365.魔物の行進
魔物の行進発生から、早くも二週間が過ぎた。
既に世界各地でその被害が出ており、人々は眠れぬ夜を繰り返していた。
それは、白の山脈と隣接した地である程明確であった。我がフォーロイト帝国のように軍事力に優れた国ならいざ知らず、その他の軍事力では劣る国々にとってこれは紛う事なき災害。
その為、友好国からはどうか兵士を派遣して欲しいという要請がいくらか届き、驚くべき事にフリードルはその要請全てに応えた。
帝国騎士団及び帝国兵団の人員合わせて三割程を国に残し、残りの七割から実力者ばかりの遠征隊をいくつも編成し、救援を要請して来た各国へと空間魔法を使って送り込んだ。
我が帝国には帝国の盾率いる妖精に祝福された者達がいるし、帝国の剣率いる新たな騎士団偃月騎士団だっている。
それに、近衛騎士団や各家門の私兵だって国に残っている。
加えて──何故か皇帝自らがディジェル領に向かい、白の山脈から出てきた魔物で血の海を作り上げているそうだ。
だからこそ、我が国は白の山脈と大きく面した国であるにも関わらず、他国に戦力を割く余裕があるのだ。
皇帝から統帥権を委任されたフリードルは、まず初めに魔物の出現報告の多い地域を重点に、近衛騎士団や国に残った騎士を派遣した。
そして、救助や避難や簡易住居の用意などの為にシャンパー商会と手を組み、各地へと物資を継続的に送る算段を立てたらしい。
シャンパー商会を動かす為に、フリードルは有力貴族達──ララルス侯爵家とオリベラウズ侯爵家とフューラゼ侯爵家と協力して、帝国議会で保身に走る者達を黙らせ国庫をも解放させる事に成功した。
魔物の行進の被害を被った国民を救済すべく、目が眩みそうになる大金をシャンパー商会に約束し、シャンパー商会の倉庫を解放させたらしいのだ。
シャンパー商会が膨大な物資の保管された倉庫を解放し、必要な物を必要な場所に提供すると宣言して実際に行動に移したからか、依然として戦う者達の士気も高いまま。
海からの脅威に関してはアルブロイト公爵家の私兵、白雨騎士団と港町ルーシェを根城とする組織スコーピオンが抑え込んでいるらしい。
そのお陰なのか、まだ二週間程しか経ってないからなのか……どちらなのかは分からないが、今のところフォーロイト帝国内の被害はかなり抑えられている。
これらは全て、皇帝から統帥権を与えられたフリードルの采配だった。
正直、いやかなり、驚いた。
まさかフリードルがここまで国民の為に動くなんて。と開いた口が塞がらなかった程だ。
国民達から徴収して来た血税をきちんと国民達へと還元するなんて、本当に予想外だった。
まだ二週間程しか経ってないが、既に巷ではあのフリードルが良き統治者とかなんとか呼ばれているぐらいだ。
……私が変わったように、フリードルも変わってきてるって事なのかな。本当にそうだったらいいのにね、と自分の胸に──精神世界の奥底に眠るアミレスへと語りかける。
「主君、ご報告が。帝都近郊の魔物討伐には諜報部の者達があたっていたのですが、一週間程前から妙に魔物の数が倍増しているらしく、流石に応援が欲しいなどと嘆いておりました。尻を叩いて来ましょうか?」
様子見から戻って報告に来たかと思えば……元同僚相手になんて事言うの、この子は。
「そんな事しちゃ駄目よ。でも、そうね……応援が必要なら私が出ようかしら。どうせそのうち戦いに行かされるのなら、早いうちから行っておけば被害も減らせるでしょうし」
「っ、なりません! 主君が前線に出るなど……!!」
「でも戦える人が前線に出た方が良くない?」
「何が起きるやも分からぬ状況で、もし万が一御身に何かあればどうなさるのですか?」
「でも、貴方達がいるじゃない。私だって死にたくはないし、ほどほどに気をつけるわよ」
「ですからそういう問題では──!」
