番外編 ある少女の願いごと
10月3日は本作の初投稿日の記念日(?)ということで、今回は番外編の記念SSになります。
時系列的には狩猟大会の少し前になります。
それは、ある春の日の出来事だった。
「アミレス! お前は何か、叶えたい願いなどはないか?」
イリオーデと模擬戦をしていたところ、藪から棒にナトラがそう言い放った。騎士道を重んじる謹厳実直なイリオーデは突然の乱入に気分を害したらしく、白夜を鞘に納めつつ後で再戦しようと伝えて彼の機嫌を取る。
どうやらナトラはつい先程まで宮殿の中で仕事をしていたようで、その手には箒が握られている。恐らくは、侍女達と立ち話でもしていたのだろう。
「急にどうしたの?」
「先程な、ネアとケイジーから聞いたのじゃ。この国の祭典の中には、子供のささやかな願いを叶えることを目的としたものがあると! 我、まだほんのちょっぴりしかこの国にはおらなんだから、そんな祭典があるとは知らなかったのじゃが……なんとも好都合な祭典ではないか!」
鼻息を漏らしながら、ナトラは興奮気味に詰め寄ってくる。やはり侍女達から何かを又聞きしたらしい。
「もしかして星祭のこと? 確かにあれはどちらかと言えば市民向けの祭りで、私達はほとんど関わらなかったものね。知らなくても仕方ないと思うわ」
「そうそうそれじゃ! 我、その話を聞いてびびっときたのじゃ。──お前はこんな機会でもなければ己の欲を口にしなかろう? じゃからこれならば、アミレスの願いをもっともっと叶えてやれると!!」
妙案思いついたり! とばかりにナトラが胸を張る。これに、退屈そうに私の特訓を眺めていたシュヴァルツが「お〜〜〜〜」と感嘆の息を吐きながら拍手したものだから、ナトラは鼻高々とばかりに小さな体を反らして更に胸を張っていた。
星祭は、簡潔に言ってしまえばこの世界版の七夕祭りのようなものだ。内容もだいたい同じ。配役や諸設定が西洋ファンタジー風にアレンジされただけの事実上の七夕祭りが、例の星祭である。
なのでいわゆる短冊的なシステムもあり、子供がささやかな願いを手紙に書いて軒先に置いておくと、いつの間にか手紙が消え、その願いが叶うとかなんとか。
時期的にはまだ先の話なのだが──……きっと、ナトラはその事を話しているのだろう。
「して願いはなんじゃ? ほれほれ、なんでも言うてみよ! 我がなんだって叶えてやるからの」
随分と期待に満ちた目を向けてくる。ナトラの心遣いは嬉しいんだけど、願いって言われてもなぁ……聞くのには慣れてるんだけど、聞かれるのは不慣れだからあんまり思いつかないな。
「うーん……強くなりたい、とか?」
「ほほう。ならば竜種になるべきじゃな! 竜はとっても強くてとってもかっこいいからの。任せよ、我がお前を竜種にしてやるのじゃ」
人として死にたいから竜になるのはちょっと……そもそもなろうと思ってなれるものなの? 竜種って。
「なんか思ってたのと違うなぁ」
「違うのか。ならば他には何かないのか? なんでも言ってみるがよい」
「それじゃあ……いつか、世界を旅してみたいな」
「旅か。ふむ、であれば竜にしてやろう。空を征けば旅なぞあっという間じゃからな」
「空の旅もいいけど、せっかくなら馬車や自分の足で世界を見て周りたいかな」
「そうか、アミレスの願いは難しいのぅ……じゃが我は諦めぬ。必ずやアミレスの願いを叶えてみせようぞ!」
ナトラの中にある謎の火をつけてしまったらしく、その後も暫く彼女からの願いを言え攻撃は続いた。元々願いと言えるようなものは、私にはほとんど無い。だから途中からは答えに詰まり無難なものを適当に答えていく羽目に。
それでも毎回絶対に『竜にしてやろう』と言っては、私の願いを竜種へと生まれ変わらせる事でナトラは無理矢理叶えようとする。
なんだろう、この竜種転生のオススメっぷりは。そんなにナトラは私を竜にしたいのか?
