545.Main Story:Ameless
目を覚ました私の視界に一番に飛び込んできたものは、こちらを心配そうに覗き込むセツの姿だった。
どうやら私は眠りながら泣いていたらしく、セツはそれを顔を舐める事で拭おうとしてくれたようなのだ。おかげさまで顔中ベタベタなのだが、セツなりの優しさが嬉しい。
健気可愛いセツをもふもふしていると、私の起床に気づいたナトラやシルフ達がわらわらと部屋に入って来てあれこれ騒ぐものだから、侍女のネアが『このままでは王女殿下の身支度が何一つ出来ないではありませんか! 皆様、一度退室なさってください!!』と一喝し、ネアとナトラ以外の全員が一時退室。
入れ替わるようにやってきた侍女のスルーノと三人がかりで、私の湯浴みや着替えその他諸々の準備を、あっという間に済ませてくれた。
その後、空腹を訴えた私の為にと午前十時頃というなんとも微妙な時間にもかかわらず食事が用意され、お腹いっぱいになったところで、そのまま食堂で皆と話し合いをする事になったのだが。
「……──よっ、アミレス! 数日ぶりだなァ、オレサマの事が恋しくなってたり……って、こんな時間に飯か。珍しい事もあったものだ」
調べ物があると暫く単独行動していたシュヴァルツが、見計らったかのようなタイミングで現れた。しかも、何故かとてもしっかりとした格好で。
そんな彼と、なんと二日間眠りっぱなしだった私への状況説明も兼ねて、シルフ達は情報の共有や今後の流れについて一通り話してくれた。
どうにも私が眠っている間に、シルフ達の方で今後の計画を立てていてくれたらしい。件の計画と、あの日の出来事……そして私が眠った後の話。それらを一通り聞き終えると、自然と話題はシュヴァルツの『調べ物』へと移ってゆき……。
「──そういえば。シュヴァルツの調べ物って、結局なんだったの? 随分と時間がかかったみたいだけれど」
「ん? 妖精への有効打を探そうと思ってな、魔界に戻って色々と。そこで一つ、良さげな情報を見つけた」
「良さげな情報ぉ……?」
シルフの眉が片方だけぴくりと上がる。
「あァ。とはいえ、改まって言う程のものでもないんだが、ズバリ──……“天使”だ。天使こそが、妖精の弱点ってワケ」
「……マジで今更だな。妖精と天使の相性の悪さは精霊の間でも、魔族の間でも、有名な話だろーが」
「そうだ。そうなんだよ、エンヴィー。だからこそ、オレサマ達は見落としていた。──そもそも、どうして妖精が天使を極度に嫌っているのか。その理由をな」
シュヴァルツの言葉に、シルフと師匠とフリザセアさんは息を呑んだ。
そしてシュヴァルツは語る。この数日間で調べた、妖精の弱点──天使にまつわる話を。
「結論から話そう。妖精は天使と対面した瞬間、奇跡力を失う。それは天使が『魂の運び屋』である事に起因するようでな、どうやら天使が降臨した時点で因果が逆転するらしく……妖精の奇跡なんざ何処吹く風──生きていようが、天使と対面すれば、生物ってモンは問答無用で仮死状態に陥るらしい」
この説明だけでシルフ達とナトラは何かしら納得がいったのだろう。そんな裏があったなんて、とでも言いたげに目を瞬かせている。
他にも、ユーキやローズやアルベルトまでも心当たりがあるようで、彼等もまた納得がいったように考え込む仕草を見せた。……そんな空間でただ一人(シャルもいるので正確には二人)、何も理解出来ていない私に気づいたシュヴァルツがうーんと唸り、少し間を置いてから再度口を開いた。
「そうだなァ、仮に……──【因果性仮死症】とでも名付けようか。天使という病原体と対面すれば、生きとし生けるもの全てが奴等が振り撒く因果調律という名の細菌に感染し、この病を発症する。中でも妖精って種族はその病を発症したが最後、制約という合併症を引き起こし──結果、“奇跡力の喪失”という後遺症……いや、この場合だと先天性の病を患う事となる。……アミレス、これなら分かるか?」
シュヴァルツはやたらと優しい声音でこちらの様子を窺ってくる。
──正直なところ、めちゃくちゃ分かりやすかった。不謹慎ではあるが、病や症状に喩えてくれたお陰でぐんと理解度は上がったことだろう。
これをあの一瞬で思いついて言語化してくれたのだから、シュヴァルツは相当教職に向いていると思う。
「ええと。つまり……妖精は、天使と遭遇したら仮死状態に陥ってしまい、その影響で奇跡力を失ってしまう。だから妖精と天使はものすごく相性が悪い……って事?」
先程の話を掻い摘んで、繰り返してみる。するとシュヴァルツは軽く頷いて、更に続けた。
「妖精視点はそうだな。天使視点は──『死の運命を強引に回避し続ける愚かな連中をわざわざ好む必要がどこに?』とのことで、この二種族は非常ォ〜〜に相性が悪い。まァ、だからこそ」
シュヴァルツの紫水晶のごとき瞳が、静かにユーキへと向けられ、やがて細められる。
「……妖精と天使の血が混ざった種族、なんてのは相当希少だ。そうだろ──エンデア」
「そうですね。その気になればいつでも滅ぼせる程度には」
シュヴァルツの真後ろに、突如現れた人影。それは黒い一対の翼と、同じく黒く染まった光輪を持つ男──百人の人に聞けば百人が同じ答えを出すであろう、存在。
「「堕天族────!?」」
私の驚愕は、シルフのそれと綺麗に重なった。
天より落ちた憐れな天使とは違い、自ら魔に堕ちる道を選んだ、正真正銘の裏切り者。──魔族の中で最も高潔でありながら、最も倦厭されているという種族。それが、堕天族だ。
「……魔王様。やはりワレは歓迎されていないようだから帰還す──」
「まだ何もしてねェだろ。勝手に帰ったら堕天族領の税負担重くするぞコラ」
「チッ…………!!」
貼り付けたような笑顔でくるりと踵を返す堕天使を、シュヴァルツもまた澄ました笑顔で引き止める。
風変わりな脅し文句ではあるが、なんとこれで、堕天使は苦虫を噛み潰したような表情で押し黙った。あんな脅し文句がちゃんと脅迫として機能するとは……どうなってるんだ魔界……。