284.幕を下ろしましょう。3
「……シルフって髪長いよね。しかも凄く綺麗」
「わぁ、突然褒めてくるね君は。特にこれに利点を見い出せた事は無かったのだけど、君に褒めてもらえるのならこの髪にも意味はあったんだね」
ふふ、と上品な笑いを零してシルフは己の髪に触れていた。
地に届き、引き摺る程の長髪。しかし髪が荒れている事はなく、完璧なケアを受けているのだと分かる美しさだ。
この世界にシャンプーやリンスがあれば、間違いなく広告に抜擢されるであろう髪と美貌。師匠から聞いていた通り、シルフはこの世の何よりも美しい存在に思える。
「──その言葉、美容師として最も嬉しいものだな。また俺様の美的感覚を認める者が増えたか」
聞き慣れない声が突如部屋に響く。シルフの「うげっ」という声が重なるように漏れ出たと思ったら、彼の後ろには一人の男が立っていた。
それはこれまた美しい男性。頭の先からつま先まで計算され尽くした黄金比の美しさ……とでも言うべきだろうか。そんな男が、随分と楽しそうにシルフの髪に触れているのだ。
突然現れた知らない男に、イリオーデとアルベルトが警戒態勢に入る。それに気づいた男は、これまた楽しげに目を輝かせた。
「フーン、いいじゃん、オマエ等。どうよ、この俺様自ら美しくしてやってもいいぜ?」
「おいやめろベルズ、アミィに絡むな!!」
「えーいいだろ別にー」
「駄目だからわざわざ言ってるんだよ。さっさと帰れ!」
早足で私達に詰め寄って来た男の襟元をシルフが掴み、その動きを強引に制止させていた。
「えっと、まず、どちら様?」
多分精霊さんである事には間違いないと思うけど。
純粋な疑問から首を傾げていると、男は妖艶な笑みをたたえて顎を引いた。
「お初にお目にかかります、我等が一番星。俺様は美の魔力を司る精霊、ベルズと申します。主人……──シルフ様、でしたっけ? シルフ様の世話係をしている者です」
エス……なんて? それに何だ、世話係って。やっぱりシルフってそこそこ偉い精霊さんなのかな……師匠みたいな強い精霊さんも言う事聞くぐらいなんだから、きっとそこそこ偉いんだろうな。
「えっと、ベルズ……さん」
「こんなの呼び捨てでいいよ、アミィ」
「えぇ……?」
こんなのって。めちゃくちゃ扱いが雑じゃないの。
本当にいいんですかと、ベルズに視線で訴えかける。
「ん? 主じ……シルフ様がああ言ってるんだから俺様も異論はない。それにお姫様は割と俺様好みの髪質だし、特に許す」
「好みのタイプ!?」
「好みのタイプ……だと……っ!?」
「……精霊って殺せるのかな」
衝撃発言にギョッとする私達。特に私は、綺麗な男性にそんな事を言われたからか少し顔が熱くなってしまっていた。
そんな私の後ろでは、イリオーデとアルベルトが眉間に険しい皺を作っていた。
「紛らわしい発言するなよこの変態が…………一応訂正しておくけど、こいつは極度の髪好き変態なんだ。他者の髪に興奮するタイプの変態。だからこいつの発言は全く気にしなくていいよ、アミィ」
「よせやい。俺様はただ髪が好きなだけだっつの」
「別に微塵も褒めてないからな、これ」
まるで漫才を見ているかのようだった。実際に見た事はほとんど無いと思うんだけど、多分、漫才はこういうものなんだろう。
ふむ、ベルズは極度の髪フェチなのか……危ない危ない。危うく勘違いするところだった。恋愛経験ゼロの私には受け流すのが難しい言葉だったぜ……。
「しゅじ……シルフ様の髪も当然俺様がいつも世話してんだ。他にも肌に指先に服装にと、しゅ……シルフ様の全てを俺様が世話してるんだぜ」
「ところでさ、お前何回名前間違えるつもりなの??」
キラッと白い歯を輝かせ、ベルズは鼻高々に宣った。それに横から鋭くツッコむシルフ。やはり漫才か。
「ベルズがシルフの髪を手入れしてるから、シルフの髪はこんなに綺麗なの?」
話を進めようと切り出すと、
「ああその通りだ。そもそもしゅじ──、っごほん。シルフ様程の美しさを持つ精霊、俺様以外の誰に世話出来るんだって話だぜ?」
ベルズは胸を張って言い切った。それはシルフのお世話が本当に好きなんだと分かる、嬉々とした声音だった。
しかし、ベルズ程の美形をして言わしめた最美のシルフはというと……非常にゲンナリとした顔で、重くため息をついていた。
「あ、じゃあ俺様はこの辺りで。シルフ様の髪が褒められてる気がして出て来ただけだからな」
「お前さあ……そんな理由で越界するなよ」
「そうお堅い事言いなさんな。せっかく世界間の移動が自由になったんだからさ」
「もうやだこの男自由過ぎる」
