369.魔物の行進5
「そうなんですか。ふぅん……王女殿下の私兵……王女殿下が直々に雇った実力者って事…………?」
お兄様が神妙な面持ちで何かをブツブツと呟き続けているけれど、ほとんど聞こえない。
口元に手を当てていらっしゃるから、読唇術でどうにかする事も出来ない。
お兄様が何を呟いているのかが気になってしまい、暫くそちらを眺めていると、
「もしかして、テンディジェル公子ですか? 皇太子殿下より話は伺っております。まさか、かの帝国の盾の頭脳をお借り出来るとは!」
帝都近郊戦の現場指揮を務める方が、お兄様の姿を見て駆け寄ってくる。
「ああ、はい。俺がレオナード・サー・テンディジェルです。次期テンディジェル大公として、微力ながら帝都の安全の為に力を尽くさせていただきます」
「何と心強い事か! 是非とも、その知恵を我々にお貸し下さい!」
現場指揮の方がお兄様を連れて行く。
お兄様の実力がたくさんの人に認められて嬉しいな。でも、私だけのお兄様じゃなくなって……少し寂しいな。
少しだけモヤモヤする気持ちを振り払い、気を取り直してアミレスちゃんの為に歌おうと一歩踏み出した時だった。
「──レオナードの妹もいたのか」
背中に氷塊を押し付けられたような寒気。
恐る恐る振り向くと、そこにはアミレスちゃんとそっくりで、だけど何もかもが違うとても冷たい人がいた。
「っ皇太子殿下! こうしてお会いするのは先日ご挨拶に伺わせていただいた時以来ですね。ローズニカ・サー・テンディジェルがご挨拶申し上げます」
「…………お前達は、とても似ているな」
「え?」
ビクビクしながらもなんとか挨拶すると、皇太子殿下がどこか切なげな面持ちでそう呟いた。
思わず疑問が漏れ出たのだけど、皇太子殿下は「いや、何でもない。気にするな」と言って私の横を通り過ぎて行ってしまわれた。
「何だったんだろう……」
そうぽつりと言葉が零れ落ちると、
「フンッ、あの若造はいつ見ても鼻につくのぅ」
「ほんとにねぇ。あんなクソガキの所為でおねぇちゃんが苦労してると思うと胃がムカムカするわー」
私の両隣で、ナトラさんとシュヴァルツくんが唾を吐いた。どうやら皇太子殿下はアミレスちゃんの周りの人達からかなり嫌われているらしい。
でも、どこからどう見ても二人の方が皇太子殿下より幼いように見えるんだけど……やっぱり二人共何かの亜人なのかなぁ。
まだ亜人らしい亜人と会った事がないから、一目見ただけでは全然分からないや。
「それはそうと。ねぇ、アンタはおねぇちゃんの為にここに来てんだろ? ならちゃんと役目果たせよ」
「これシュヴァルツ。こやつもかれこれ暫く歌い続けておって、喉を休めておったのじゃぞ。無理をさせてもし喉が壊れでもすれば、こやつの護衛を任された我の責任になってしまうではないか」
「ぼくそんなのし〜らな〜い。おねぇちゃんさえ無事ならそれ以外の事なんざどうでもいいもんねぇ」
「うわ、なんじゃこやつ。お前の方が鼻につくんじゃが?」
ナトラさんとシュヴァルツくんがバチバチと火花を散らす。
その仲裁にと、私は勢い良く挙手した。
「あのっ、私歌えます! アミレスちゃんの為ならいくらでも歌います!」
小さな子達のつぶらな瞳が私の顔をじっと捉えている。
純金のような黄金の瞳と満月のような金色の瞳。似ているようで似ていない、どこか不思議な──……まるで作り物のようなその瞳に見つめられ、固唾を呑む。
「まぁ、おねぇちゃんの為に身を粉にするのは当たり前だよな」
「そうじゃな。だが無理はするでないぞ? 我、後でアミレスに怒られたくないからの」
この子達はアミレスちゃんを中心に物事を考えている。
この子達だけじゃない。アミレスちゃんと関わりがある人は皆──アミレスちゃんを世界の中心だと認識している節がある。
でも、その気持ちはよく分かる。
私だってそうだから。何をするにもまずアミレスちゃんの事が頭を埋め尽くす。
一秒たりとも、彼女へと恋焦がれる事をやめられないのだ。
あの日……私達の居場所になると笑ってくれたあの時から、私の世界の中心はアミレスちゃんになった。
