299.青い星を君へ
「『度重なる選定をするも、皇太子妃選ばれず。やはり帝国の新たな太陽に寄り添う月は、そう簡単には見つからないのか』……まぁ、やっぱりとしか言えないわねぇ」
パサリ、と机に今日の朝刊を置いて、朝から優雅に珈琲を飲む。最近、あまり紅茶を飲む気になれず珈琲ばかり飲んでいるのだが……皆も徐々に珈琲の良さに気づいてくれたらしい。
アルベルトが紅茶に続き、珈琲を入れる事をも極めようとしてくれているお陰で、毎朝目覚めに美味しい珈琲を飲めて実に優雅である。
珈琲豆に関しては、シャンパージュ伯爵がとても嬉しそうにオススメの物をいくつも教えてくれたので、日々違う味わいや深みを楽しんでいる。
そして珈琲カップの隣には珈琲に合う軽いデザート。うーむ、なんというエレガント。
「やっぱり、とは……主君は皇太子妃選定が失敗に終わる事を予見していらしたのですか?」
空になった珈琲カップを回収するアルベルトが、私の言葉に関心を寄せた。
ゲームのフリードルは十七歳とかだったのだが……その時点でも、彼には婚約者はいなかった。つまり、皇太子妃選定が失敗していたのだ。
だから私は、今はまだフリードルに婚約者が出来ない事も、この一年に及ぶ皇太子妃選定が失敗に終わる事も分かっていた。
「まあね。だって、あんな冷血漢の兄様に耐えられ……ごほん、兄様に相応しいようなご令嬢が、そう易々といる筈がないもの」
それこそ、ミシェルちゃんレベルの天使な女の子じゃなければ、フリードルの愛なんぞ勝ち取れないのだ。フリードルの婚約者になんかなった所で、すぐ死ぬか後で死ぬかの二択だ。
そんな最初から燃え盛ってる綱を渡るような行為、誰がしたいんだって話よね。
「成程。確かに皇太子殿下の相手が務まる令嬢などそうそう見つからないでしょう」
アルベルトがうんうんと頷くと、
「身分云々と年頃の令嬢のいる家門であれば……アルブロイト公爵家、テンディジェル大公家、ララルス侯爵家、オリベラウズ侯爵家、シャンパージュ伯爵家などでしょうか。分家筋なども含めると、まだ候補は増えそうですね」
顎に手を当てて、イリオーデが淡々と有力家門を挙げていく。
それを聞いた私はすぐさま口を挟んだ。
「ローズとハイラとメイシアは絶対に兄様の婚約者になんてしないわ。何があろうと私が絶対守る……! あんな男の所になんて嫁がせるか……!!」
勿論ミシェルちゃんも! と私は大事な友達や推しを守る為に闘志をメラメラと燃やす。
そんな私の背後を取り、椅子の後ろから抱き締めてきたのはシルフだった。シルフは私の髪を触りながら、なんてことなさげに呟く。
「そもそも……ハイラは一つの家門の当主で、メイシアも次期当主とかなんでしょう? 流石にその二人は選ばれないと思うけど──って、あいたっ! もう何だよこの犬!!」
「ゥウウ……ッ」
私の膝の上で穏やかに眠っていたセツが、急に目を覚まして勢いよくシルフの手を叩いた。今も威嚇するように唸っており、私を挟んでシルフとセツが火花を散らしている。
それはともかく……確かに、言われてみればララルス侯爵家当主のハイラと、シャンパージュ伯爵家次期当主のメイシアは候補にもなり得ないか。
皆を守らないとって頭に血が上って、簡単な事を見逃してしまっていた。
じゃあつまり、私がフリードルの魔の手から守るべきなのはローズとミシェルちゃんって事ね! よし、頑張るぞ!
