363.嵐は突然訪れる3
「──魔界が食糧難だから人間界に食糧を求めて侵攻し、人間達を襲う。それが魔物の行進の真相だったのね」
アミレスはその顔に影を落とした。長い睫毛の形に生まれた影が、彼女の寒色の瞳に暗雲を立ち込めさせる。
その暗雲の中で、ふと、疑問という名の嵐が小さく巻き起こった。
(食糧を求めて人間界に侵攻してきた魔物達が、どうしてゲームではあっという間に魔界に戻ったの? ミシェルちゃんの住んでる村が魔物の群れに襲われて、その際にミシェルちゃんの加護属性が発現して九死に一生を得る。でも、それはあくまでのその村だけの話で…………)
何かが頭に引っ掛かる。だが、それが何なのか彼女には分からなかった。
(何で、ゲームではあのプロローグ以降魔物の行進の話が出なかったの? 十年近く続くような災害が、そんなたかが半月とかで終わる訳ないじゃない。なのに何で、どうして、あの世界では魔物の行進が終わったのよ)
彼女にはどうしてもそれが分からない。否、誰にも分かる筈がなかった。
正史では数ヶ月先の未来にて魔物の行進が発生するも、僅か数週間にてそれは終息した。
それがまさか、神々の気まぐれで魔界の扉が無理矢理閉ざされたからだなんて────今はまだ、誰にも分からない事だった。
「……とにかく。魔物の行進が発生した以上、おねぇちゃんが戦いに巻き込まれる可能性は高い。狂った運命率の事を抜きに考えても、精霊達の考えは正しかったって事になるね。相当愚かな王でなければ、国に一人いれば幸運ってレベルの精霊士を魔物共の餌にしたりしないだろうから」
そしてシュヴァルツは天使のような紅顔を険しく歪め、怒りを込めて愚痴を吐く。
(オレサマが言って、魔物共が大人しく引き下がるかどうか……そもそも今は神々に捕捉されないようオレサマは大人しくしてねェとならねェのに。ああもうッ、全部あのクソ災害野郎の所為だ!!)
彼の中で立てられていた予定が大きく狂わされた事により、その怒りの矛先は原因の一端たるクロノへと向けられた。
しかしクロノには全くもってそのような自覚が無く……シュヴァルツにどれだけ睨まれようとも、
(こっち見るなよ)
冷めた目で一瞥するだけだった。
これが、世界最古の生物──純血の竜である。
「ねぇ、シルフ」
混沌とした空気の中、ここでアミレスが一石を投じんと動き出した。
その顔には不安と迷い、そして覚悟のようなものが浮かんでいて。その顔を見て、シルフも真剣な面持ちを作り「うん、何?」と返事をする。
「その……もしも既に決まった未来があって、そのうちの一つ──仮に、今回はその魔物の行進が確定していた未来の一つだったとして、それが早まった事でその後の決まっていた未来が変わる事は……あるのかな」
言葉を探りながら、アミレスは必死にその不安を伝えた。
一つ言葉を誤ってはその瞬間に彼等に伝わらなくなるかもしれない───。
そんな不安や恐怖に怯えながら、彼女は何とか言葉を紡ぐ。
(…………そう言えば、アミィはさっき『どうしてもう魔物の行進が発生するの』って言ってたけど、もしかしてこの子は──……この先の未来を知っているというのか?)
そのもしもの可能性に気づき、シルフは戦慄する。
もしも、アミレスが未来を知る存在だと言うならば……これまでの彼女の不可解な行動にも妙な説得力が生まれてしまう。
オセロマイト王国が呪いに侵された時、アミレスが単独行動でその原因を解決したのだが……それは神の啓示によるものと本人が語った事を、シルフは後にマクベスタ達から聞いた。
だが、神の啓示など有り得ない。神々にも相当数の制約があり、一個人にその声を届ける事は本来不可能だからだ。
それを知るからこそシルフは、神の啓示以外の何らかの方法をもってアミレスは様々な事情を知り得たのだと判断し、しかしてその方法を導き出すには至らなかった。
だが、それが未来を知っていたからと仮定すれば。
(この先の未来で起きる様々な事を知っているから、あの子は……その持ち前の責任感とお人好しで、いつもいつも危険を顧みないのか!)
齢六歳にして、将来父や兄に殺されると断言した。
アルベルトとサラ──エルハルトを奇跡にも近い偶然を装い再会させた。
大公領の内乱を部外者の中では誰よりも早く予見して、何とかしようとその身を費した。
勘や直感による言動と言うにはあまりにも的確すぎるそれらが、アミレスが未来を知る人物だからと言うのなら。
ああ、どうしても。
一度考えてしまったが最後、そうとしか考えられなくなってしまう。
(アミィだけじゃない。確か、前にカイルも未来がどうのって言ってた。二人揃って世界から何らかの干渉を受けているが……それが、未来を知る者の共通点って事なのか?)
思い出されるは、カイルとの初対面。
胡散臭い笑みと軽い口調の見知らぬ男。そんな子供が突如として口にした、『未来予知』という言葉。
これに気づいた時。シルフの脳内には、雷が走っていた。
「……シルフ? もしかして聞こえてなかったのかしら。どうしよう、どう言葉にすれば伝えられるの……?」
思考を激しく巡らせていたシルフは、アミレスからの質問を忘れてしまった。それ故にあまりにも返事が遅いものだから、アミレスは不安を覚えてしまったらしい。
その声に引っ張られるように、シルフの意識は彼女へと向けられる。
「っ! あぁ、ごめん……ちょっと考え事してて。ちゃんとアミィの声は聞こえてたよ、安心して」
「そうなの? なら良かった」
「それで、ええと。未来が変わるかどうか……だよね」
改めてその事について考えを巡らせ、シルフは「あくまでボク個人の意見にすぎないけど」と前置きして口を切った。
「その物事の重要度合いにもよると思うけれど、基本的には既に決められた筋書きを逸れる事は無い……と思う。多少の誤差や変化はあれども、それこそ魔物の行進規模の出来事であればそうそう無くなったりはしない筈だよ」
「未来とか過去とかは俺達の専門外なんで、姫さんの望むような答えが出せなくて……すんません」
シルフに続かんとエンヴィーが申し訳なさそうに眉尻を下げると、
「そうなんだ……難しい事を聞いたのにちゃんと考えて答えてくれてありがとう」
その表情を見て、アミレスは深く頭を下げた。
(決まった未来はそうそう変わらない……なら、早まる事はあるかもしれないけれど、ミシェルちゃんが進む道次第で何が起きるかは分かる。ゲーム本編で起きたイベントを──……色んな死亡フラグを叩き折る事だって出来る!)
つい先程まで不安や恐怖に染まっていた寒色の瞳は、今や強い覚悟と使命感で上塗りされていた。
未来を見据える瞳が、凛と鮮やかに輝く。
自分の幸せが何か分からない彼女にとって、一番そうだと思えるものは大切な人達の幸せだった。
故に、アミレスはハッピーエンドの為に奔走する。
死ななければいい。
死以外の全てを許容し、彼女はその身を犠牲にして運命に抗う。この先の未来に待ち受ける数々の死亡フラグをぶち壊して、彼女なりの幸せを掴み取る為に。
(──王女殿下。例え何が待ち受けようとも、私は貴女様に付いて行きます)
ゆっくりと上げられたアミレスのその顔を見て、イリオーデは改めて誓いを胸に抱く。
自ら困難に立ち向かおうとするただ一人の主の征く道を切り開き、そしてその大願を成就させるべく……騎士は、二度の誓いを糧として王女の剣となるのだ。