423.数年後の予約
私はとても悩んでいた。
先程、王女殿下が語っていた内容……彼女自身は否定していたけど、あれはナトラが言うように実体験に基づくものなのだろう。
そうでないのなら、彼女の演技力はこの場にいる者全てを騙すレベルのもの──という事になる。
まあ、その線も全然あるね。だって彼女は嘘をつくのがとても上手だから。なんというか……一般人に擬態するのがとても上手だよね、あの子は。
だから、憐れな聖人に同情してあんな言葉を口にしたという可能性もある。彼女は初めて会った時から本当にお人好しだったからねぇ。
どちらの可能性もある。故に、悩んでいた。
「ロアクリード、飲みすぎですよ。もう何杯目……というか何本目なのかしら」
「え? うーん……」
向かいに座るベールが呆れた視線を送ってきたので、私はふと机の上に視線を落とす。
そこには、既に空になったワインボトルが二本。気分を変える為にと、蒸留酒を別グラスに入れて堪能しているところ。
「三本目かなあ?」
「どうしてそんなに飲んでも平然としていられるのか、私には分かりませんわ……」
「あはは。君は意外と弱いみたいだからね」
「私は一般的──寧ろ強い方ですよ。あなたが異常なんです」
「そう? 私はただ酒が好きなだけだがね」
昔から季節問わずに、父に修行と称して魔物の巣窟に放り込まれていた。季節に関係なく寒く、危険に溢れたその空間で生き残る為には……正気を捨てるしかなかったのだ。
体温調整と、正気を捨てる為。幼い私は酒を浴びる程飲み続け、クソ親父による虐待紛いの教育に耐え続けていた。
まだ五歳の息子とかに『この魔窟で生き延びてみろ』とか言い放つ馬鹿な親が、食糧などを用意してくれる筈もなく。私は仕方無く、殺した魔物の血肉で飢えを凌いでいた。魔物の中には酒の成分を含む体液を持つモノもいたから、その体液をいい感じに加工して、魔物酒に変えては魔窟生活の間重宝していたのだ。
まあ、有り体に言えば──私は悪食だった。悪食というよりかは雑食、と言う方が正しかろうが。
魔物酒は異様に辛く、そして強かった。それをずっと飲んでいたからか……私は酒への耐性がかなりついていたし、ちょっぴり酒が好きになっていた。
ついでに、味覚がまあまあおかしくなったかな。あれだけ魔物を食べ続けていたのだから当然ではあるが、自然毒や汚染物質への耐性もついたんだ。
なので、これ幸いとばかりに私は酒を良く飲むようになった。
いやあ……それにしてもフォーロイト帝国産の酒はどれも美味しいなあ。二年前に飲んで以降一度も飲めなくて、ずっと恋しかったんだよ。この深みのある味、最高だぁ。
「うちの兄さんはとてもお酒に弱いので……あなたの飲みっぷりは見ていて気持ちいいですわ」
「僕は別に弱くない。人間の酒が体に合わないだけだ」
「それをお酒に弱いと言うらしいですよ、兄さん」
「……そんな事ない。僕だって酒の一つや二つ!」
くつくつと笑うベールに煽られて、黒の竜──クロノは私が半分程飲んでいた蒸留酒のボトルをかっ攫い、
「ちょっ、それ結構強いやつ……!」
「危ないですよ兄さん!!」
私達の制止も無視して一気にそれを飲み干した。
ダンッ! と机にボトルを叩きつけ、クロノはしたり顔をゆっくりとあげる。
「ふふふ……ほらね! 僕だってこれぐらいは余ゆ──っ!!」
「ああっ、兄さーーん!」
クロノは勢いよく椅子から落ちて雪の上に倒れ込んだ。一瞬で酔い潰れ倒れたクロノに駆け寄り、ベールは介抱を始めた。慣れているのか、彼女はクロノを抱えながら椅子に座り、自分の膝の上に乗せた。
青い顔で魘されるクロノの頭を撫でながら、彼女は困ったように小さく笑う。
「ごめんなさいロアクリード、身内の恥ずかしいところを見せてしまって」
「別に構わないよ。私の所為みたいな節もあるからね。魔物に治癒魔法が使えたら良かったんだけど……」
「魔物にとって治癒魔法──光の魔力は猛毒ですからね。私達竜種と言えども、太陽とは永遠に分かり合えないので。赤だけはその限りではないのだけれど」
ベールは兄や弟妹の話をする時、決まって柔らかく微笑む。いつもの外向きの笑顔とは違う、家族を想っての優しい微笑みだ。
穏やかな彼女らしい顔、とでも言えばいいのかな。
「ごめんね、仲間なのに何もしてやれなくて」
「いいですよ。寧ろ、私はこうして強がる兄さんを可愛がるのが好きなんです。兄さんに言ったら怒られますけどね」
「……君、やっぱりいい趣味してるねぇ」
「うふふ。褒め言葉として受け取っておきますわ」
──前言撤回。この女性もちゃんと竜種だった。そうだよ彼女はこういう性格だった。
気に入ったものをついついからかったりしてしまう、難のある性格。可愛いものはとことん可愛がりたい信条らしいのだ。
やっぱり、彼女をアミレスさんに会わせたの間違いだったかな……舞踏会でアミレスさんと踊ってからというものの、途端にアミレスさんの話ばかりするようになっていたんだよな、ベール。
あれってどう考えてもアミレスさんの事を気に入ってたよね?