「──テメェやる気あんのかナトラ! アミレスの欲望を聞き出せるいい機会だと思って様子見していたが……お前が竜種になれとしか言わねェから、アミレスもだんだん適当なことばっか言うようになっちまったじゃねェか!!」
「はぁ? 我悪くないもん! 我は我なりにアミレスの願いを叶えてやろうと思っておるだけじゃ!」
「極端過ぎるだろ。なんで竜種に変える事でアミレスの願いが叶うと思ってんだ、お前は」
「? 叶うじゃろ。だって竜ぞ?」
「……竜種ってマジで自己肯定感スゲェ高いよな。そこだけは普通に尊敬するわァ…………」
ぎゃあぎゃあと言い合うナトラとシュヴァルツ。傍から見ればちびっ子メイドと謎のイケメンの組み合わせだが、その実情は緑の竜と魔界の王。
そんな二人にここまで気にかけてもらえるなんて、それだけでじゅうぶんありがたい事だ。だから、私から改まって彼等に望むことは……本当に、凄く些細な事だけ。
それさえ叶えば、私は他に何も望めなくても構わない。
「アミレスさんよ。結局あんさんの願いは分かってないんだが、何かないのか?」
「カイルじゃない。貴方いたの?」
「イリオーデとの模擬戦してる時からいたわ。気づけよ俺にも」
「冗談よ。流石に人の気配が増えたら気づくわ」
「それはそれでこえーよ」
ちょっとボケてみたところ、カイルはしっかりとツッコんでくれた。流石は我が親友だ。
「閑話休題。俺もな、大人として子供の願いを叶えてやろうかと思ったんだよ。だから願いプリーズ。俺がお前の願望器になってやる」
「何言ってんのあんた?」
何を言ってんのあんたは。
思わず心の声と口から出た言葉が一致してしまった。
「というか願いを叶えるって……貴方にそんな力はないじゃない。そもそも願いを叶えるっていうのは神様の特権なんだから」
「なんでそんな急にリアリストになるんだよ、お前。いやある意味ロマンチストなのか……?」
「事実だからよ。人間がどれだけ祈ろうが願おうがそれが成就するかは神様の裁量次第。神様だって万能じゃないし、片っ端から願いを叶えられる余裕はない。それなのに人間が人間の願いを叶えるなんて、驕りにも程があるわ」
毎日のように何百人もの人間が神様に願うが、それが実際に成就するのは多くても四割程度。どれだけ信仰されている神様でも、全ての願いを叶えられる訳ではないのだ。
誰かの願いを叶えるという行為は──神様と言えども軽率に行うことは出来ない、とても大事なものだから。
「……やけに詳しいな。さてはオタクか」
「さあどうでしょうね」
「ふぅん? ちなみに八百万の神の中だと誰推しなんだよ」
「不敬…………」
カイル──というかオタクの悪いところが出ている。何でもかんでもすぐ『推し』の話に持っていくんだから。
相変わらずの締りのない顔で、カイルは不敬な話題を振ってくる。だがまあ……これぐらいなら神様も許してくれるだろう。
「──大国主命かな。私が信じてる神様は……今も昔も、ずっとあの一柱だけよ」
「大国主命かぁ、めちゃくちゃ王道だな。しかも単推しときた。ミシェルといいこれといい、お前って意外と愛が重いよな」
「あら、悪い?」
「悪かねぇよ。ただなんか、お前らしいなーと思って」
何が面白いのか、カイルはくつくつと笑う。
訝しむようにそれを見ていたところ、セツが凄まじい勢いで宮殿方向から駆けて来ては飛びついてきた。「ワンッ!」と元気よく鳴く姿は、まるで喜んでいるかのよう。
「せっかくだから貴方の推し神様も聞いてあげるわ」
セツの頭を撫でながらそう切り出すと、カイルはニコリと笑って答えた。
「火之迦具土神と宇迦之御魂神」
「なんでその二柱なの?」
「昔読んでた漫画に出てきたヒノカグとうか様が好きすぎて……それを未だに引きずってる感じだな」
