表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

356/852

311.薔薇の君へ、花車を

 それは、六月のある日だった。

 雨ばかりで気が滅入るような日々の中、特訓でストレスを解消する事も出来ず、仕事に囲まれて更にストレスが降り積もる。

 五分に一回ぐらいはため息が出てしまうので、仕事を手伝ってくれているイリオーデとアルベルトも、度々心配そうな面持ちを向けて来るようになった。


「主君……何か息抜きなどなされた方がよろしいのでは?」


 澄んだ瞳を物憂げに細めて、アルベルトが提案してくる。そう言えば……いつの日からか、光の無かったアルベルトの瞳に光が灯るようになっていたのだ。

 理由は彼も分からないそうなのだが、ある日を境に色を認識出来るようになったとか。シルフもこれには、『機能を失った魔眼が普通の目になる事があるなんて……』とたまげていた。

 まあ、アルベルトの世界に彩りが戻った事で彼の人生がもっと楽しいものになったのなら……原因なんてどうでもいいものだ。


「息抜きねぇ……どうせ客なんて滅多に来ないんだし、サロンを室内訓練用の部屋にでも変えようかしら」


 これまでに考えて来なかった訳では無い。ただ、その度に面倒だしいいやと諦めてきた。

 しかし……今年の雨季は中々に酷い。この間の視察の日が奇跡だったぐらい朝から晩までずっと雨。お陰で湿気が凄く、気圧の所為か私は毎日頭痛や体調不良に悩まされている。

 まるで、いずれ起こる魔物の行進(イースター)や様々な大事件に世界が憂鬱になっているのかのように、毎日雨模様だったのだ。

 私がアミレスになってから八年近く経つが……ここまで酷い雨季は今年が初めてで。流石にストレスが非常に溜まる。

 面倒だから長年放置していた計画にも、そろそろ着手しようかと悩む程に。


「では、そのように手配しましょうか?」

「そうね……今後生まれてくる王女達には申し訳無いけど、サロンを室内訓練用の部屋に改装しましょうか。細かい手配は任せたわ、ルティ」

「は、仰せのままに」


 小さく腰を曲げ、ルティは踵を返した。早速手配に向かってくれたらしい。

 もし速攻で手配が済み、今日から改装工事が始まろうとも……今日から室内訓練に使えるようになる訳ではない。だからまだ暫くはストレスと同居しなくてはならない。

 それが憂鬱で、ため息をついた時だった。

 忙しない足音が近づいてくる。それはこの部屋の前で止まり、そして勢いよく扉を開け放ちシュヴァルツが現れた。


「入電────ッ!!」


 その手には、魔水晶が握られていて。


「シュヴァルツ、王女殿下の執務室にノックも無しで飛び込むな、不敬だぞ」

「あ、ごめんねおねぇちゃん。でも今それどころじゃないの! 超緊急事態なの!!」


 凄まじい気迫で入室したシュヴァルツに戸惑う事無く、イリオーデは冷静に彼を窘めた。でもシュヴァルツはかなり急いでいるようで、早足に私の元へと駆け寄ってくる。

 執務机に身を乗り出して、シュヴァルツは勢いよく報告した。


「ついに、バドールがクラリスに求婚(プロポーズ)するっぽいんだ! ラーク達が明らかにそわそわしてるバドールを見たって連絡して来たの。しかもバドール、こんな雨の日なのにちゃんとした服着て出かける準備してるらしいんだよ!」

「なっ、なんですってーー!? そんなのどう考えても求婚(プロポーズ)イベント確定演出じゃないの!!」


 この時を待ってたとばかりに、私は鼻息荒く立ち上がる。シュヴァルツの「確定……なんて??」という戸惑いの声が聞こえた気がするが、気にしない気にしない。

 そうか、ついにか……! もし本当に今日プロポーズが成功したら、ワンチャンジューンブライド狙えるわよねこれ? やっぱり今すぐにでも式場押さえられるようにしておこうかしら。


