358.伯爵家のパーティー3
「はじめまして、メイシア・シャンパージュです。テンディジェル大公家の方々とお会い出来て嬉しいですわ」
笑顔が怖い! そう、レオナードとローズニカは小さく喉笛を鳴らした。
メイシアはその可愛らしい顔に営業スマイルを貼り付けていた。勿論、目は全く笑っていない。
彼女の中に突如舞い降りた嫌な予感というものが、彼女を厳戒態勢へと引き上げたのである。
つまり──最初から臨戦態勢という事だ。
「こ、こちらこそ。シャンパー商会には以前よりたいへんお世話になっております。俺はレオナード・サー・テンディジェルです……王女殿下直々に『帝都に来て』とお誘いいただき、帝都にやって参りました」
だがレオナードも負けてはいない。
以前の卑屈なレオナードならこのように反論出来なかっただろう。
しかし、今の彼は違う。アミレスの影響で自分に自信が持てるようになったレオナードは、何となく喧嘩を売られている事を理解してその喧嘩を買うような真似が出来るようになっていたのだ。
「……アミレス様直々に、ですか。それはもう、とても優秀な方々なのでしょうね」
「シャンパージュ嬢にそう仰っていただけるとは、社交辞令でも嬉しいですね。俺はともかく、妹のローズの歌を王女殿下がお気に召して下さったとかで……どちらかと言えば、友達としてお招きして下さったものとばかり考えてます」
「友達として…………」
メイシアがボソリと呟くと、その瞬間会場の室温が五度ぐらい上がったような錯覚を覚えた。
しかし気の所為かと思い直すぐらい、それは本当に瞬く間の出来事だった。
わざとらしくアミレスとの関係性をほのめかして来たレオナードに、メイシアは確かに苛立ちを憶えた。しかし、それは刹那のうちに鎮火されたのだ。
(友達だから何? わたしはアミレス様直々にお嫁さんにしたいって言われたんだもの、たかがお友達程度の立場で満足するような人達、わたしの敵ではないわ)
メイシアはとても強かった。メイシアから喧嘩を売って、レオナードにそれを買われての舌戦だったが……この通り、メイシアが戦線から退く事でこの戦いは終着した。
業火の魔女、メイシアは考える。
そもそも土俵が違うのだから、わたしがこうして目くじら立てて相手をしてさしあげる必要もないのでは? ──と。
薔薇姫、メイシアは考える。
この方達へは軽い牽制程度で済ませるべきよ。だって、ディジェル領は大きな取引先だもの。──と。
そして、メイシア・シャンパージュは考える。
ぽっと出のこのお二人より、マクベスタ様の方がずっと危険な恋敵だわ! さっきだってさり気なくアミレス様に触れて……っ! ──と。
この少女はとても、自分の恋に素直でひたむきだった。
「アミレス様のお友達なのであれば、わたしも是非、仲良くしていただきたいのですが……よろしいでしょうか?」
先程までとは打って変わり、メイシアはとても明るく柔らかな口調で話した。それにまた肩を跳ねさせ、二人はおずおずと頷いた。
(アミレス様のお友達と親しくしておけば、きっとアミレス様はお喜びになる。なら、わたしはアミレス様の笑顔の為にこの方々とも仲良くならないと)
ニコニコと。決して笑みを絶やす事無く、メイシアは思考を巡らせる。その際熱の篭った表情でちらりとアミレスの方を見たのだが──、
「マクベスタ、あのケーキも美味しそうじゃない? 後で食べましょうよ」
「そうだな。向こうのスイーツも美味しそうだぞ、アミレス」
「わぁ、本当ね。流石シャンパージュ伯爵家のパーティー……!」
「イリオーデ、ルティ、もし良かったらケーキをいくつか見繕って来てくれないか? この通り、見てたら色々と食べたくなって来たんだ」
「それもそうね。頼んでもいいかしら、二人共?」
アミレスの意識は、いつの間にか明後日の方へと向けられていた。
(なっ──! マクベスタ様め〜〜っ!!)
それは、アミレスがメイシアの紹介を終えたばかりの頃。
彼女達がバチバチと火花を散らし始めたばかりの時に、マクベスタがサラッとアミレスの意識を立食用テーブルに向けさせたのだ。
そして二人で遠くのテーブルを眺めつつ、あれ美味しそうだね。と談笑していたのである。
しかもこの男、何気にイリオーデとアルベルトをアミレスから引き離そうとしていた。なんという強かさか。
「王女殿下のお望みのままに。先程仰っていたものをお持ちすればいいのですね?」
「ええ、皆の分もよろしくね。あっそうだ、自分の分もちゃんと取ってくるのよ? せっかくなら皆で食べたいし」
「主君がそう仰るなら……かしこまりました、すぐ戻って参ります」
マクベスタの画策通り、護衛の二人がアミレスの傍を離れた。しかし作戦が成功したにも関わらず、
(相変わらずお前は、皆、皆って……まあ、そこがお前らしいんだが。あわよくば二人で、と無駄に策を巡らせたオレが滑稽じゃないか)
マクベスタは胸中で愚痴を零していた。だがその表情はどこか柔らかい。
画策が無駄になったというのに、マクベスタは少し嬉しそうだった。躁鬱になってからは暗く澱んでいたその瞳が、熱を宿して細められている。
見る人が見れば分かるだろう──、この時マクベスタがたたえていた微笑は、彼女に恋焦がれる人間のそれなのだと。
それを、あのメイシアが見逃す筈もなく。
「マクベスタ様、ちょっとあちらでお話よろしいですか?」
義手でマクベスタの肩を鷲掴み、青筋の浮かぶ黒い笑顔でメイシアは声をかけた。
「別に構わないが、その手を離してくれないか? 肩の肉が抉れそうなんだが……」
「あら、なんの事でしょうか?」
メイシアがわざとらしくニコリと微笑むと、
「二人で何か話があるなら、私がここから離れようか? 主催側のメイシアがあまり会場を離れる訳にはいかないでしょうし」
何も知らないアミレスが、ここで急に気を利かせた。いやはや、察しがいいのか悪いのか……。
「いえっ、大丈夫ですわアミレス様! それに少し会場から離れても、ここにはお父さんとお母さんがいますし。とにかく、こちらのむっつり──……ごほん、狼男をお借りしますね」
「そうなの? まあ、行ってらっしゃい」
「はい、行って参ります。ほら行きますよケダモノさん」
狼男? と小首を傾げるアミレスに見送られ、メイシアはマクベスタの腕を強く引っ張りずんずんと進んでいく。
その際も勿論義手で強く腕を掴んでいたのだが、マクベスタはそれを特に気に留める様子もなく、小さく「ケダモノって……」と呆れたように呟いていた。
そんな二人の背中を見つめながら、アミレスは思う。
(私の知らないうちにあんなに仲良くなっていたとは……嬉しいな……)
それはまるで保護者のような慈愛に満ちた微笑みだった。
そこに、怖い恋敵がいなくなった事で自由となったレオナードとローズニカが避難するようにやって来た。
「アミレスちゃんのお友達って、皆凄い人だね……色んな意味で……」
ローズニカはアミレスの腕にぎゅっと抱き着いて、ボソリと初対面の感想を零した。誰も彼もが初対面から攻撃的で、彼女にとってかなりの衝撃だったらしい。
一方その頃。テラスへと出たメイシアとマクベスタは、秋風に当たりながら神妙な面持ちを作っていた。