566.Main Story:Macbethta VS Ameless
オレの恋は、こんなにも美しいものではない。
吐く程に辛く、眠れなくなる程に苦しく、涙と嗚咽が止まらない程に痛い、醜く無様なもの。──それが、オレの知る、オレの恋なのだ。
だから、あの少女に抱くこの感情は……恋でも愛でもない────ただの、“同情”だ。
♢
彼女の透き通る銀髪と冬の夜空のような瞳を見た瞬間、千切れてしまいそうな程に胸が締め付けられた。
だがその直後、誰かが『ミシェルが殺される』と呟いた途端、オレの体は憐憫から来る虚しい使命感に支配されたのだ。
狼狽する彼女を押し倒し、雷で威圧しながら問い詰めた。すると、彼女は震える声で呟く。
『っやだ……! 殺されたく、ない……っ!!』
雨が降った日の夜明けのように、ぽつりぽつりと溢れ落ちる大きな雫。それを認識した瞬間、オレの喉はひゅっと笛を鳴らし、呼吸がままならなくなった。
『────っ!? 泣く、な……頼む、泣かないでくれ。オレは、お前の、涙だけは…………っ』
泣かないでくれ。頼む、どうか──笑っていてくれ。
そんな自分勝手な言葉ばかりが頭を埋めつくし、呼吸の仕方を忘れさせる。とにかく苦しくて、絶望に呑まれたかのように目の前がどんどん真っ暗になっていった。
無二の友であり、切磋琢磨する戦友であり、尊敬する姉弟子であり、死にたくなる程恋焦がれる初恋の女性。
オレにとってかけがえのない存在なのに、それが誰なのか分からない。──いや、分かっている筈なのに、精神が彼女を思い出す事を拒む。
まるで、このまま苦しまない道を行こうとでも言いたげに。
「……──マクベスタ、大人しく降伏してちょうだい。私、貴方とは戦いたくないの」
綿のような銀髪を揺らして、彼女は提案する。
「…………オレも、お前とは戦いたくない。だが、体が……言うことを聞かないんだ」
「え? 体が言うことを聞かない、って……」
お前と敵対なんてしたくない。そう思っていても、何故かオレの体は勝手に、アミレスの道を阻まんとしていた。
剣の柄に掛けられた手が、今にも剣を抜こうと震えている。彼女に刃を向けられない──その一心でなんとか抑えているが、これもいつまで保つか。
「貴方まさか……奇跡に、抵抗しているの?」
当惑に染った顔の中で、夜空の瞳が瞬く。
その瞬間、彼女の背後に大きな影が降り立った。妖しく煌めく紫水晶の瞳がこちらを見据え、ニヤリと弧を描く。
「──流石はオレサマが見込んだ男だ。よくやった、マクベスタ」
「「シュヴァルツ……!?」」
オレと彼女の声が重なる。だがオレ達の驚愕などお構い無しに、シュヴァルツは紫色の爪紅に彩られた手を掲げ、指を弾く。
「さァ、博打の時だ。──堕ちろ、マクベスタ・オセロマイト」
その声に導かれ、何かが影から這い上がってくる。
べたり、べたり、と吸い付くように張り付いて、赤黒い靄は徐々にオレの体を覆った。
「……っ!?」
息が詰まり、視界が明滅する。
この感覚には覚えがある。確か、そう……黒の竜と対峙したあの時と同じ──……理性が吹き飛ぶ、あの、感覚だ。
♢♢
「ちょっと、シュヴァルツ! マクベスタは攻撃する意思なんてなかったのに……!」
どうして攻撃したの、とアミレスは眉尻を下げ訴えてくる。
「勘違いするなよ、アミレス。オレサマは無駄な事はしない主義だ。期を見計らい、こうしてわざわざ首を突っ込んだのは、それだけの意義があるからに決まってるだろ?」
「意義、って……言われても……」
流石に唯唯諾諾とはいかないか。どうにも腑に落ちない様子で、アミレスは口をきゅっと結ぶ。
見かねたオレサマは、懇々と説明してやる事にした。
「オレサマ、天才だから思い出したんだよ。マクベスタは、魔人化すると天使になるってなァ」
堕天族。それが、マクベスタが魔人化した際に変貌する種族。
魔人化している間は、その種族のものへと肉体やら能力やらが塗り替えられる。つまり──アイツにも、期間限定で奇跡を否定する力が備わる筈なのだ。
