〜〜」
「本当でしょうね? 嘘ついてたらぶん殴るわよ」
「物騒だなオイ」
この空気感が何よりも心地良い。
だからさ、『みこ』。ハッピーエンドのその先も──……『俺』と、一生一緒にいてくれよな。
別れ話なんて絶対聞いてやらないから。覚悟しておけよ、親友。