アルベルトと軽い言い合いになる。相変わらず心配性だなあと思っていたら、傍に控えていたイリオーデが珍しく会話に割って入ってきて。
「お言葉ですが、王女殿下は我々私兵団の事をお忘れなのですか?」
その言葉に、私は唖然としてしまった。
「私は王女殿下の騎士ですが……同時に、あの私兵団の一員でもあります。ですので私兵団を代表して、進言させていただきたく思います」
「進言……?」
「我々は、貴女様の兵となったあの日からずっと──貴女様の命で戦う覚悟は出来ております。ですのでどうか、我々をお使い下さい。ただ一言、貴女様に『魔物と戦え』と命じられたならば……我々は喜んでその命令を遂行致します」
イリオーデは堂々とした口調で言い切った。
私兵団の皆が、イリオーデのような変わった人じゃない事ぐらい私だって知っている。本当は戦いなんて得意じゃない人がいる事だって分かっている。
それなのに。イリオーデはそうする事が当然かのように、私兵団全員で危険を冒すと言った。
私よりもずっと長い間、彼等と共に暮らして来たイリオーデが。私よりも遥かに彼等を理解しているイリオーデが。
彼の強い意思の篭った凛々しい瞳が、それがまるで私兵団の総意かのように錯覚させてくる。
「……分かった。帝都を守る為に、私兵団の皆にも戦って貰いましょう」
アルベルトとイリオーデがどこかホッとしたような表情になる。
だがここで私は、でも、と言葉を続けた。
「私も出るわ。この国の王女として、私は民を守らないといけないもの」
ここまでハッキリと、これ以上は私も引き下がらないと主張したからか、二人はここで押し黙り静かに首肯した。
善は急げと言う。
早速、以前体の成長に合わせて新調したシャンパー商会製の特注軍服に着替え、フォーロイト家の紋章が入ったマント──皇族専用のマントを羽織る。
侍女達に頼み、邪魔にならない程度に王女らしい髪型にセットして貰った。何故なら私は、これから『帝国の王女』として戦場に立つから。
愛剣白夜を腰に帯び、新たに貰った短剣を懐にしまう。
準備を終え、うっとりするような表情の侍女達に見送られながら私は部屋を出た。
ミシェルちゃんの村が心配だが、多分その辺はカイルが何とかしてくれている事だろう。そもそも、今はそんな他所の事を心配している余裕なんて無いし。
とにかく私は、この国を守る為に私に出来る限りの事をしなければ。
「──だーかーらァッ! お前が魔界の扉を閉めれば全部丸く収まる話だっつってんだろ!? お前の不始末でこうなってるんだからお前が責任持ってなんとかしろよ!!」
「ぎゃあぎゃあうるさいなぁ。さっきから言ってるけど無理なものは無理。だいたい、誰かさんの呪いの所為で力を根こそぎ持っていかれたから、今の僕には魔界の扉に干渉するだけの力なんて残ってないし。もう一度干渉するにはあと百年はかかるんじゃないかな」
「はぁあああああああっ!? マジでふざけんなよお前!!」
玄関へと向かう途中の事だった。シュヴァルツとクロノが唾を飛ばす勢いで言い争っているのを私達は目撃した。
シュヴァルツがなんだか凄く荒れ狂っているわ。
なんとなく、実はかなり口が悪いのを私達の前では抑えてるんだろうなとは思っていたけれど……想像以上に悪かったわ。
「責任云々と僕に問うならまず君が自分の役割を果たせよ、穀潰し」
「アァン? 何だとこのクソ野郎」
「あにうえー。シュヴァルツー。やかましいぞー」
シュヴァルツを見下すクロノと、頬を引き攣らせてクロノを睨むシュヴァルツ。そんな二人を少し離れた所から退屈そうに眺めるナトラ。
その光景に呆気に取られていると、
「む、アミレス──その格好はなんなのじゃ?」
こちらに気づいたナトラが駆け寄って来る。
留守番を言いつけられた幼子のような表情で見上げてくるナトラに、思わず心臓がキュッと締め付けられた。
きっと、私の心配をしてくれているのだろう。