「堕天族になれば、マクベスタも……!」
「そういうこった。まァ……上手くいけば、だがな。故に、ここからが正念場だ」
アイツ自身が、その身に起きた奇跡を否定出来るかどうか。
抵抗する意思があるのなら、とお前に賭けてやったんだ。オレサマのお膳立てを無駄にするなよ──マクベスタ。
♢♢
……──頭がすっきりとしている。
濃くかかっていた靄が晴れたように、記憶が明瞭だ。
だがその代わりとばかりに、精神の中に一つだけ明らかな特異点がある。それにだけは気づかせないとばかりに、鋭利な茨で覆い隠されたもの。
それはきっと、アミレスへの好意だ。
彼女を見ていると、呼吸が上手く出来なくなる。刃を向けるなど以ての外、剣を持つことすら出来ない。身動きだって取れなくなるし、目を逸らすことも出来ない。
それもそうだ。
死にたくても、彼女の為に生きようと思える程に……オレは彼女を愛している。愛情こそがオレの首を絞める、最たる要素だと分かっているのに。
それでもいいから彼女を愛していたい。彼女に恋する日々が恋しくて──オレは、傷つきながらも茨に手を伸ばした。
激痛に襲われようが、もがく程の苦しみを味わおうが、オレはこの恋を捨てたりはしない。
だからオレは、奇跡的に与えられた機会を拒否する。こんなオレを救おうとしてくれてありがとう、名も知らぬ誰か。だけど……痛くも苦しくもない美しい感情は、オレには荷が重いよ。
茨の先にあった、不格好で醜いドロドロとしたもの。これこそがオレの知る愛であり、オレが彼女に抱く恋そのものか。
……分かってはいたが、本当に醜穢だな。そこに在るだけでじわじわと痛みが心臓を蝕むなど、まるで毒の塊のようだ。
オレの恋はこれでいい。──いいや。これが、いいんだ。
愛する女性を想うあまり生まれた、決して綺麗とは言えない恋情。
これは決して、誰にも譲れない……オレだけのものだから。
────ゆっくりと目を開く。
赤黒い霧が晴れ、視界が良好になる。目線の先には、胸の前で両手をぎゅっと握り不安げにこちらを見つめるアミレスと、そんな彼女の隣で腕を組むシュヴァルツがいる。
だが程なくして、シュヴァルツは目を丸くして固まり、
「……どうなっているんだ? 一度目と姿が違うだと?」
顎に手を当て眉を顰めた。
姿が違う、というのは恐らく肌の色の事だろう。以前魔人化とやらを果たした際は黒くなっていたが……今回は何故か、本来の色のまま。
だが頭上には黒い光輪があり、背には黒翼もある。つまり、魔人化したのは確かなようだ。
「マクベスタ……」
あの時も思ったが、堕天族は随分と耳が良いらしい。彼女の鈴の鳴るような声が、一等大きく聞こえた。
……まさか、名前を呼ばれるだけでこんなにも喜びが込み上げるとは。
無意識のうちに足が彼女の方を向き、動き出す。
傷つけた事、泣かせた事、苦しめた事……謝らなければならないことが沢山あるのに。理性が飛んだこの体は、相も変わらず、余計な真似をする。
「アミレス」
「な、何……?」
困惑する彼女の両頬を手で包み、上を向かせる。そして──、
「んむ?!」
桃色の淡い唇を、奪ってしまった。
「ふ、ぅ……っ、ん……」
「〜〜〜〜〜〜っっ!?」
執拗に、味わうように何度も舐る。なけなしの理性が『これ以上は流石にまずい』と止めてくれなければ、恐らくそのまま舌を入れてしまっていた事だろう。
「……っはぁ……うん、やはりそうか」
「ぅ、ぁ…………な、ぇ……っ?!」
舌なめずりをしつつ離れると、顔を真っ赤にしたアミレスが声にならない声で何かを訴えようとしてきた。そして視界の端には、狐につままれたような様子のシュヴァルツが。
「──好きだ、アミレス。オレは、どうしようもない程に……お前を愛している」
口付けをしてその確信が深まった。
熱を帯びて、激しく鼓動する心臓──……。
やはり、オレの恋は……彼女に捧げられていたのだ。