312.薔薇の君へ、花車を2
「ごめんね、待たせてしまって。それで今どんな感じなの? もしかしてもうバドクラ求婚イベント始まってる?!」
「バドクラ……? 王女様は難しい言葉を知ってるんだな。ええと、バドールは夕方頃にレストランを予約してるらしくて、多分そこでクラリスに求婚するんじゃないかって、ユーキが言ってた」
「レストランに行くまでの間、二人でデートするんだってさ。だから、まだあと暫くは余裕があるよ」
シャルとシアンの説明を聞いて、私は肩を撫で下ろす。どうやらまだまだ焦る必要はないらしい。
それにしても、レストランでプロポーズか……いいじゃない、定番ね! きゃーっ、なんだか楽しくなってきたわ!
「よし。デートウォッチングよ! 持てる隠密技術を全て駆使して、二人を尾行するぞーっ!」
「「「おー!」」」
先程までの不機嫌と打って変わりやたらハイテンションな私を見て、イリオーデがぽかんとした顔をしていた。
私が拳を天に突き上げると、皆も真似して同じように拳を天に突き上げる。こうして、下世話な私達のデートウォッチングは始まるのであった。
♢♢
極度のお節介王女、アミレスとそれに巻き込まれた面々による尾行は順調に進んだ。
お洒落をし、肩を寄せ合って一つの傘に入り和気藹々とデートに興じるバドールとクラリスを、アミレス達は陰からこっそりと眺めていた。
色んな店に入っては、恋人らしく楽しむ二人。そんな二人をこそこそと尾行し、行く先々で普通に買い物もしつつ、こちらもまた楽しくデートウォッチングに勤しんでいた。
「現在時刻は五時……レストランに入るならばそろそろでしょうか」
懐から懐中時計を取り出し、イリオーデが時刻を確認する。
「私達もどうにかしてバレないように入店しないといけないわね……」
「ほうらは。ほれはひも、れふほはんひはいらはへへは」
「シャル兄、噛んでから喋ってよ。何言ってるか分かんない」
もぐもぐと撤収直前の屋台で買った肉串を頬張る、アミレスとシャルルギルとルーシアン。彼女達はデートウォッチングのついでに、完全に休日を満喫していた。
「ぼく、少しだけなら認識阻害する事も出来るけど……それ使ってレストランに入る?」
同じく肉串を頬張るシュヴァルツが、ここで何とも都合のいい提案をする。
(まァ、やろうと思えば完璧に認識されないようにする事も可能だが……そこまでやれば、この世界から存在が抹消されたような感じになるしな。個人の識別が出来なくなる程度の阻害でいいだろ)
パクッと残りの肉を食べ、飲み込む。口の端についたソースを舌で舐める片手間で串を燃やして灰にした。
腹の底で色々と考え込むが、シュヴァルツは決してそれを表に出さない。その時が来るまで、アミレスの前ではきちんと猫を被り続けるらしい。
「シュヴァルツ、そんな事まで出来るの?」
「えっへん、ぼくってば最強だからね!」
「最強……ふふ、そうね。シュヴァルツは最強だわ!」
アミレスが可愛らしく笑う。それを見て、シュヴァルツは一瞬顔を強ばらせた。
(クソ……やっぱ、コイツ相手って何かやりずれェなァ…………)
真正面から普通に褒められて、シュヴァルツは一瞬たじろいだ。基本的にゴーイングマイウェイなシュヴァルツでも、アミレス相手だと調子を狂わされるのである。
もっとも……それは一重に、彼自身がいたくアミレスを気に入って、無意識に彼女へ執着するようになっているからなのだが。
この悪魔は、そのような事を決して認めない。本当は気づいているのに、気づいていないフリをして無意識下にそれを押し込んでいるのだ。
「ごほんっ。それじゃあ、認識阻害だけ先にやっておくよ」
わざとらしく笑みを作り、シュヴァルツは手を差し出した。その手を見つめながら一同が首を傾げると、
「ぼく達もお互いに認識出来なくなったら駄目だろ? だからね、触れ合って発動する必要があるんだ」
シュヴァルツが軽く説明した。それを聞いて納得したようで、アミレス達はシュヴァルツの指を一本ずつ触った。
なんで指……? と少し疑問を覚えつつ、シュヴァルツは魔法を発動する。一瞬、全員の体がほの暗い灰色の光に包まれた。
そして静かに魔法の発動が終わり、実感が湧かないまま繋いでいた手を放した。本当にちゃんと魔法がかけられたのか、と疑心暗鬼になったらしいルーシアンが、アミレスに提案する。
「姫、一回変装やめてくれないかな?」
「えっ? うーん、まぁ……シュヴァルツが言うにはバレないらしいし……私も気になるから、別にいいか」
ルーシアンの提案に同意を示したアミレスは、傘をイリオーデに預けて変装をやめた。銀髪をしまっていた帽子を取り、分厚い眼鏡も外す。
雨の日で視界が悪く、傘もあるとは言えども……その隙間から見える雨よりも美しく輝く銀髪は、やはり目立つ事だろう。
しかし、今この時だけは違った。シュヴァルツの魔法によって、周囲からのアミレスへの認識が阻害され、銀髪諸共その人物を識別出来なくなっているのだ。
故に──誰も、アミレス・ヘル・フォーロイトに気づかない。
「凄い……本当に誰にも気づかれてないわ」
「シュヴァルツの魔法、本当だったんだ」
眼鏡は胸元にかけ、帽子はポケットにしまって。アミレスは変装をする必要がなくなった事に、感嘆の息を漏らした。
