62.一通の報せ2
「おねぇちゃん? おーい、おねぇちゃーん?」
「っはぁ!? 突然の胸きゅんシチュに脳がキャパオーバーしてたわ……」
「きゃぱ……なんて?」
「いやなんでもない気にしないで」
シュヴァルツの声でようやく現実に引き戻された私は、太鼓でも叩いてるのかってぐらいうるさい心臓を落ち着かせる為に何度か深呼吸する。
現実逃避から戻った際に変な事を口走ったが、まぁ大丈夫でしょう。完璧に誤魔化せたし。
手紙と食料の手配はもう済んだ体でいよう。次は現地で手洗いうがいを広める事と、治癒をする事……そして感染方法と草死病の発生源の究明。
それを明らかにしない限り、例え今、首の皮一枚繋がろうとも後々第二波第三波でトドメを刺される事だろう。
この三つの項目は実際にオセロマイト王国にまで行かないと不可能だ。
「……よし、今からケイリオル卿の所に行くわよ。長期間外出する事になるから、それについて伝えておかないと」
流石に無断で暫く皇宮を空けては、大なり小なり問題になりかねない。だからこそケイリオルさんに一言残しておいた方がいいだろうと思ったのだ。
私の発言を聞いて、頬に冷や汗を滲ませるマクベスタが恐る恐るとばかりに口を開いた。
「お前、まさか、オセロマイトまで行くつもりなのか……?」
「えぇそうよ」
そう返すと、マクベスタはぎょっと目を見開いた。
突き動かされたようにこちらまで駆け寄って来たかと思えば、私の両肩を鷲掴みにして必死の形相を作る。
「今のオセロマイトは危険なんだ、お前だって病に罹って死んでしまうかもしれないんだぞ!?」
目と鼻の先にマクベスタの顔が見える。いつも眩しいと思っていた翡翠の瞳が、悲痛に歪んでいる。
「それは貴方だって同じよ。貴方、あの手紙を見た瞬間……絶対一人で帰ろうと思ったでしょう」
「っ!?」
驚愕するマクベスタ。彼の性格からして、こんな報せが齎されてじっとしている筈が無い。
「お見通しよ、それぐらい。でも貴方一人が行った所で何も出来ないでしょう? 病にだって罹る可能性があるじゃない」
「……っだが! 今もなお祖国が危機に晒されていると言うのに何もしない訳には!!」
マクベスタは今、冷静さを欠いている。そりゃああんな手紙が送られてきたら誰だって冷静じゃなくなる。
冷静だろうが冷静じゃなかろうが、彼が一人で国に戻った所で出来る事なんてたかが知れてる。
このままではマクベスタが無駄に犠牲になるだけだ。
「だから私が動くのよ! 私なら、まだ何とか出来る可能性がある!! 貴方一人じゃ無理でも、私の力があればまだ何とかなるかもしれない。例えマクベスタが私を拒否したとしても、私は自分の意思でオセロマイト王国へと向かう。誰かが不可能だと言っても、私は可能な限り足掻いてみせる!」
こうなると知っていたにも関わらずここまで何も出来なかった事への贖罪。
破滅を見過ごせないと言う私の残り数少ない人間らしい感情の衝動。
いつかの未来でやるせない表情で哀しみを語るマクベスタを救いたい偽善。
これは、そんな自分勝手なものでしかないのだ。
「……そういう訳だから、私はこれから長期外出の許可を取ってその足でオセロマイト王国へと向かう。貴方はどうするの、マクベスタ?」
私の肩を鷲掴みにしていた彼の手からは力が完全に抜け、重力に従うかのようにぶらりと垂れ下がっていた。
しかし程なくしてその手に力が入る。震える程に強く握られたその拳は、まるでマクベスタの決意の程を物語っているかのようだった。
「……オレも一緒に行かせてくれ。お前の言う通り、この状況でオレに出来る事なんて何も無い。だけどそれでも、祖国を放ってはおけないんだ」
俯くマクベスタからそんな思いが聞こえてくる。
「他国の……それも王女たるお前にこんな事を頼むのはどうかと思うが、だが頼む……っ! オセロマイトを、オレの国を救ってくれ!!」
目の前でマクベスタは深く頭を下げた。彼の切実な願いに、私はある台詞を思い出した──『オレには、帰る家が……もう無いんだ』……今から数年後の彼が言う事になる筈だった、悲しい言葉。
だが私はそれを許さない。絶対に、マクベスタにこんな事を言わせない。
「──任せて。貴方の帰る家は、私が絶対に守ってみせるから」
まだ何とかなると決まりきった訳では無いが、私が何とかするのは確定している事だ。
だからこそ私は宣言しよう。もう後戻りなんて出来ない……まぁ、するつもりもないけどね。
絶対に後には引けなくなってしまったんだ、これはもう、私の命を賭けてでもやり遂げてみせる。
「……おねぇちゃんおねぇちゃん、それぼくも行っていい?」
その時、突然シュヴァルツが私のドレスをくいっと引っ張り、上目遣いで見上げてくる。
「え? いや、でも危ないよ?」
「ぼくねぇ、すっごく健康なの。だから病気なんてへっちゃらなんだ!」
「そ、そうなんだ……危ないから絶対に私から離れないって約束出来る?」
「うん!」