やらかしたかな〜〜……これ。
後悔から浅くため息を吐き出していると、主催者として色んなテーブルを回っていたアミレスさんが、巡り巡って私の座るテーブルまで来た。
そんなアミレスさんと入れ違うようにベールは少し離れた席に向かい、いくつか椅子を並べてそこにクロノを寝かせた。どうやらきちんと介抱してあげるつもりのようだ。
よく各テーブルから離れられたな……と、意外とあっさり彼女を送り出した面々に驚きながらも、笑顔を作りアミレスさんを迎え入れる。
「やあ、アミレスさん。まさか私のテーブルにも来てくれるなんて思ってなかったよ」
「優しいリードさんの事ですから、もうお説教はされないと踏みまして」
「君は本当に人を弄ぶのが上手いねぇ〜。そんな事を言われてしまえば、もうお説教なんて出来ないじゃないか」
「ふふっ、作戦通りです」
「これは一本取られてしまったね。ささ、隣にどうぞ」
「では失礼致します」
さっきまでナトラと一緒にいたようだが、当のナトラはシルフさん達と「アミィの」「アミレスの」「「いい所選手権──ッ!」」と酒を片手に騒いでおり、こちらに来る気配はない。
ベールもいなくなってしまったので、私と彼女の二人きりになった。
なんて愚かな思考を見透かしたのか、ルティさんが彼女の背後に現れこちらを凝視してくる。『二人きりじゃないから』──と言いたげに。
初対面なのに怖いなあ。圧が強いよ。
「リードさん、お酒いっぱい飲んでますね。味わって下さっているのなら幸いです」
「本当にどれも美味しいよ! 誘ってくれてありがとうね、アミレスさん」
「いえいえ。…………なんだか懐かしいなあ、この感じ」
私の隣に腰を下ろし、彼女はふわりと笑った。
「懐かしい?」
「皆でオセロマイトに向かった時の事を思い出して……お別れもままならなかったから、リードさんと会って話せるのが本当に嬉しいなって」
「っそ、そうだね。私もまた会えて嬉しいよ」
あ〜〜〜〜〜〜〜〜っもう、本当にそういうところあるよね君は。
純新無垢な少女の笑顔に、荒んだ心は浄化された。どれだけ歳を取り大人になろうとも……やっぱりこの子の笑顔には弱いんだよなあ。
「またいつか、あの時みたいに皆で旅とかしたいなー。急ぐ必要も目的も無いのんびりな旅とか、実は密かに憧れてるんですよね」
「おや、旅に興味があるのかい? 旅はいいよ、何をしてもいいからね。好きな所に行けるし好きな事が出来る。一日中寝てたっていいし、遊んだっていい。トラブルに巻き込まれる事もあるけど、同時に色んな人とも出会える。旅は、自由そのものだ。君みたいな立場だと、特に息抜きにいいと思うよ」
君さえ良ければ旅のお手伝いをしようか──……そんな言葉が喉まで出かかった。
彼女も私も、以前とは立場が違う。彼女は今や民からも尊敬される聡明な王女で、私は曲がりなりにも教皇だ。『一緒に旅をしよう』だなんて軽率に言えなくなってしまった。
……名残惜しいな。ただのリードであればそう言い出せたのかもしれないが、ロアクリードにはそれが許されない。
「もしも私が旅をする事になったら、その時はリードさんにもご一緒願いたいですね。リードさんって旅のプロみたいだし!」
物事を深く考えない少女は、底抜けに明るい笑顔で平然と私を弄ぶ。その言葉に、私達大人がどれ程やきもきしているかも知らないで。
「……はぁ。その言葉はとても嬉しいよ。でも、本当に成長してないねぇ。愛すべきお子様というかなんというか」
あれから二年が経って、少女はより女性らしく成長した。ただでさえ無防備で、危機感のない女の子が……よりにもよってそういう部分が健在のまま、女性らしくなってしまった。
これは由々しき事態だ。彼女を慕う人達なんて、普段どれ程の我慢を強いられているのか……考えるだけでも恐ろしくなる。
本当に無防備で、無自覚で、危機感が無い。三無揃う子供なんてもうどうしようもないよ。
「お子様だなんて……私だってあと数ヶ月で十五歳ですよーだ! 背も伸びてきてるし──ええと、体もちゃんと発達してます! あとっ、大抵の人間は五分あれば確実に息の根を止められるもん!!」
