569.Side Story:Michelle
──もう疲れた。
どうして、あたしはこんなにも必死に走っているんだろう。
体育祭のリレーの時ですら、こんなに頑張って走った事はなかったのに。
お母さんに怒られない程度に。周りから批判されない程度に。運動は得意じゃなかったから、程々に頑張って、なんとか自分の番を終えていた。
それなのに──今あたしは、全力で走り続けている。
呼吸は激しくなり、足は棒のようで、まだ走っていられるのが不思議なぐらい体が重たい。
でも、止まれない。
眼鏡の男性が追いかけて来るからという理由もあるが……立ち止まろうとする度に、お兄さんの言葉が頭の中で響くのだ。
『───“頑張る”ってのは……本当にすげぇ事なんだよ。世の中には“頑張る”ことすら出来ない人もごまんといる。だから、何かを頑張れる人は、それだけで凄い。褒められるべきだって、俺は思うよ』
論文の書き方に悩んでいた時、お兄さんはそうアドバイスしてくれた。
随分と自分に甘い考えかもしれない。でも、頑張れるだけでも凄いって、お兄さんは褒めてくれたから。──あたしは、まだ頑張れる。
「っまだ、頑張らないと……!」
自分の胸に手を当てて、治癒魔法を使用する。自分で自分にかけるそれは、他者にかけてもらう治癒よりもずっと効果が薄い。
そもそもあたしは、天の加護属性で擬似的な光魔法と治癒魔法を使っているだけに過ぎない。
だから、あたしが自分自身にかけれる治癒魔法なんてたかが知れている。それでも、出来る限り足掻きたかったのだ。
「あたし、は……!」
お母さんに怒られてばかりの、駄目な子だったけれど。
『───アンタはやれば出来る子だよ。YDけ……もうこれ通じなかったりする?』
あのお兄さんがそう言ってくれるような──、
「やれば出来る子、なんだから!!」
力を振り絞り、地面を強く蹴る。
眼鏡の男性との距離はおよそ十メートル。……未だに捕まっていないのが、不思議なくらいだ。
きっとあの人は、あたしを舐めてかかっている。ならばその油断を逆手に取って、どこかで速度を上げて彼を撒こう。
ずっと同じ所をぐるぐると走り回っているから、いい加減あたしも道を覚えつつある。二つ向こうの角を曲がった先に、物がたくさん置かれた路地があった。あたしぐらいの身長なら難なく通れるだろうけど、眼鏡の男性は背が高いから、あの道を進むのは難しいはず。
角を曲がった瞬間に加速して、あの路地に飛び込もう……!
お兄さんが言っていた。追いかけっこは、いかに障害物を上手く利用するかが鍵だ──って。
「……今だ!」
角を曲がり、付与魔法と治癒魔法を連続使用してなけなしの力を足に集中させ、風のように疾走する。
例の路地に入ってすぐ、ある程度進んだところで物陰に隠れて息を潜めた。ここは一本道なので、姿を見られて追われるよりかは、嵐が過ぎ去るまで隠れていた方がいいと判断したのだ。
「──っ!? どこに行ったんだ……?」
結果は大成功。眼鏡の男性はキョロキョロと辺りを見渡しながら、路地の前を通過して姿を消した。
その足音が聞こえなくなるまで我慢して、安全が確保された途端。
「っっっはぁぁ……!! はぁ、はあ……! た、助かったぁ〜〜〜〜っ」
噎せるように大きく肩を上下させ、あたしの体はズルズルと崩れ落ちた。もう、全身に力が入らない。
「……えへへ。あたし……すっごく頑張れたよ、お兄さん」
絶え絶えの息で、そんなことを呟いてみる。
もし、この場にお兄さんがいたら。──また、頭を撫でて褒めてくれたのかな。
いや、あのお兄さんさんならきっと……『自由を目指してるくせに俺に依存してどうするんだ』って、怒るんだろうなぁ……。
「──ミシェルっ! やっと見つけた……!!」
路地の入口の方から、聞き慣れた声が響く。
声の主は兎のように飛び跳ねて、軽やかに障害物を越えてくる。夕焼けのような色の髪を揺らして、ロイはあたしに寄り添い座り込む。
「大丈夫? あの変な男に何かされなかった?」
「ずっと追いかけられていただけだから、大丈夫だよ。ただすごく……疲れて……」
「おれが治癒魔法を使えたら……っ」
「気にしないで。もうちょっと休めば、歩けるようになると思うから」
疲労は残るものの、治癒魔法を使っているので、ゆっくりではあるが体力も回復しつつある。だからもう少しだけ休ませて。と提案したら、
「──ミシェルを捜している時に、聖人様がいるのが見えたんだ。だから、あの人に頼めば……」
「えっ、そうなの?」
ロイが思わぬ報せを口にした。
ミカリアが街にいるのなら、彼の強力な治癒魔法を頼るのが最も効率的だ。……忙しいかもしれないけれど、ダメ元でお願いしてみようかな。
眼鏡の男性に追いかけられていて、それどころじゃなかったけれど……あの化け物との戦いは、まだ終わってないんだから。
「うーん……それじゃあ、聖人様を捜しに行こう」
「わかった。おれがミシェルを支えるよ。だから、無理せずゆっくり歩こうね」
「ありがとう、ロイ」
彼の肩を借りて、ふらりと立ち上がる。
あの眼鏡の男性に見つからないよう細心の注意を払いつつ、あたし達はミカリアを捜しに行ったのであった……。