多分駄目って言ってもこの子は駄々をこねるだろうからなぁ……と私はシュヴァルツの要求を受け入れる事にした。その代わりにちょっとだけ約束して貰ったけども。
兎のようにぴょんぴょん跳ね回りながら「わぁいお出かけだぁ〜!」と騒ぐ辺り、神経が図太いのか事態を理解していないのか……後者かな、シュヴァルツの場合。
「とにかく」
パンっと手を鳴らすとシュヴァルツは騒ぎ回るのを止めて、その場で立ち止まってこちらを見た。
マクベスタも顔を上げたのを確認し、私はこの後の動きについて話す。
「今からケイリオル卿に許可を取って、ある程度の荷物を纏めて……まずはリードさんの所に向かう。この件にはあの人の協力が必要不可欠だから」
状態異常を治す治癒魔法なんてもう上級も上級の部類らしいのだが……何せリードさんはポンポン治癒魔法を使い付与魔法まであっさりと使う人だ。
相当な実力者である事は間違いない。なので、多分、状態異常を治す治癒魔法だって使えるだろう……と言う希望的観測に過ぎないのだが。とにかく頼るだけ頼りたいのだ。
しかしここでリードさんを知らないマクベスタが、リードとやらは一体誰なんだと零す。
奴隷商の一件でお世話になったお兄さんだと簡単に説明するとマクベスタは、
(どうしてそうすぐに見知らぬ人と仲良くなるんだお前は)
と言いたげな瞳でじっとこちらを見て、ため息をついた。
リードさんがいい人なのが悪いのよーと心の中で文句を垂れる。
するとシュヴァルツが「はぁい」と言って緩く挙手したので、私は何事かと尋ねた。
「病気を治すんだったらあの眼帯の人の所の目が悪い人にも頼むべきだと思うよぉー」
「……シャルに? なんで?」
「だってあの人毒の魔力持ちでしょぉ? 病を相殺出来るのは病だけって昔から相場が決まってるじゃーん」
シュヴァルツの言っている意味が分からず……私とマクベスタは顔を見合わせ、
(どゆこと?)
(分からん)
と首を傾げたり首を横に振ったりしていた。
確かにシャルは毒の魔力を持っているようなのだが、それが何故病を相殺するなんて話に繋がるのか……全く分からない。
うーんと顎に手を当てて悩む私達を見て、シュヴァルツが不服そうに頬を丸く膨らませて続けた。
「人間の定義では病と毒は相違ないものでしょう? どちらも人体を害するもの、どちらも生命を枯らすもの……だからね、毒の魔力は病も消せちゃうの。病の魔力でも毒を消せちゃうようにね!」
シュヴァルツの話を、私達は唖然としながら聞いていた。まさに寝耳に水……なんだそのめちゃくちゃな話は。
何でそんな事をシュヴァルツが知っているのかはとりあえず置いといて、私はそれを聞いて一つ、頭に電撃が走るように気づいた事があったのだ。
「……つまり、人間の体にとっては病は『毒』だから……毒の魔力で病を治せるって事?」
「そうそう! 流石だよおねぇちゃんっ、ぼくが言いたかったのはそれー!」
シュヴァルツが満足そうに無邪気な笑顔を咲かせる。
しかし私の頭の中は未だに混乱していた。何なんだその主観に拠る魔法の使い方は……私が言えた限りでは無いかもしれないが。
確かに人体にとって病とは毒のようなもの。だからって病を毒の魔力で消せるとかありなんですかそれ……? 毒の魔力最強じゃねそれ……?
人間とはこの世界にとって毒だ! とか決めつけたら人間も消せるって事?? え、本当のチートですか??
「何をもってして毒と決めるかはその人次第だけどぉ、毒の魔力が干渉出来る他の魔力は今の所……えーっと、病と腐だけだったと思うからそれ以外の魔力の分野の事は出来ないと思うよぉ〜」
まるで私の疑問に答えるかのようにシュヴァルツが話す。
ニコニコヘラヘラとしながら彼が話すそれは、この世界の魔法研究ではまだ辿り着いていない境地のものだった。
前々から変な子とは思っていたけれど、今日になってそれが一気に加速した。
(シュヴァルツって何者なの!?)
(いやお前が連れて来た子供だろう)
(私だって何も知らないんですけど)
(何で何も知らない子供を連れて来たんだ…?)
もう一度マクベスタの方を見て、私達はそうやって目で会話していた。勿論これで合ってる保証は無い。何となくの感じだ。
しかし……思わずこんな事をしてしまう程、シュヴァルツと言う少年の知識や言動の不可解さが凄まじいのだ。
「……魔法に随分詳しいね、シュヴァルツ」
「本当っ? えへへ、魔法の事はたっくさん研究してたからねー!」
あまりにも気になって仕方なかったので、そう声をかけてみた所……シュヴァルツからは目が浄化されそうな程に眩しい笑顔が帰ってきた。
ご両親が研究者とかだったのかしら。親の影響で特定の分野に詳しくなるなんて言う話はよく聞くし。ひとまずこれで辻褄は合う筈だ。
でも……だとしたら何故シュヴァルツのご両親は研究成果の発表とかをしなかったのか、その疑問が残る。
ただ、この事に言及しても何となくではあるがはぐらかされる気がしてしまうのだ。シュヴァルツは妙に自分の事を話したがらないから。