364,5.ある者達の意向2
♢♢
「おい、無能国王はいるか?」
ハミルディーヒ王国の王都にある城。その一室に、扉を蹴破り一人の男が入室した。
毛先の色素を失った黒い髪に、紅く鋭い瞳。珍しく貴族らしい服装に身を包んだ辺境伯、アンヘル・デリアルドのあまりにも乱暴な登場に、兵士達が困惑の中で剣を構えた時。
バサバサバサァッ、と紙の束が床に落ちる音が。
「──アンヘル!?」
実兄であり王太子であり若くして時期国王となったキールステン・ディ・ハミルの手伝いをしていて、偶然その場に居合わせたカイルが目玉が飛び出そうな程驚愕する。
「ん、何だおまえ。誰だよ」
「アッ……えっと、俺はカイル・ディ・ハミルって言いますぅ〜〜」
「何こいつ、ヘラヘラしてて気色悪いな」
攻略対象とのまともな初対面という事で、カイルはペコペコと低姿勢で名乗った。しかしアンヘルの反応はいまいち。
膝を突いて天を仰ぎ、「自己紹介ミスったぁあああああああああああああ」とカイルは頭を抱えて叫んでいた。
うるせぇなこいつ。と軽く引きながらも、アンヘルは叫ぶカイルを尻目に執務机に座る男──キールステンの前へと歩を進めた。
「無能国王はいないのか?」
そして、同じような言葉をもう一度口にする。
爵位としては伯爵位であるものの……ハミルディーヒ王国とフォーロイト帝国の国境付近の広大な領地を治める辺境伯にして、ハミルディーヒ王国の発展に貢献して来た吸血鬼伯。
王家より、かの家の魔導兵器なくしてこの栄光は無いとまで言われる程の血筋。
故に、デリアルド家の人間は王族に対しても多少の無礼は黙認される。あくまでも多少だが。
アンヘルのそれは割と度を超えているのだが、何せ五百年程前にデリアルド伯爵家の吸血鬼の大半が突然死を果たし、今やその一族の持つ技術の秘奥と知識を継ぐ者はアンヘルただ一人となってしまった。
下手にアンヘルに死なれては、ハミルディーヒ王国としても多大なる損害を被る事となる。なので、アンヘルがどれだけ社交活動をサボり怠け国王による召喚さえも無視しようとも、彼は注意を食らうだけで罰せられる事はなかった。
それは今も変わらず。
アンヘルが子を成すつもりが全く無いと宣言した以上、王家はアンヘルの態度を許さなければならない。アンヘルの機嫌を損ねては、魔導具も魔導兵器も作って貰えなくなってしまうから。
「……父は、少し前から蟄居している。なので父に代わり、継承順位一位の僕がこうして父の仕事をしているんだ」
「ああー……前にそんな感じの事を執事が言ってたような気がするな。まあ国王じゃなくても、今現在王権を持ってる奴なら誰でもいいんだがな」
面倒臭い。と顔に書いてある。
そんなアンヘルの顔を見上げ、キールステンはおずおずと口を開く。キールステンも兵士達もカイルの奇行には慣れているので、特にそれに触れる事無く話を進めたのだ。
「デリアルド伯爵、今日は何の用なんだ? 滅多に領地から出て来ない貴方が、呼び出してもないのにわざわざ城に来るなんて……ただ事ではないのだろう」
キールステンの葡萄鼠の瞳がアンヘルの紅い瞳を捉えた。
守るべき国と、民と、家族がある。
その思いから既に王としての風格というものを備えつつあるキールステンに、アンヘルは少しばかり感心した。
「単刀直入に言う。魔物の行進と思しき異常事態が発生した。どうやら、白の山脈から魔物が溢れ出しつつあるらしくてな。さっさと対策しないと南部領は全滅しちまうから、こうしてわざわざ言いに来てやったんだ。感謝の証としてスイーツを寄越してくれてもいいんだぞ」
あまりにもアンヘルがあっさりと話すものだから、その場に居合わせた者達は……初めは理解が追いつかなかった。
「なっ……なんで魔物の行進が今起きるんだよ!?」
だがしかし。誰よりも早く、カイルが反応する。
ふざけるのをやめて、カイルは真剣な面持ちを作っていた。その顔には冷や汗がいくつも滲んでいて。
「そんな事俺が知るか。とにかく魔物の行進の対策ぐらいちゃんとしておけよ、次期国王とやら」
役目を果たしたとばかりに、アンヘルは踵を返して退室した。どこまでも自由な男である。
当然、残されたカイルとキールステンは頭を抱えた。特にカイルに至っては、本来よりもずっと早く発生したそれに平常心を失っているようだった。
(俺達が色々と展開を変えて来たからか……?! だからこうして魔物の行進が早まったのか? もしこれに合わせてゲームの開始まで早まったら…………本編の時期がズレて、ワンチャンあるかもって思ってたマクベスタルートの海辺デートイベが起きねぇかもしれねぇじゃん!! アミレスとデートしてるとこを出歯亀するのめっちゃ楽しみにしてたのに!)