「大人の条件に人間を殺せるか否かなんて項目はないんだよなあ。そんな先時代みたいな物騒な世の中じゃないよ、早く戻っておいでー」
「見てよリードさん! ほら、私ももう大人でしょう?!」
「分かったからとりあえずその胸を強調するポーズをやめようか。私だってまだ命が惜しいんだ」
ムキになっているのか、彼女はどうしても私に大人である事を認めさせようと画策する。そういうところが子供っぽいんだけどね。
良くも悪くも、自己評価が相変わらず低いみたいだなこの子は……自分の魅力ってものを未だに全く理解出来ていないようだし。
綺麗なものばかり見て生きてきたのか、人間が誰しも醜穢な欲望を持っているという事に気付いていない。
君の周りには、まだ十四歳の少女に対してあまりにも重い愛情を向ける人ばかりだ。取り返しがつかなくなる前に早く気付くといいなぁ。
「はっ、お酒は大人の証と言いますし私がここでお酒をぐいっと飲めたら……」
「駄目で〜〜す。十四歳の子供が酒飲んじゃ駄目に決まってるでしょう?」
「なんでですか!」
私にはこんな事を言う資格はないのだけど、目の前で子供が暴走しようとしているのなら止めるのが大人の役目だ。
「酒は大人になってから。君がちゃんと大人になったら、その時は一緒に朝まで飲もうね」
「むぅ……ちゃんと大人になれるかも分からないのに、そんな約束出来ませんよ」
…………ちゃんと、大人になれるかも分からない? ──ああ、そういえばそうだった。彼女は父兄に疎まれているんだったな。その兄の方は、なんだか関係も改善されているようだけど……問題は皇帝の方か。
だけど君は、死にたくないんだよね。
夕焼けに照らされながら、一人で静かに泣く彼女の姿を思い出す。
私が教皇になると決意するきっかけとなった、幼い少女の痛切な独白。あの日の彼女の涙や言葉を思い出して、私の口からは自然と言葉が飛び出していた。
「──なれるよ。君は大人になれる。私達が……絶対に、君の夢を叶えてみせるから。だからそんな悲しい顔をしないで。君は、笑った顔が一番素敵なんだから」
沈んだ彼女の顔をそっと上げ、語りかける。
聖人とかいう男の所為で少しばかり目的を見誤ってしまっていた。
私の一番の目的は──彼女の幸福の一助となる事。
死にたくないなんて当たり前の事で苦しみ、体を丸めて嗚咽する少女が……もう二度とそんな事で泣かなくて済むように、私達が君を守り、支えるから。
だからどうか苦しまないで欲しい。君には……たくさん笑って、楽しい毎日を過ごしていて欲しいんだ。
「リード、さ……」
「だからほら、約束しよう。いつか君がちゃんと大人になった時──二人で酒を飲んだり、煙草を吸ったり、賭博なんかもありかな? ふふっ、大人にしか許されない事をたくさんしようじゃないか。君と、僕で」
酒や賭博はともかく、煙草は余計だったかな。彼女の保護者連中に怒られそうだな〜〜、こんな風に喫煙教唆をしたと知れたら。
「……はいっ! 色々楽しみになって来ました。頑張って、大人になってみせるね。リードさん!」
少女は嬉しそうに笑った。
ああ、そうだ。私はこの笑顔が見たかったんだ。
どこか迷いを感じられるけど、こうして彼女の約束を取り付ける事が出来た。ならば、やるべき事は定まったも同然。
──彼女が無事に大人になれるよう、私に出来る限りの事を尽くそう。
……ようやくスタートラインに立てた気分だ。
ここまで来たら、もう国際問題になろうが知った事ではない。元来私は私の為に生きているんだ、国民や世界を私の自己満足に巻き込もうがどうだっていい。
私は、私が定めたゴールまでただ突っ走るのみ。
彼女の……幸せになって天寿を全うするという────ありきたりでありふれた、ごく普通の幸福な夢の為に。
私は障害を薙ぎ払いながら、走り続けよう。
幕間シリーズはこれで折り返しになります。
そして、作者の諸都合で数日程更新お休みをいただきます。申し訳ございません。




