543.Main Story:Michelle3
あの後、あたし達は馬車を呼んで真珠宮に戻った。
とにかく様子がおかしいマクベスタとセインを休ませよう──と話し合い、マクベスタが心配なカイルと、ミカリアに用事があるアンヘルと共に、まっすぐ真珠宮に向かう事になったのだ。
そうやって、暫くして到着した真珠宮。だがそこにはミカリアはおらず、アンヘルの大きな舌打ちだけが宮殿に響いた。
もう移動するのも面倒と感じたのか、なんとアンヘルはこのまま泊まっていく事に。『夜になれば、あいつも帰ってくるだろ』と言っていたから、たぶん、ミカリアを待つつもりなのだろう。
アンヘルが泊まるなら、とカイルもマクベスタと共に真珠宮に泊まる事に決めたらしく、彼は忙しなく色々な準備をしていた。
慌ただしく時は過ぎ、早くも夜。
あれから、マクベスタは一度眠ってからというものの、涙を流しながら眠り続けているらしい。セインに至っては……部屋に籠られてしまい、様子は分からない。
「…………」
カチャカチャ、と食器の音だけが響く静かな部屋。
あたしと、ロイと、カイルと、アンヘル。四人もいるというのに、食堂は恐ろしく静かだった。……いつもなら、ロイとセインが賑やかに食事をして、様子を見に来たミカリアに『静かに食べなさい』と窘められるのに。
今日は……いつも以上の人数がいるにもかかわらず、酷く静かだ。
それに──……そもそも、食事が喉を通らない。あんな気味の悪い化け物と戦い、恐ろしい男による蹂躙に遭って。平然としていられる訳がなかった。
「……ミシェル、食べないの?」
「う、うん……どうにも、何かを食べられる気分じゃなくて」
「わかるよ、その気持ち。おれもあんまり食欲ないし」
堪らず食器を置いたところ、ロイが優しい微笑みを向けてくれた。言われて見れば、確かにいつもと比べてロイの皿には料理がたくさん残っている。
「まあ──あんな目に遭って、いつも通り、とはいかないな。我ながら情けない限りだよ」
カイルまでもが場の空気を和ませるような発言を零し、ロイは少し頬を膨らませた。
「おれとミシェルの会話に入ってくるなよ、役立たず」
「……どこに居ても俺はこの扱いなのか。もはや、そういう役回りだと考えた方が良さそうだな」
「一人でなに、ぶつぶつ言ってんの? 気持ち悪いんだけど」
「気持ち悪いって……」
まるで年頃の女の子のよう。やけに反抗的な態度で突っかかってくるロイに、さしものカイルも困った様子。
「ちょっと、ロイ! カイルに失礼だよ」
これは流石に窘めないと。そう思い注意すると、ロイは明らかに不機嫌になり、「……おれ、もう今日は寝る」と言い残して一人で先に部屋へと戻ってしまった。
「ごめんなさい、カイル……ロイ、昼間から気が立ってるみたいで……」
「ローゼラ嬢が気に病む事ではないさ。俺は気にしていないから」
カイルは、ゲームの立ち絵のように苦笑し、落ち込むあたしを励ましてくれた。
♢♢♢♢
夕食の後、あたしは重大な選択を迫られた。
【自室に戻る】か、【外に出る】か、【食堂に残る】か。まるで乙女ゲームの分岐選択肢のように出現したこの三択に、あたしは密かに悩み抜く。
乙女ゲームの共通ルート的には、選択肢次第で出会えるキャラクターが違ったりするものだろう。『アンディザ』でも、こういう展開があった。──だから、この選択次第で何かが起こる可能性が高い。
たくさん悩んで、あたしは──……
「う、寒い……もうすぐ夏なのに、夜はこんなに寒いんだ……」
【外に出る】ことにした。今日は色々と起きすぎて、一度、冷静になりたかったというのもある。
誰もいない庭。噴水の緣に腰を降ろし、腕を摩りながら夜空を見上げていると、
「こんな時間に一人で外に出るなんて、何かあったらどうするんだい」
ブランケットを手に、カイルが現れた。彼が「夜風が体に障るよ。ああ、隣に座っても?」と言いながらブランケットを掛けてきたので、こくこくと頷くと、カイルはニコリと笑ってあたしの隣に座る。
流石は音に聞こえしスパダリ完璧王子……! と、昼にあんな事があったのに、思わずドキッとしてしまった。
「その……考え事、していて」
「そう。──時に、ローゼラ嬢。君に聞きたいことがあるんだけど、構わないか?」
「も、もちろん! なんでも聞いて!」
紳士的な彼は、誰に対しても一線を引いているように見受けられた。そんな彼がこうして話を振ってくれるなんて──まさに、カイルのルートのよう。
……こんな時だからこそ、気分転換のように訪れたこの機会に縋りたくなる。あの出来事から目を逸らす理由が、あたしは欲しかったのかもしれない。
「君の願いは、どんなもの?」
「…………願い?」
「ああ。夢、目的──どんな名称でもいい。君を突き動かすその衝動の正体を、教えてほしいんだ」
願い。夢。目的。……カイルがどんな意図でこんな事を聞いてきたのかは分からないけれど、とにかく真面目に答えよう。
「──愛されたいの。痛くない、普通の愛……誰もが当たり前のように与えられるそれが、あたしは欲しくてたまらないんだ」
「……痛くない、普通の……愛……?」
カイルの目が見開かれる。
「うん。……人間、誰しも叶うなら欲に溺れて生きたいものでしょ? だからあたしは、自由に、我儘に、たくさん愛されて生きてみたい──って、これ……ほとんど、受け売りなんだけど」
「そうか……そう、なのか……」
いつか聞いた、お兄さんの言葉を引用する。それが予想外の答えだったのか、カイルは困った様子で考え込んだ。
……まだ仲良くなったばかりなのに聞かせる話ではなかったかな? こんな無駄に重い話を聞かせてしまって、申し訳ない。
「……──まったく、酷い話だな」
カイルが何か呟いたようなのだが、それは夜風と木々のさざめきにに掻き消されて聞こえなかった。
「ローゼラ嬢の願いが叶うよう、俺も陰ながら応援しているよ」
そう言って、彼はあたしの頭を軽く撫でた。だけどその表情は──ゲームで見たものとは少し違う、憐憫に彩られた、残酷なまでの優しさに溢れたもので。
「では、お嬢さん──……お手をどうぞ。夜道は危ないから、君の部屋までエスコートさせてくれ」
「えっ……あ、ありがとう、ございます」
差し出された手にドキリと胸が跳ねる。
王子様のエスコートで歩く。なんて夢のようなシチュエーションに鼓動は早まり、重ねた手から、カイルにこの脈拍が伝わっていないことを祈るばかりだ。
──そんな、乙女ゲームのような展開を迎えていたからだろうか。馬鹿なあたしは……彼にまつわる数々の違和感を、すっかりと忘れてしまった。