「イリオーデ、シュヴァルツ! 今すぐ出るわよ! 求婚(プロポーズ)イベントを見逃す訳にはいかないわ!!」

「王女殿下がそう仰るなら……傘等の準備をして参ります」

「やったー! 出歯亀するぞーーっ!」


 仕事なんてしてる場合じゃねぇ。部下の一世一代のイベントの方がもっと大事だ。


「でもドレスとかだと目立つし、動きにくいわね……よし、全員目立たない私服に着替えて十分後に玄関集合! いいわね?」

「畏まりました」

「らじゃー!」


 二人にビシッと命じて、私も早足で私室へと向かう。

 途中で侍女を一人拉致して私室に入り、乱雑にドレスを脱ぎ捨てて、目立たない服へと着替える。目立たない服と言ってもいつものシャツとズボンである。

 いやぁ、よかった。ややこしいドレスが嫌で簡単に脱ぎ着出来るドレスを着ておいて! お陰様で十分以内に準備が済みそうだ。

 湿気があるものの、ここ暫くの雨で外はかなり寒そうなので薄手のローブも羽織る。

 銀髪は一纏めにして帽子の中に突っ込む。瞳もまあ目立つので、以前シルフが使っていた瓶底メガネを装着。

 シルフが処分をめんどくさがって私に押し付けておいてくれてよかった。今頃、精霊界でお仕事中のシルフがくしゃみとかしてる頃だろう。

 ソードベルトを腰に巻き、白夜を帯剣して準備は完了。


「それじゃあ後は頼んだわよ!」

「うぅ……王女殿下、せめて普通にドレスを着てお出かけしてくださいよぉ!」


 侍女に向け華麗にアデューを決め、私は走り出す。侍女の悲痛な叫びもものともせず、淑女らしからぬ見事な疾走を披露せしめた。

 そして玄関に辿り着くと、そこには既にシュヴァルツとイリオーデが待っていて。


「おまたせ、二人共。待った?」

「んーん、ぼくも今来たところだよぉ」

「私もでございます。もっとも……王女殿下をお待ちする時間もまた、至福の時ではございますが」


 相変わらず世辞が上手いなあと思いつつ、ちらりと二人の服装を見物する。

 シュヴァルツは初めて会った時の、上品なイメージを抱く格好だった。しかしその胸元にあるリボンは、いつかのお土産にシュヴァルツへ渡した青いリボン。

 かれこれ数年間ずっと侍女服を着ていたから、シュヴァルツがこうやって少年らしい服を着ていると、ちょっとした違和感すら覚える。慣れって怖いな。

 イリオーデはフォーマルなズボンとシャツに、きっちりとしたベストを着てネクタイをしめている。手袋を外し、袖を捲ってボタンでそれを固定しているからか、彼の筋肉質な腕や手指が無防備に晒されているではないか。

 スラリと伸びた足元は水に強い素材の革靴。一見して、どこかの社交場にでも向かうのかと問いたくなるような、紳士的な軽装だった。しかし、私と同じように腰にソードベルトを巻いて愛剣を帯びている模様。

 その手には二本の傘が。なんでもシュヴァルツの上着は防水仕様らしくて、フードさえ被れば雨なんて気にならないらしい。

 ……それにしても、二人共、その見た目で本当に目立たない自信があるのかしら。


「わぁ、おねぇちゃん眼鏡も似合うね! いつもと雰囲気違う!」


 目敏いシュヴァルツが私の顔を覗き込み、嬉しい事を言ってくれる。その頭を撫でながら、「そうでしょうそうでしょう」と私は満足げに頷いた。


「確かに、いつも以上に理知的で聡明な印象を抱かずにはいられません。眼鏡一つでここまで変わるとは……流石です、王女殿下」


 相変わらずイリオーデは大袈裟だ。しかしまぁ、頭が良さそうと言われて嬉しくならない人はいない。なので、これも素直に褒め言葉として受け取る事にした。


「それじゃあそろそろ行きましょうか。シュヴァルツ、貧民街の近くまで瞬間転移出来る?」

「もっちろーん。お任せあれ!」


 シュヴァルツがまるでアイドルのようなウインクと笑顔で、鮮やかに指をパチンッと鳴らす。すると私達の足元に白い魔法陣が広がり、それは光り輝く。

 光に視界を奪われ、視界が元に戻った時には……私達は貧民街すぐ近くの路地の軒下にいた。

 目立つ訳にもいかないので、イリオーデから傘を受け取って自分で持ち、それじゃあラーク達の所に向かおうかと踏み出した時、シュヴァルツが大きなフードを被って「待って、おねぇちゃん」とこちらを呼び止めた。


「こんな事もあろうかとね、集合場所決めておいたんだ! ふふっ、さっすがぼく。超気が利くじゃん」

「本当に気が利くわねぇ〜〜! 偉い!」

「ふふーんっ」


 やけに可愛らしく胸を張るシュヴァルツの頭を、フード越しにわしゃわしゃと撫でる。シュヴァルツってなんか子犬みたいなところがあるから、こう……つい構ってあげたくなるのよねぇ。

 犬みたいな人、って言えばイリオーデもアルベルトもそうなんだけど。どうして私の周りには犬みたいな人が多いんだろうか。

 犬と言えば……セツは今頃どうしてるのかしら。朝からナトラが東宮内を散歩してくれているんだけど、セツってかなり気まぐれだから、いつも通り全然散歩は進んでなさそう。

 忙しい私に代わっていつもありがとね、ナトラ。また今度ドライフルーツのケーキでも買ってあげよう。


「えーっと、確かこの辺なんだけどぉ……あ、あそこだ」


 大雨でも人通りの多い貧民街。傘が人に当たらないように気をつけて、シュヴァルツに案内されるがまま歩いていると、謎の人集りを見てシュヴァルツが反応する。

 きゃあきゃあと、雨の日の憂鬱を吹き飛ばすように色めきたつ女性達の後ろから、何度かジャンプしてその先を見てみると、そこにはシャルとシアンの二人がいた。

 流石はうちの部下。かなりモテているようだ。


「はいどいてどいてー。人の往来で足止めるとか邪魔だろー」


 なんちゅーダイナミック通行。女性達の間を強引に進んでいくシュヴァルツに、私は僅かながら恐れを抱く。

 とりあえずシュヴァルツの後ろを進んでいくと、無事人集りを抜けてシャル達の前に出る事が出来た。


「む、ラークの言う通りだな。本当に来た」

「もう。どれだけ待たせるんだよ、姫」


 こちらに気づいた二人が立ち上がる。雨音で少し声が聞こえずらいが、二人はどうやらラークに言われて私達を待っていたらしい。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