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420.今日の紅茶は美味しいな。

 ──訳が分からない。

 何もかもが意味不明で、理解不能で。

 理解が追いつかず放心するとはこの事なのか、と思ったぐらいだ。


 何故、我が妹は国教会の聖人やリンデア教の教皇と親しいんだ?

 国教会の聖人の事は、まだ分かる。僕の誕生日にも彼と妹は顔を合わせていたと、ジェーンも言っていたからな。

 リンデア教の教皇はなんなんだ。何をどうしたら、東の大国の指導者とそこまで打ち解けるんだ。


 ……駄目だ。妹について、僕の知らない事が多すぎる。

 ジェーンにも調べさせてあいつについて色々と知ろうとはしているが、それでも僕は妹を知らなさすぎる。妹の好みだって、可愛いものを好む事しか知らない。

 あいつは僕の好みを把握しているのに、だ。


 ただでさえその事で不快な気持ちになっているというのに──魔王だと? あの悪魔が行方不明となっていた魔王だと言うのか?

 しかもその魔王は妙に妹を気に入っている様子。やたらと妹に触り、その度に精霊やあいつの従者達から殺意を向けられているようだが。

 どうせなら、そのまま殺し合ってくれればいいのに。

 さすれば僕がこうして気を取られる事もなく、男共に群がられる妹を見て苛立ちに胃を突っつかれる事もなくなるだろうから。


「なあ、アミレスの兄とやらよ。我、お前に聞きたい事があるのじゃが」


 紅茶の上澄みを啜っていると、妹の侍女と思われる子供が仁王立ちで話しかけて来た。

 以前ならばこの尊大な態度に腹を立てていただろうが、今は我慢するしかない。あいつはやけに仲間に甘い傾向にある。あいつの仲間相手に威圧的な態度を取れば、妹から僕への印象を悪くする恐れもある。

 ならば、致し方あるまい。面倒ではあるがどのような茶番にも付き合ってやろう。


「妹の侍女が、僕に何を聞くつもりなんだ」

「ふん、内容は至極単純。お前はアミレスの事をどう思っておるのじゃ? 以前のお前からは、あやつに向けられた殺意が溢れておったが……今のお前のそれは何かが違う。殺意よりも厄介で面倒な何かじゃ」


 勘がいいな、この子供。……いや、本当に子供なのか? 子供にしては、この者の纏う雰囲気があまりにも異質すぎる。


「我はアミレスの為ならば何だってすると決めておる。それでアミレスに嫌われる事になるのだとしてもな。だからお前に確認したいのじゃ。──お前がアミレスを不幸にする存在だったならば、我は動く。たとえ……アミレスに止められようとも」


 やけに鋭い黄金の瞳を見開き、背筋を剣先でなぞられるような悪寒を与えてくる。これで確信した。この子供は──人間ではない。

 あいつの周りには精霊やら悪魔やらがいるんだ、今更人間じゃない者が増えていてもなんらおかしくはない……が、気に食わない事には変わりないな。


「妹を不幸にするつもりは無い。寧ろ、僕なりに妹を幸せにしてやろうと考えているぐらいだ」

「なぬっ……?! 確かに、嘘をついているようではなさそうじゃが……にわかに信じ難いな。どういう心変わりなのじゃ」

「──兄が妹を愛するのに、何か理由が必要か?」


 目つきの悪い少女を見下ろし、言い放つ。


「……うわ、なんじゃこやつ」


 少女は顔を顰めてボソリと零す。妹主催の茶会でなければ、即座に不敬だと処罰していたぐらいの反応だな。

 その後、妹の侍女は兄だとか姉だとか呼んでいた男女の元に向かい、僕はまた一人で紅茶を嗜む。しかし……どうして誰もこの会場について疑問を抱かないのか。

 どう考えたっておかしい。会場内だけ暖かく雪も降っていない。会場の外では先程勢いが増した大雪が空をも白く染め上げているというのに、この会場は上空に青空が広がっている。本当にどうなっているのか。

 会場はあいつが用意したとの事だが……悪魔や精霊の力を借りたのだろう。そうでなければ説明がつかないな、この状況は。


 もう何杯目かも分からない紅茶を自分で入れては飲み干して。本気で悪魔を殺そうとしている者達と、逃げ回る悪魔。字面だけ見ればこの地が荒廃してもなんらおかしくないような状況なのだが……植物は謎の障壁によって守られ、テーブルやその上の紅茶にスイーツもまた謎の障壁によって守られている為か、一切被害が無い。