それに続くように、ルーシアンも目を丸くする。
しかしここで、そんな二人に向けてシュヴァルツが補足する。
「魔法の効果はだいたい二時間しかもたないけどね。やり過ぎるとちょっと問題が起きるから、基本的には出来ないものと思ってほしーなぁ」
今後これを頼られても困る、という旨の発言をシュヴァルツがすると、アミレスは「分かったわ」と大人しくそれを了承した。
その後、バドールとクラリスが求婚実行予定と思しきレストランに入ったのを確認し、シュヴァルツの魔法を信じて尾行チームも堂々とレストランに入る。
どうやらバドールは二階の窓際の席を予約していたようで、真っ直ぐにそこまで通された。しかしアミレス達は飛び込みの客。
上手いこと二階に行けるか……とイリオーデが不安に思った矢先、アミレスはシュヴァルツに目配せをして、二人は頷きあった。
「ねぇねぇ、おねぇちゃん! ぼく、二階でごはん食べたいなぁ!」
「あら、そんな無理言っちゃ駄目よ。お店の方に迷惑じゃないの」
「やだやだー! だってお外から見えたんだもん! 二階の窓の近くにすっごく綺麗なお花があるの! ぼくあのお花を見ながらごはんがたーべーたーいー!!」
「こら、静かにしなさい。ごめんなさい店員さん、うちの弟がご迷惑を……」
突然始まった寸劇に、イリオーデはあんぐりと口を開いていた。しかしそれをアミレスは許さない。
「お兄ちゃんからもこの子に言ってあげて。せっかくこんないいお店でご飯を食べられるのに、そんな我儘言っちゃだめって」
「…………ッ?!」
(──わたっ、私が、お兄ちゃん?!)
イリオーデは見事に寸劇に巻き込まれた。上目遣いに困ったような表情。当然アミレスの全てに弱いこの男にはクリーンヒットした事だろう。
その裏では、アミレスは苦労人の長女のような演技でそれ相応に苦痛を味わっていた。
(うっ……やっぱりこの体はフリードル以外を兄と呼ぶ事を拒絶するのね……頭と胸が凄く痛いわ)
決して演技を崩さない辺り、流石は鍛え抜かれた皇族の演技力と言うべきか。
それはともかく。突然寸劇に巻き込まれたイリオーデは非常に戸惑っていた。
(私如きが演技とは言え王女殿下の兄を名乗ってもいいものなのか? いやしかし、王女殿下自らがああ仰ったのだ……与えられた配役を完璧にこなす事、それだけが今の私が考えるべき事だ)
自分なりに納得のいく考えに至り、いざ演技しようとしたその時。店員が、おもむろに口を開いたのだ。
「お客様、そういう事でしたら二階席にご案内しますよ。まだ何席か空いておりますので」
どこか嬉しそうな声音で、店員がそう提案してくる。
「わぁーい! やったー!」
「こら騒がないの……ありがとうございます、店員さん」
この悪魔と王女、抜かりない。最後まできちんと演技を貫き通すつもりらしい。
「いえいえ。小さなお客様にあそこまで褒めていただいて、応えぬ訳にはいきませんからね。では、ご案内します」
そう言って、店員は歩き出した。向かう先は勿論二階。シュヴァルツ、アミレス、ルーシアンの順でその後ろを着いて行ったのだが、イリオーデは少しばかり立ち尽くしていた。
それを不思議に思ったシャルルギルが、イリオーデの肩を握り、
「どうしたんだ。そんな、お菓子を取られたメアリーみたいな顔して」
分かりやすいようなそうでもないような例えを口にする。
「……別になんでもない。私達も行くぞ」
「本当になんでもないのか? 本当の本当に?」
「黙れ天然」
「俺はテンネンという名前じゃないぞ、シャルルギルだ」
「…………」
ふいっとそっぽを向き、イリオーデも歩き出した。その背中をシャルルギルは追いかける。
こうして無事に二階席にありつけた面々は、運良くバドールとクラリスの座る窓際の席の近くに、陣取る事が出来た。
二人が何かメニューを注文しているのを確認し、求婚は食後か。と判断した一行は、同じように何か注文する事にした。
「お金なら私が出すから好きなの食べていいよ」
「本当? じゃあ僕はこれにしようかな」
「相変わらず王女様は太っ腹だ。流石はお金持ちだ」
「まぁ、これでも王女だからね」
気前よく奢る事を宣言し、アミレス達はメニューを眺める。それぞれ気になるものを注文し、デートウォッチングなどそっちのけなのでは? とつい疑問符を浮かべたくなる程に、彼女達は食事を楽しんでいた。
店側から食後のワインを勧められるも、イリオーデがそれを断固拒否。まだ成人していないアミレスが、酒を飲む事を全力で阻止しようとした。
それにイリオーデはあくまでも仕事中であると主張し、シャルルギルも「昼から酒を飲むのはよくない。今は夕方だが」と教訓から来る発言をしたので、結局このテーブルは誰も酒を飲まなかった。
その際、シュヴァルツが少し名残惜しそうにしていたが……それはここだけの話。
しかし、やはりムーディーな雰囲気にはワインが良く似合う。
バドールとクラリスは一緒にワインを楽しんでいた。和気藹々と談笑し、格式高いレストランに緊張していたクラリスもここでようやく少し気が和らいだよう。
それを、バドールは見逃さなかった。
アミレス達も注目する中、ついに、その時がやって来たのだ──。