「兄様なんて一生独身でいいと思うんだけど、でもそれじゃあ後継者問題がなぁ…………まあ最悪、アルブロイト公爵家あたりの令息に王子になるよう言えばいいかしら。一応、アルブロイト公爵家も皇家の血筋ではあるのだし。雪の魔力だって実質氷の魔力みたいなものだから、皇位継承権だって与えても大丈夫でしょ……」
ぶつぶつと考える。フォーロイト帝国が皇帝になる為の皇位継承権……それは、『氷の魔力を持つ者』にのみ与えられる。
そして、基本的に氷の魔力はフォーロイトの一族にしか発現しない為、自動的にフォーロイト家のみがこれまで百年近く皇位を争って来たのだ。
そんなフォーロイト家から枝分かれした血筋、アルブロイト公爵家は氷の魔力に近しい雪の魔力を、代々持って生まれるらしい。分類で見ればほぼ氷の魔力なんだし、最悪の場合はアルブロイト公爵家の人間にも皇位継承権を与えたらいいんじゃないかと私は考えたのだ。
ちなみに、私には当然皇位継承権が無い。氷の魔力を持ってないんだから当然だ。まあ……皇位とか全く興味無いから全然いいんだけどね。
「おねぇちゃんはさ、結局あのクソ兄の事が好きなの? 嫌いなの?」
どこからともなく現れたシュヴァルツが、私の隣に座ってこちらを見上げてくる。本当に音も気配も無く突然現れたものだから、シルフとセツが「あっ!?」「ゥバァウッ!」と強く反応する。
……シュヴァルツもシュヴァルツで謎が多いんだよなぁ、結局何者なんだろうかこの子は。絶対只者ではないと思うんだけど。
なんて裏で考えつつ、シュヴァルツの質問に答える。
「……憎らしい程に好きだよ。大っ嫌いなのに、それでもやっぱりあの人の事が好きなの。好きなんて気持ち、私には分からないのに──私は、どうしても兄様を嫌いになれないんだ」
どれだけアミレスの感情と折り合いをつけようとしても、これだけはお互い譲れない。以前アミレスと話して、そう分かった。
だからその上で二人の幸せを目指すと決めたのだけど……これ、本当にいけるのかなあ。アミレスは私が幸せになったら一緒に幸せになれる筈……なんて言ってくれたけど、でもあのアミレスだからなあ。
そう思ってるからフリードルに急に呼び出された時だって、皆に猛反対されながらも嫌々呼び出しに応じたのに。それにしても、あの時のフリードル……めちゃくちゃ気味悪かったな。終始誰だよマジで状態だった。
あの地獄のお茶会の所為でちょっと紅茶飲むのが辛くなったぐらいだし。フリードルには是非とも反省していただき、二度とあんな嫌がらせはしないでもらいたい。
「…………はァ、マジでめんどくせぇな」
シュヴァルツが俯いて何かをボソリと呟いたかと思えば、
「ねぇねぇおねぇちゃん。もしあのクソ兄がおねぇちゃんの事を愛してくれたら、おねぇちゃんは嬉しい?」
パッと明るい表情で更に問うてくる。深淵を覗いているような感覚に陥るその瞳にじっと見つめられ、私は固唾を呑んだ。そして私は、少し間を置いてから口を開く。
「うーん、分かんない。だってこれまで誰にも愛された事がないから、兄様に限らず人に愛される事がどんな感じかも分からないし。でもまあ、愛されたらそれなりに嬉しいんじゃないかな」
そんな日は永遠に来ないけど。と肩を竦めつつ、私がポロッと本音を漏らすと、
『………………』
その場にいた全員が、酷い顔をして黙り込んでいた。急にやたらと重くなった空気にいたたまれなさを感じていると、セツが切なげに鳴きながら私の顔に頭を擦り付けてきた。
まるで、慰めてくれているかのように。
ふふ、ありがとう、セツ。あなたは本当に温かくて優しいね。お日様の下で眠ってる時の、温もりみたい。
「……──君には、ボク達の愛が伝わってなかったんだね。君がそんなにも鈍感になってしまったのは、君の家族の所為なのかい?」
我が事のように悔しげな、されど静かな怒りを蓄えた声で、シルフが私を抱き締めて拳を震えさせた。
よく分からないけど……どうやらシルフは怒っているらしい。でも、何に?
「家族の所為……でもあるけど、半分は私自身の所為かな。元々愛が何か分かってなかったし」
前世で道徳の授業とか受けなかったのかな。受けなかったんだろうなあ。物の見事に愛が何なのか分からない。
本当に……どんな前世を送ってたら幸せになりたいなんて強迫観念に駆られ、更には愛も恋も分からないなんて事になるのやら。我が事ながら意味不明である。
「正直な話、愛されたいとか思ってる割に愛の定義がよく分からないんだよね。具体的に何をされたら愛されたって事になるのかしら。愛の魔力を持ってたら、こんなにも悩む事はなかったのかなぁ」
「……愛の魔力は他者の愛情を支配する魔力だから、持ってても多分愛が何かは分からないと思うよ。でも、そうか……愛が分からないか……どうしたらアミィに愛を伝えられるんだろうか」
シルフが、ぎゅっと下唇を噛む仕草をする。
すると冷めた表情のシュヴァルツがおもむろに口を切った。
「極端な話、愛なんてものは見かけ騙しのものだよ。相手を支配したいだとか、支配されたいだとか。そう言った性欲やら情欲やら支配欲やら……そういう汚いものをどうにか綺麗で美しいものにしようっていう、浅はかな考えのもと作り上げられた虚構が愛欲だ。だから、厳密にはそんなもの存在しない。おねぇちゃんだって、愛は分からずともそれ以外は分かるでしょう?」
一瞥と共に話を振られ、少し戸惑う。一応それ以外は分からなくもないので頷くと、シュヴァルツは眉一つ動かさずに更に続けた。
「じゃあ問題無いよ。所詮愛なんて欲望の総称に過ぎないのだから、愛って形式に拘らずにその中身に意識を向ければいい。さて、前置きはこの程度でいいか」
シュヴァルツの病的に真っ白な手が私の喉元に伸びる。彼の冷たい指先が私の肌に触れると、何か良くないものが体に巻き付くような違和感を覚え、体がピクリとも動かなくなった。
彼は侍女服を着ているのに、何故か今のシュヴァルツは妖艶な男性のように見えてしまう。その表情が、その鋭い瞳が、子供らしからぬものだからだろうか。