 たまに暴れ回る連中の放った魔法が無差別に飛んで来るが、氷の壁を作ればどうとでもなる。


 妹からの茶会の招待という事もあり、仕事を巻きで終わらせて来たのだが……あまり茶会らしくない茶会だな。

 茶会と名のつくものに参加した覚えが全く無い僕でも分かる。これは普通の茶会ではないと。こんな乱闘騒ぎが茶会の筈がない。

 いつも僕が誘っていたからな、ようやくあいつも自ら茶会を用意して僕を誘ったのだとばかりに思っていたのだが……まさかあの時の社交辞令の茶会だったとは。

 また今度、兄妹水入らずの茶会を計画させなければ。僕が招待してもいいのだが、たまには僕も招待されたい。互いに茶会に招待しあってこそ、仲のいい兄妹というものだろうからな。


「兄様、ちょっと匿って下さい!!」


 一人で静かに紅茶を飲んでいると、妹が血相変えて飛んで来るやいなや僕の足元に隠れた。そして僕のマントの裾を掴み、懇願するようにこちらを見上げて来る。

 なんなんだ、急に。匿え、とはどういう事なのか。


「皇太子殿下! 姫様がこちらにいらしたでしょう、姫様を差し出してくださいませんか?」

「まだ彼女への話が終わってないんですよ」

「アミレスったら、耳が痛いのか説教から逃げちゃってさー」


 妹が走って来た方向から、ララルス侯爵とジスガランド教皇と塵芥(ゴミ)野郎──……ごほんっ、カイル・ディ・ハミルがやって来た。

 そう言えば、この愚かな妹は先程の軽率な言動について説教されていたな。限界を超えたのか、ついには逃げ出して僕の元に来たと……僕に縋る程、説教が嫌なのか。

 ふ、これは新たな発見だな。


「悪いが……妹はこれから僕と、森林地域の開拓とそれに伴う居住地域開発及び山岳地域で発見された腐乱病について、議論しなければならないんだ。元より議論する必要があったのだが、生憎と予定が合わなくてな。説教などいつでも出来るだろう、今は忙しいから後にしろ」


 皇族は忙しいんだ。と言葉に出さずとも目で語る。彼等は僕の対応にたじろぐも、流石にこれに食い下がる事は出来なかったらしい。後ろ髪を引かれる思いで、彼等は大人しくこの場を後にした。

 そろりそろりと顔を出し、追手がいなくなった事を確認した妹はホッと一息ついて、


「ありがとうございます、兄様。助かりました」


 何故か立ち去ろうとする。


「どうして移動しようとしているんだ? これから議論するのだから、早くそこに座れ」


 だから僕はそれを阻止した。すると妹は目を丸くして調子外れな事を宣う。


「……え? あれってその場しのぎの言葉じゃ」

「何故僕がそのような嘘をつかないとならないんだ。事実、あの件についてはお前の見解も聞こうと思っていた。丁度いいだろう、そこに座ってお前の意見を聞かせろ。紅茶も入れてやる」

「は、はあ……めんどくさいな……」

「声に出てるぞ」

「いいえ何でもございません!」


 別に横の席でも良かったのだが、妹はわざわざぐるりと机の周りを移動して向かいの席に腰掛けた。空いているカップに紅茶を注ぎソーサーに置いて差し出すと、「どうも……」と軽く頭を下げながら受け取り、ぎこちない動きでカップに口をつけていた。

 そんなにも僕が紅茶を入れる事が意外なのか。毒殺の不安を除くならば、これが一番効率的だっただけなんだが。


「ええと……森林地域の開拓とそれに伴う居住地域開発及び山岳地域で発見された腐乱病について、でしたっけ? それなら──」


 ソーサーにカップを置いた途端、妹の顔がガラリと変わった。たまに見る皇族らしい顔、とでも言うのだろうか……全然やる気が無かった割にスラスラと自分の意見を述べる姿は、やはり異質さが際立つな。

 貴族会議で義務教育制度等について熱弁していた事も踏まえ、まだ十四歳である事を考えると、相当優秀であると認めざるを得ない。


 ──そうか、まだ、妹は十四歳なのか。

 来年の二月にようやく十五歳の誕生日を迎える……が、恐らくアミレスの誕生パーティーは行われない事だろう。あの父上が、母上の命日にパーティーを行う事を許す筈がない。

 こればかりはいくらケイリオル卿が説得しようとも無理な話だろう。

 ……だが、そうだな。良い兄というものは妹の為に行動するものだろう。ならば僕が、国を挙げてのパーティーとはいかずともそれなりのパーティーを企画すれば…………あいつは、喜んでくれるだろうか。