難しい話をして、シルフはベルズをシッシッ、と手で追い払った。ベルズは随分と楽しそうに「じゃあな、お姫様!」と言って、ぐにゃりと生まれた空間の歪みに入っていった。
なんというか、嵐のようなヒトだったな。それにしても……私の知ってる精霊さんって今のところ全員美形なんだけど、精霊ってそういうものなのかな。
「あ、そうだ。師匠は今どうしてるの?」
ベルズがいなくなって、ふぅ……と一息ついていたシルフに質問を投げ掛けると、
「エンヴィー? うーん、多分仕事でもしてるんじゃないかな」
裏がありそうな笑顔でシルフは答えた。
精霊さんって、私達が思うよりもずっと仕事が多くて忙しいんだな。昔から、シルフもよく『仕事が溜まってて……』と愚痴を零していたし。
ところで精霊の仕事ってどんなものなんだろう。魔力を司る存在だから、魔力を生む仕事……とか? いや、違うな。
この後、シルフも交えて皆で紅茶を嗜みつつ、テンディジェル家側から何かアクションがあるまで私達はのんびり待っていた。
本来の姿で紅茶を飲める事が嬉しいらしく、シルフはかなり上機嫌に紅茶を飲んでいた。本当に紅茶が好きなんだな、シルフは。
結局私達が呼び出されたのは夜。それは夕食の席だった。
セツは食堂まで着いてきて、シルフは姿を見られる訳にはいかないと、わざわざ姿を消していた。
昨日と比べると少し質素な晩餐を囲み、話題は彼等の出した結論へと自然に移っていった。
「……改めて。王女殿下、このような辺鄙な領地までお越しいただいたと言うのに、我々の問題に巻き込んでしまい大変申し訳ない」
何か見覚えがあるわね、この状況。
昼間と同様に、大公が頭を下げるとそれに続くようにセレアード氏達も一斉に頭を下げた。
「我々の出した結論としましては──即位式は中止。ワシの退位を遅らせ、レオが二十二歳になるまではワシが大公を続ける事となりました。この旨の謝罪と申告、及び今回の件の報告書は全てワシの方から皇帝陛下に提出します」
大公の言葉に、私は少し嬉しくなった。
レオが大公になる。それまでの代役としてセレアード氏に大公位を譲るのではなく、大公がこのまま継続して大公として働くのだと。
次期大公がレオに確定した上で、大公がこのままその役を担ってくれるのであれば、もう内乱が起きるような事はないだろう。
既に多数の犠牲を出した私に、このような事を言う権利などある筈もないが……一安心だ。
しかも皇帝への報告もやってくれるらしい。何気に凄く助かる。
「二十二歳になるまでの間、レオには帝都で大公代理……つまり名代として、様々な会議や大公の職務を任せる事になりまして。ローズもそこそこ頭が切れるので、ローズはその補佐という形で帝都に向かわせる事になりましたが、よろしいでしょうか?」
大公がこちらの意見を伺ってくる。まぁ、そういう名分があった方が彼等も帝都で過ごしやすいでしょうし。何より──、
「そうとでも言わなければ、領民が納得しないでしょうしね」
「ハハ、やはり見抜かれておったか。領民達にとってレオは絶対的君主、ローズは宗教にも近い崇拝対象となっている……そんな二人が長期的に領地を離れるとあっては、それこそ領民達が暴動を起こしかねない」
「だからこそ、『領地から離れた地で大公としての職務を経験させる』──という建前を作り、レオはあくまでも領地と領民の為に故郷を離れ学びに行く……そういった体を取ろうとしたのですね」
「ええ、全くもってその通りです。やはり、王女殿下は随分と聡明でいらっしゃる」
はははは。と二人で笑い合う。こういう腹の探り合いみたいなのは苦手なんだけど、大公が気のいい人だからまだ気が楽だ。
自分達の為だと領民達に思わせる事に成功したならば、きっと彼等もレオとローズが長期間帝都に行く事に納得するだろう。
お互いに考えが一致し、大公と話すの楽しいな〜。なんて楽観的に考えていた時。おずおずとセレアード氏が口を開いた。
「あの、王女殿下。このような事、わざわざ言うのもなんですが…………うちの子供達は二人揃って思い込みが激しい所があって、正直なところ、この二人だけで帝都に向かわせるのが酷く心配なんです。勿論使用人や護衛はつけますが、やはり不安なものは不安で。なのでもし良ければ──……」
眉尻を下げ、セレアード氏が困ったように言うと、
「思い込みが激しいだなんて、失礼だな父さん」
「そうですよ! 私とお兄様はただ少し妄想癖があるだけです!」
レオとローズが食い気味に反論する。それにより、セレアード氏の言葉は妨げられた。
果たして、妄想癖があるというのは反論として成り立つのか……という疑問は残るものの、私は彼の不安を払拭しようと口を開く。