490.ずっと一緒に歩めると思っていた
延期された狩猟大会もなんとか無事終了。
王城でのパーティーも含め狩猟大会の全行程が終わり、僕は一休み──……したいところなのだが、まだ、やるべき事が残っていた。
月明かりに照らされる廊下を歩き、陛下の執務室に向かう。
他者の存在がそのまま機嫌に影響するような面倒くさい男だから、陛下の執務室の周辺には騎士はおろか侍従すらいない。
だから、人払いの必要はなく。
軽く扉を叩き、「陛下、僕です」と告げる。すると中から「入れ」と短い返事が聞こえてきた。
それを確認し、失礼しますと言って執務室に足を踏み入れる。
「どうした、ケイリオル。狩猟大会の報告か」
書類の山を片付けながら、彼はぶっきらぼうに言葉を投げ掛けてきた。
「半分正解、半分不正解です」
「……知っているだろうが、私はお前のように推理小説なんてものを読む趣味はない。回りくどい言い方をするな、時間の無駄だ」
僕だけ、彼と目が合う。
冷たく凍えきったその瞳は、僕が大好きだった彼のそれとは、随分と様変わりしている。
それでも君だから。他でもない大好きなエリドルだから。
ずっとずっと、僕は君の言葉に従ってきた。君に進言はすれど、逆らいはしなかった。
だけど──こればかりは、どうしても腹に据えかねる。
「……──何故、リベロリア王国を徹底的に滅ぼしておかなかったのですか? 中途半端に生き残りがいた事が原因で、このような事件が起きたのですよ」
腹の中でぐつぐつと煮えたぎる感情。そんなのどうせ、他者のそれを見て真似ただけに過ぎない偽物なのに。
どうしてか──僕自身の感情であると勘違いしそうな程、それに頭を支配されている。
「復讐などされたところで、私からすれば全てが些事。箸にも棒にもかからん雑魚共の憎悪など、我が首には到底届かないからな。ならばそんなものは気にする必要も、価値もない。──そうだろう?」
陛下は仏頂面に冷笑を浮かべ、同調を求めてきた。
だがこれには頷けない。僕の考えは、彼とは違う。
「だからこそ誰一人として生かしてはならなかったのです。たとえ一度は些事で済ませられようが、それが何度も重なれば面倒事となります。故にはじめから全てを滅ぼしておいた方が──……」
「後が楽だから、か?」
胸に手を当て、力説する。
しかしその途中で、彼が被せるように言った。
「いや……違うな。ただそれだけの事であれば、お前がここまで私に意見する理由が分からない。普段ならば『僕、あの時ちゃんと進言しましたよね?』と小言を言って終わりだろう」
言葉に詰まっている間にも、陛下は思考を巡らせていた。……推理など時間の無駄だと言う割に、しっかりと推理している。
僕が彼を一番理解しているように、彼が僕を一番理解しているようだ。
(まさかとは思うが、こいつ……私が本当に雑魚共の復讐で弑されるとでも思ったのか? 未だに私が死ぬ事を許さないというのか、お前は)
陛下は誤った方向へと推理を進めていく。普段ならば、こういうところも魅力の一つだと腑抜けた事を考えられたのだが……今は、そうも言ってられない。
「陛下に死んでほしくないとはずっと思っておりますが、今回は違います」
「なんだと?」
何に怒っているのかは分からないが、彼は分かりやすく不機嫌になった。
「……あの時陛下がリベロリア王国を滅ぼしておかなかったから、今回の事件が起きました。陛下への復讐の道具として、王女殿下が巻き込まれたのですよ」
アミレスが顔を負傷し、片腕を失った状態で現れた時──僕は、どうしようもなく恐怖を覚えていた。
いつかの日に見た最悪の未来かのように、彼女の体がどんどん冷たくなってしまうのかと……それを想像して、張りぼての心がはち切れそうになった。
(また、あの女の話か)
「──お前は何故、今更そのような事を申すのだ? あの女がどうなろうが構わん。復讐鬼風情に遅れをとった怠慢だ」
その言葉に、僕はカッとなって反論してしまう。
「っよくない! 彼女に──現帝国唯一の王女殿下にもしもの事があれば……!! それは間違いなく、皇室の威信に響きます!」
こんな時でも、彼の逆鱗に触れぬようあくまでも『帝国の為』と強調した。本心では、ただ彼女を思うだけなのに。
彼は帝国の平穏と発展の為に惰性で皇帝の座につき続けている。そんな陛下だからこそ、帝国の為ならばと、これまで幾度となく王女殿下に関する説得に頷いてくれた。
だから今回も、いつもの流れでいけると思った。
「……ああ、そう言えばあの女は民草に聖女だのなんだの呼ばれているんだったか。まこと面倒な存在になりよって。──だが、問題無い。あの女の有無で揺らぐような脆弱な統治はしていないからな」
でも、そうはならなかった。
「そのような簡単な話ではないのです! 彼女はもう、民にとっても世界にとっても重要な存在となった! 我々は彼女を守り育みこそすれど、害する事などあってはならないと……何故分からないのですか!?」
政治的にも、個人的にも……僕は、彼女に死んで欲しくない。
もっとずっと生きて、どうか幸せになって欲しい。やりたい事を好きなだけ楽しみ、日々を笑顔で彩られた素敵なものにして欲しい。
彼女の幸福と平穏こそが、彼女を慕う者達の望みである事も分かっている。
彼女がもし失意の中死んでしまった日には、きっと、この世界は終焉という奈落に落ち逝くだろう。
だというのに。まるで、第三者に妨害されているかのように……彼女の幸福は一筋縄ではないのだ。
以前から、その可能性は頭を過ぎっていた。でも、あまりにも非現実的だからとその仮説は頭の隅に追いやり考えないようにしていた。
だが、あのバースデーパーティーの時。僕は、神妙な面持ちのイリオーデ卿の心をつい、視てしまった。
そこで知ってしまった。──アミレスの不運と不幸の原因が天上の神々にあると。
あの時は流石に冗談だろうと思い、一笑に付したが……もっと早く、ちゃんとこれに向き合っておくべきだった。
アミレスは危険を冒す事がやけに多い。
まるで彼女への試練かのごとく、いくつもの危機がアミレスに降り注いできた。それが全て、本当に神々の所為ならば。
────神々が、アミレスを殺そうとしているのでは?
だから、ここ数年で起きた様々な事件に彼女はことごとく巻き込まれているのでは?
そうと分かっていればもっと万全の体制を整えた。狩猟大会中も彼女を一人になんてさせなかったし、僕も最善を尽くした。
だが、出来なかった。目の前に情報がありながらも推理を放棄し、現状に甘えてしまったのだ。
その結果がこれだ。彼女に何度も危険を冒させてしまった。
また──……心が握り潰されるような苦しみと、果てのない後悔に苛まれる事になりかねなかった。
今回は運が良かっただけ。これまでもきっとそう。
だが、これからもそうとは限らない。
神々が本気でアミレスを殺そうとしているのなら、きっとこの先も彼女には様々な危機が待ち受ける。
だからこそ、僕はこれまで何も出来なかったぶん、今度こそアミレスの未来を守らないといけないのに。
……──いや、違う。僕がアミレスの未来を守りたいだけなのに。
どうして、君は何度も邪魔をするんだ。
なあ────エリドル。