 下がりに下がった僕への印象を、少しは良くしてくれるだろうか。僕を兄として、もう一度愛してくれるだろうか。


「……──という感じで。腐乱病に関してはあくまでも致死率が高く、且つ臓器の腐敗を促進するような菌が体内で発生する病であると私は考えますので、健康な死体と腐乱病感染者の死体の解剖を行いその辺の研究を…………って、兄様? 私の話、聞いてます?」


 ムスッとした顔で、妹がこちらを睨んでくる。


「ああ、聞いていたとも。貴重な意見、参考にさせて貰おう」

「聞いてたならいいですけど。それより兄様、もし良ければもう一杯いただいてもいいですか?」

「……別に構わないが、お世辞にも上手いとは言えないだろう。僕の紅茶を入れる技術というものは」

「まぁ、その……」


 いつの間にか空になっていたティーカップを受け取り、その上で大きめのティーポットを傾ける。その間妹はもにょもにょと口を動かし、視線を泳がせていて。


「兄様が紅茶を入れてくれる事なんて、そう滅多にないので……この機会に、味わっておこうかなーと……」


 恥ずかしがっているのだろう。少し、耳を赤くしている。

 ……はあ。相変わらず我が妹は愚かだな。


「いつでも、飲みたいと言えばいい」

「──はい?」

「お前が望むなら、いつでも入れてやる。こんな味の薄い紅茶でも良ければな」

「…………お忙しい兄様にそんな事させられませんよ」

「僕がいいと言っているのだから遠慮しなくていい。どうせ、いつも仕事中は自分で入れているんだ。今更一人分増えたところで誤差の範疇だろう」


 勝手に口角が釣り上がる。城で文官達が話していた『愚可愛い(おろかわいい)』という概念について理解した気がする。確かに少し馬鹿な一面のある妹が、可愛いと思えたのだ。

 薄い紅茶が並々注がれたティーカップをもう一度差し出す。妹は、「アリなのかな……」と呟きつつ困惑した様子でティーカップを傾け喉を鳴らしていた。

 そして、僕もまた同じように紅茶を口に含み、思う。

 いつもはただ喉を潤す為だけに紅茶を飲んでいたが……これからは一応味にもこだわってみるか。今日帰ったら、ジェーンに紅茶の入れ方でも尋問しよう。


「──そうだ、兄様。ただの世間話なので出来れば怒らないで欲しいんですが」

「そのような前置きをするとは、何の話をするつもりなんだお前は」


 妹が口火を切った途端、嫌な予感というものが僕の背にぴったりと張り付いた。


「婚約者とか、やっぱり決める気がないんですか? お世継ぎ問題をどうするおつもりなのか、ちょっとだけ気になってまして。ええと、その……そもそも兄様に性欲ってあるんですか?」


 紅茶が喉に詰まるかと思った。

 一体、何を聞いてくるんだこの女は? 茶会で聞くような事ではないだろう?

 冬染祭以降、僕への態度がほんの少し軟化した事は素直な進歩と言えるだろうが……なんだ? 妹は普段友人と、このように頓痴気な会話ばかりしているのか?? それを僕にもするようになった──つまり、あいつとの距離が縮まった事に喜ぶべきなのか?

 いやこれは素直に喜べないだろう。あまりにも内容が酷い。


「──妹よ。相手が僕でよかったな、世間一般的には無礼にあたる話題だぞ。そもそも皇太子相手に性欲がどうのと聞くなんて……帝国に混乱を招く気か?」

「仕方無いじゃないですか。誰もが気になってるんですよ、兄様の婚約者はどうなるんだろうって。社交界では、兄様への明らかな侮辱が尾ひれのついた噂として広まりつつありますし」

「……お前も、それを真に受けたのか」

「そんな事はないですよ。ただ妹として、兄様の将来が気になっただけです」


 婚約者か。国母を務められるような女であれば、正直誰でもいい。何せ元より世継ぎを作る相手、程度にしか興味が無いからな。…………まあ、こんな僕に必要な際にきちんと機能する欲が備わっているか──そう、周りが不安になる気持ちも分かる気がする。

 僕自身、見ず知らずの女相手に欲情し、行為に及ぶ自分の姿が全く想像出来ない。

 何せ、僕の欲望というものは全て────。


「兄様が否定しないから悪いんですよ。婚約者はともかく、ちゃんとそっちは否定しておかないと」


 僕は、今、何を考えていた? どう考えても……今、僕は妹の事を……。


「あぁ……そうだな。そういう事なのか、これは」

「え? 急にどうしたんですか?」


 気づきたくないものに気づいてしまい、慌てて紅茶を喉に流し込む。

 混乱と高揚と安堵(・・)が混ざり合うからだろうか。

 味の薄い紅茶が、とても濃く感じる。


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