アミレスは真剣に思い悩んでいたというのに、この毎日推し活オタクはまったくの平常運転だった。
「……──ル。カイル、どうすればいいと思う? 僕一人じゃあいい案が思いつかなくて。おまえの意見も聞かせて欲しいんだけど」
「っえ? ああ、うん。分かった一緒に考えるよ……」
どこか物憂げなカイルを見て、キールステンは眉尻を下げる。
(カイルは大人しくて平和主義な子だ。魔物の行進なんてものが起きていると知って、怖がっているんだろう……カイルがもう一人で我慢して傷ついたりする事がないよう、僕が兄としてカイルを守らないと)
盛大な勘違いである。
無能な振りをし、猫を被っていたカイルをキールステンがそのように認識していても決しておかしくはないのだが……だとしても美化フィルターが何枚もかかっているような。
王太子として幼い頃から周りの期待に応え続けなければならなかった彼にとって、どんな姿を見せても笑って受け入れてくれる気の良い弟とは、それ程に可愛い存在なのだろう。
若き秀才と呼ばれる王太子と無能と呼ばれる隠れた天才王子による様々な対策が、後に魔物達の猛威から国を守る事となるのであった。
♢♢
「父上、お呼びでしょうか」
皇帝陛下の執務室の扉を叩いたのは、皇帝直々に呼び出されたフリードルであった。
その部屋では珍しくエリドルが一人だけで待っていた。
いつもなら隣に見える側近の姿が、今は無い。その事に違和感を覚えながらも、フリードルはエリドルの執務机の前に立つ。
そして、フリードルが部屋に入ってくるやいなや、エリドルは話を切り出した。
「今日お前を呼び出した理由は言うまでもなく、来たる魔物の行進に関してだ。お前も、これの発生を予見していたのだろう。だからこそお前に大役を与えんと、こうして呼び出したという訳だ」
淡々と、絶対零度の声が言葉を紡ぐ。その一言一言が、フリードルには呪いのようにも感じられた。
(本当に、かの災害が発生してしまうとは。起きたとしてももう少し先の話と思っていたんだが……)
「──は、何なりとお申し付け下さい。父上」
個人的な興味で調べていた事柄が、現実となった。その事に不安を抑えきれないものの、生憎と弱音を吐く暇など彼には無い。
国の為、民の為。皇太子たる彼は、その身を粉にしてただ前へと進む事しか出来ないのだ。
「此度の戦いにおける騎士団及び兵団の指揮──我が帝国の統帥権を、お前に委任する。次期皇帝として最善を尽くし、我が国の為となる采配をせよ」
「───ッ!」
フリードルは、思わず息を呑んだ。
(まさ、か……たかだか十六歳の僕に、統帥権を委任するだなんて。だが、これが父上から僕に寄せられた最大級の期待なのだとしたら。僕がすべきは、ただ一つ)
幼い頃を忘れ、物心着いた頃より次期皇帝として冷酷な環境で生きて来た彼にとって、エリドルから寄せられた期待というものは、事実上初めてとも言える父親からの愛だった。
それになんとか応えようと、フリードルは決意を固くする。
「そのご期待に応えられるよう、フリードル・ヘル・フォーロイトの名にかけて──……必ずや、この国を守り抜いてみせます!」
胸に手を当て、フリードルは宣誓した。
その後も少しばかり魔物の行進に関する話を続け、話が一区切りついた頃。
フリードルは、躊躇いがちにエリドルへと質問を投げかけた。
「差し支えなければお伺いしたいのですが……ケイリオル卿はどちらに行けばお会い出来るのでしょうか。少し、彼に相談事がありまして……」
「ケイリオルは数日程前から反逆者への粛清の為、エンデメンス領並びにその共犯のバルサンコ領へと向かっている。相談事とやらは彼奴が帰って来てからにすれば良い」
「そうですか。では、そのようにします」
ここで部屋を後にしようかと考えたフリードルであったが、ふと、思い止まる。
「重ねてお伺いしたいのですが」
「何だ」
「……父上は、この魔物の行進の間──どうなさるのですか?」
しんと静まり返る室内。
予想外の質問に、死角を突かれたかのように固まって、エリドルは小さく呼吸だけを繰り返していた。
三十秒程、彼は少しだけ目を丸くしてフリードルの瞳を見つめていた。
あるいは、幼い頃の自分とよく似た顔の、息子と呼ぶべき少年を見つめているのやもしれない。
「私は魔物の迎撃に出る。ディジェル領は先日の騒ぎで人出が足りてないだろうからな」
「父上自ら戦場に……!? ──っだから、僕に統帥権をお与えになったのですか」
「その通りだ。国の事は任せたぞ、フリードル」
「はい。お任せを」
そして、フリードルが早速魔物の行進対策班の設置等に向かった後。
エリドルは幾度となく人を斬った愛剣を手に立ち上がった。椅子に掛けていたマントをはためかせて、彼もまた部屋を後にする。
帝都北部の外れにある、宮廷魔導師達の集まる魔塔と呼ばれるもの。
厩舎で愛馬に跨り、エリドルは一人でそこへ向かう。
その道中。無情の皇帝は、静かに瞳を細めていた。
(……──今度こそ、私もお前の元に逝けるといいのだが)
その皇帝は死にたがっていた。
どうにかして、誰かの手で殺されたかった。
自死も、最善を尽くさない事も許されない彼にとって、戦争は自分を殺せる者と出会う為の手段に過ぎない。
此度の魔物の行進とて、エリドルにとっては死ぬ為の手段の一つでしかなかった。
もはや王位になどなんの興味も執着も無い彼は、早くから皇帝の業務をフリードルに経験させ、統帥権を与えて国民からも認められるよう仕向けた。
念願叶って自分が死ぬ事が出来たのならば──その後の事を、全てフリードルに任せる為に。
瞬間転移を扱える魔導師に命じ、その身と剣一つでフォーロイト帝国における魔物の行進の最前線とも言えるディジェル領へと転移した。
そして、無情の皇帝は十数年ぶりに戦場の怪物に変貌する。
戦場の怪物として最善を尽くしてもなお、己を殺してくれるような──……そんな強大な存在が現れる事を信じて。
今、狂乱の宴が幕を開ける。
人ならざる異形の魔物達に許された数百年に一度の収穫祭────魔物の行進が、久方振りに人間界へと猛威を振るう。