狭い世界に閉じこもり、義務や使命感に囚われて、大好きだった歌う事すら辛く苦しいものに感じていた私に、救いの手を差し伸べてくれた人。
とっても大好きで、ものすごく愛おしくて。
これが最初で最後の恋だと確信出来てしまうような、私のとっても大事な宝物。それが何よりも大切で、優先すべき存在になるのは自明の理というもの。
目が覚めるように眩しく、つい目を奪われてしまうような色鮮やかな私の初恋。
もう、あなた無しでは生きられない。
このときめきを失っては、私はきっと息が出来なくなってしまうの。
だからどうか、どうか。
これから先もあなたを好きでいさせてください。
「ふぅ……」
深呼吸をして、拡声魔導具を構える。そして私はもう一度歌った。
最愛のあなたへ贈る、癒しの歌。
どうか、アミレスちゃんが少しでも元気でいてくれますように──……。
♢♢
魔物と戦いはじめてから、どれくらい経っただろうか。
次から次へと押し寄せてくる魔物達。今のところは、どれも取るに足らない弱さだから大抵一撃で倒せるのだけど……何せ数が凄まじい。
兵士達や諜報部の人達に私兵団の皆、更には私達も戦っているというのに、魔物は増え続ける一方。
一体何がどうなってるんだと思いつつ、ローズの支援やレオの采配に助けられながらずっと剣を振り続けていた。
魔物の返り血を全身に浴びて、血なまぐさくなってきた頃。
これまでの魔物達とは毛色の違う、明らかに強そうな魔物が虚空に突如として出現した。
それに気づいた時、私は別の魔物を刺したばかりだった。だが、そのような私の事情を魔物が考えてくれる筈もなく。
魔物は迷いなく私目掛けて攻撃を放って来た──が、しかし。その攻撃は、私の目の前で瞬く間に氷と化して砕け散った。
私、まだ何もしてないのに。一体何が……。
「戦場で何を呑気に立ち尽くしているんだ、お前は」
フリードル……!?
白い息を吐きながら、フリードルが悠然とこちらに向かって歩いて来る。
どうやら、先程のあれはフリードルによるものだったらしい。だがしかし、この男は皇帝から統帥権を与えられて机に縛り付けられている筈……何でこんな場所に?
「……別に立ち尽くしてなんていません」
フリードルの登場に少し動揺しつつも、魔物から白夜を抜いて剣についた血を振り落とす。
「まあ、なんでもいい。そのマントを羽織っているという事は──お前も、皇族としての役割を果たしに来たのだな」
「そうですが、何か問題でも?」
「ふ、逆だ。たまにはこういった戦闘も面白いかもしれないと思ってな」
フリードルが意味不明な事を口走り、気味悪く微笑を浮かべている。
この男が何を考えているのか分からない。
懐疑的な目でじっとフリードルを睨んでいた時、ふと背後にいくつもの魔物の気配を感じた。だがそれらはフリードルによって氷塊へと変えられ死に絶える。
少しばかり後ろを振り向き、予備動作無しに全てを凍結させる氷の魔力の恐ろしさに唖然としていたのだが……そんな私の肩にフリードルが冷たい手を置いた。
何事かと体を飛び跳ねさせ、慌てて距離を取る。
するとフリードルはぽかんとした顔で固まり、
「ふっ、はは……何だ? 猫か何かなのか、お前は」
何故か笑い出す。
暫く、冷酷な魔王かのような笑い声をその場に響かせて、フリードルがようやく落ち着きを取り戻したかと思えば、
「アミレス・ヘル・フォーロイト。僕に背中を預けろとは言わない──ただ、この国を守るべく共に戦うぞ」
この男はまた理解不能な事を宣った。
フリードルの変化についていけないのだが……その言葉には激しく同意する。この国を守る為には、確かにフリードルと力を合わせて共に戦った方がいいだろう。
でもまさかそれを、フリードルの方から提案されるとは…………本当に変わったんだな、フリードルも。
「分かりました。ああそうだ。兄様、私の足を引っ張らないで下さいね」
「ほぅ、言うようになったな。お前こそ僕の邪魔にはならないでくれよ」
まさか、こんな日が来るなんて。
フリードルの隣に立って、剣を構えて、同じ方向を見て共通の敵に立ち向かう。そんな──……ゲームの最後の方にあったイベントのような状況が、私達に訪れるなんて。
八年前の私に言っても、きっと信じてもらえないんだろうな。