355.冷酷なる血筋4
「──急にお兄様が私に優しくなって、怖かったんです。今まであんなにも私を嫌ってらしたので」
イリオーデの背中からおずおずと顔を出して、何とか気持ちを言葉にする。
するとフリードルは少し目を丸くして、
「……数年前、急に僕に悪態をつくようになったお前がそれを言うのか」
柔らかく瞳を細めた。その口元も、僅かにだが弧を描いているように見える。
まるで、ゲームでミシェルちゃんに心を許し始めたばかりの頃のフリードルのようで……私は、言葉が出て来なかった。
「傷はさっさと治すに限る。早く行くぞ」
「えっ、あの、ちょっと……!」
いつもの仏頂面に戻ったかと思えば、フリードルは私の手首を掴んで歩き出す。目の前の衝撃映像に唖然とする令嬢達を置いて、私達はその場を後にした。
本当に同じ人間なのかと問いたくなるような冷たい手。だけど、数年前に引き止める目的で腕を掴まれた時と違って……掴まれている場所は全然痛くない。
私、また強くなったのかな。
そんな事を考えながら、フリードルに引っ張られるまま歩いて行く。イリオーデとアルベルトは眉根を寄せているものの、大人しく後ろを着いてきているようだ。
やがてフリードルの執務室に辿り着いた。道中、すれ違った人達が化け物でも見たかのような顔で二度見三度見して来てたな。
フリードルの執務室は案外散らかっていて……その書類の多さとフリードルの疲れの残る顔、そして何故か常備されている下位万能薬から、本当にフリードルが皇太子として忙しない日々を送っている事が見て取れる。
フリードルが引き出しから下位万能薬を一本取り出し、「飲め」と短く言って手渡して来た。
それを受け取ると、フリードルはそそくさと机に戻り書類と睨めっこを始めたのだ。
本当にただこれを渡したかったのか……? と、下位万能薬に視線を落とす。手渡されたものはいたって普通のもの。まあ、もし毒とか入ってても私には効かないんだけどね。
「……ん、ちょっと苦いわね」
手渡された下位万能薬を一気に飲み、味に文句をつける。いつも思うんだけど、薬ってもうちょっと甘い方がいいと思うのよね。絶対その方が飲みやすいし。
良薬口に苦し。これぐらい我慢しろって事なのかしらねぇ。別にこの程度の苦味、私は全然大丈夫だけど。
「こうしてご挨拶するのは初めてですね。わたくし、殿下にお仕えしておりますジェーンという者です。以後お見知りおきを」
「「っ!?」」
突然、私の目の前に物腰の柔らかい一人の男性が現れた。気配が全く感じられなくて、イリオーデとアルベルトが目を点にして驚いていた。
勿論私も驚いているのだが、それ以上に……。
「ああ、お噂はかねがね。兄様の優秀な右腕と聞き及んでおります。初めまして、アミレス・ヘル・フォーロイトです」
「ご丁寧にどうもありがとうございます、王女殿下。ああそうだ、お近づきの印に少しお耳を拝借しても?」
「耳? えぇ、どうぞ」
「では失礼しまして……」
出会い頭で随分と距離の近い人だな。と思いつつ、ジェーンさんに耳を貸す。
「実はですね。何らかの用事があって王女殿下がこちらまでいらっしゃったと聞いて、殿下はわざわざ部下の報告を中断して会いに行ったんですよ。『あいつが何をしに来たのかは分からないが、とりあえず迎えに行って連れて来るか』と言って」
フリードルがわざわざ会いに来た? 私に? というかこの人演技力高っ、モノマネ上手すぎない??
「信じられないとでも言いたげな顔ですね。分かります、俺も信じられなかったので。本当に、フフっ……面白──いえ、目まぐるしい変化ですよね〜〜」
なにわろとんねん。
フリードルの右腕ってだけで怖いイメージあったけど、この人もしかしてかなり愉快な人なのでは? フリードルの右腕なのに? こんな緩いタイプなんだ??