なんとフレンドリーな呼び方。前世でなんの漫画を読んだんだ、この男は……。
「あの漫画のヒノカグはビジュがマジで良すぎてなぁ……性格もめっちゃいいし好きにならざるを得なかった訳よ……うか様は言わずもがな。頼むから幸せになってくれ」
頼んでもいないのに独りでに語り始めたぞこのオタク。ペラペラと推しトーーク! を続ける彼の後ろから、イリオーデとアルベルトがにゅっと顔を出した。
「主君。神はどれ程祈っても願っても救ってはくれません。そのような存在を信仰する必要など、欠片もないでしょう」
「ルティに同意するという訳ではありませんが、我々を導く訳でもなく恩恵を齎す訳でもない。そして信仰に対する見返りすらもない不義理な存在にかける時間が勿体無いと、私は愚考します」
彼等は神様に親でも殺されたのか? 信心深い人が大半のこの世界で、ここまで神を信じず不要だと言い切れるなんて。
この場にミカリアやリードさんがいなくてよかった……彼等のこの発言を聞かれていたら、流石の私でも庇いきれなかっただろう。
「大丈夫よ。私は──この世界にいるどの神様も信じていないから」
そうだ。私が信じる神様はただ一柱。
それはたとえ思い出せずとも、今世も前世も変わらない。私の信仰心は、ずっとあのひとに捧げられている。
「そうなのですか。これは出過ぎた真似をしました。何卒、ご容赦ください」
「不必要な進言をしてしまいました事、ここに謝罪致します」
「いいのよ二人共。……シュヴァルツとナトラはまだ言い合ってるし、一旦休憩にしましょうか。今日は天気もいいし、たまには庭でお茶しようかしら」
「では、準備をして参ります」
「頼んだわ、ルティ」
アルベルトが影に潜って姿を消したあと、私達はどの辺りでお茶をするかと話し合った。今日はセツも随分とご機嫌で、いつもはカイル達男性陣に触られるのを嫌がるのに、何故か今日だけはおさわりを許している。
カイルが「うおおおおっ、異世界モフモフ!」と変なはしゃぎ方をする様子を眺めながら木陰で寛いでいると、
「アミレスよ! シュヴァルツに絡まれておってすっかり本題を見失っておったが、我はお前の願いを叶えたいのじゃ! なんでも良いから我に願いを教えよ!!」
「オレサマの所為にするなよ」
いがみ合うナトラとシュヴァルツがドスドスドスと直進してきた。
これは……何かしら願いごとを口にしないと終わらないだろうなぁ。シュヴァルツに煽られてムキになってるもの、ナトラ。
「願いごと……──どうか、私が死んだ後も私の事を忘れないでね。それぐらいかな、私の願いは」
人は忘れ去られた時、完全に死ぬと言われている。ならば……私は、誰にも忘れられたくない。死んだ後もひとりぼっちなのは、きっと凄く寂しいだろうから。
せめて皆の思い出の片隅にでも居させてもらえたら──私は寂しくないと思ったのだ。
「な……っ、なんじゃその願いは!? わざわざ願わずとも、それしきのこと我が何万年先まで覚えておいてやる! というかそもそもお前を死なせてなるものか!!」
「死んだ後も忘れるな、って──随分と残酷な呪いをかけてくれたな、お前。まァ、ナトラの言う通り……そう簡単には死なせてやらんがな」
相変わらず人外さん達は独自の視点で物を言う。死なせない、と彼等は言ってくれるけれど……私なんて所詮ただの人間だ。死にたくはないが──死ぬ時はぽっくり死ぬだろう。
……それでも、願わずにはいられない。
叶うなら、これから先も皆とずっと一緒にいたいな。
そんな身勝手な願いは口にせず、心の奥にそっと仕舞う。
だって、願いごとは──……口にしたらどこかへと飛んでいってしまって、神様に届かず決して叶わなくなってしまうから。