「……兄様は私の事が嫌いな筈なんですけど」
「あぁ、成程……殿下はまだ何も言ってないんですね。殿下ってばもう、せっかく俺がお膳立てして差し上げたのに!」
ジェーンさんは大きなため息をついた後、フリードルに駆け寄って何かを耳打ちする。その直後、フリードルが出した氷の剣を喉元に突きつけられていた。
いや何してるのあの人。
いつの間にか消えた右手の傷に気付かぬまま、私はその光景を眺めていた。しかしふと、本題を思い出した。
ハッとなり、アルベルトから魔導兵器を受け取ってフリードルに声をかける。
「お取り込み中に失礼します。お兄様、例の件の答えを出しましたので──……」
私の考えた案の概要と魔導兵器の説明を軽く済ませて、その上でフリードルにこの案はどうかと提案する。
黙ってるとやっぱりちゃんと攻略対象なんだよなぁ……こうやって顎に手を当てて考える姿なんて、ゲームで見た立ち絵そのものだ。
呑気に観察していると、程なくしてフリードルの青い瞳がこちらに向けられた。
「お前の案は理解した。しかし、一つ疑問が残る。何故そのような貴重な魔導兵器をお前が所持しているんだ?」
ギクッ、と肩が跳ねた。
「……以前、知り合いからいただきまして。持て余していたので、このように使える機会が訪れて良かったです」
ミカリアから貰ったなんて言えないよね。だって相手は国教会の聖人様よ? 聖人様直々に誕生日プレゼントを貰うなんて、もうめちゃくちゃ親密な関係みたいじゃない。
私とミカリアの関係なんて、ごく普通の友人関係なのに。
「そうか。だが、人からの貰い物を僕に預けてもいいのか」
魔導兵器を手に持ち、フリードルは配慮するような言葉を口にした。
それにこくりと頷いて、
「えぇ。お兄様なら悪用するような事はなさらないでしょうから。ああでも、貰い物なので壊さないで下さいね」
壊さないように念押しした。フリードルは「分かった」とだけ短く答えて、その魔導兵器を机上に置いた。
「お前の案も採用しよう。瞬間転移では限界があると、魔導師達にも言われたからな……念の為確認しておくが、お前もこの件に関わる意思があると見ていいのだな?」
「はい。そのように思っていただければ。必要であれば、私の部下も動員します」
「そうか、お前達の事も頭数に入れておこう。ふ、無謀極まりない計画に光明が差した気分だな」
これにて無事に例の件への回答が済み、ついでに先程の悪役令嬢っぽい集団の家門を全員で把握する事となり、二十分程してフリードルの執務室を後にした。
何だか今日のフリードルは様子がとても変だった。何が変だったのかと言われると全てとしか答えられないぐらい、とにかく変だった。
でも……もし、これからもずっとあんな感じに関われたのなら。
普通の兄妹のように会話して、過ごす事が出来たなら。
……──それが一番、幸せなんだけどなぁ。
♢♢
「今日の主君……凄く良かったよね」
「いつも素晴らしいが、今日の王女殿下も相変わらず素晴らしかったな」
その日の夜。
イリオーデとアルベルトは厨房で軽く酒を飲んでいた。
たまにではあるものの、彼等はこうして、誰もが寝静まった深夜に酒を飲みながらその日の事について語り合っているのだ。
「あの──神が人間を見下すかの如き目と、吹雪のような冷たく恐ろしさすら感じる声。不謹慎とは分かっていても、つい……思い出すと興奮してしまいそうだ」
アルベルトが熱っぽいため息を吐く。恍惚としたその顔は、下腹部から湧き上がるその情熱にうなされているかのようで。
「……そうだな。どう表現すればいいのか分からないが、背筋をなぞられたとでも言えばいいのだろうか。とにかく、いつもとは違う何かを……興奮に近いものを感じたな」
グラスを片手に、イリオーデはアルベルトの意見に同意した。どうやらイリオーデまでもが何か良からぬものを感じてしまっていたらしい。
酒も入っているからか、二人は和気藹々と大人の話をする。アミレスには決して──何があろうとも聞かせられないような……踏み込んだ夜の話を。




