254.暗躍はお手の物です。4
「……──という感じでいいかな。いいなら俺はもう帰るよ。早く主君の所に戻りたいんだ、何か嫌な予感がするし」
「ハンっ、忠犬か?」
「主君の犬……いいね、それ。主君が望むから頑張って犬になろうかな」
「うわとんでもない事言ってるよこの人」
ヘブンの煽りもアルベルトには効かない。驚きの犬になろうかな発言にその場にいた面々はギョッとし、ラスイズは思わず本音を口にした。
「ああ待ってくれルティ。実はメイシアちゃんからお使いみたいな事頼まれててさ」
影に入ろうとするアルベルトをカイルが呼び止めた。
カイルは手持ちの鞄から大きな毛皮のローブを取り出し、アルベルトに渡した。
「『貴方ならアミレス様にお届け出来ますよね? お願いします、これをアミレス様に届けてください』って頼まれてさ。俺の代わりにアイツに渡しといて、それ」
「……分かった」
(──もふもふだな、これ。真っ白に見えるけど……主君に合わせて白い毛皮をわざわざ用意したのかな。流石はシャンパー商会……おそるべし……)
こくりと頷き、毛皮のローブを触りながらアルベルトは影に飛び込んだ。
このやり取りを見ていたヘブンは、パチパチと燃える火の音をバックにおもむろに口を開く。
「なァ、ルカ。メイシアってのは、まさかシャンパージュの魔女か?」
「え。メイシアちゃんってもうそんな風に呼ばれてんの?」
「…………その反応はマジなやつだな。はぁぁぁ……? あの王女、シャンパージュの魔女まで従えてんのかよ。オレ達絶対いらねーだろ」
ヘブンが苦虫を噛み潰したような面持ちで重くため息を吐く。
「何でメイシアちゃんは魔女って呼ばれてんの?」
(──ゲームでは魔眼を使ってからそう呼ばれるようになった筈だし……ちょっと早くねぇか?)
カイルは純粋な疑問を抱き、解決しようと乗り出した。それにはノウルーが答えた。
「シャンパージュの魔女──……メイシア・シャンパージュは今や帝国で商売をする人間にとって、皇帝以上に恐れるべき相手だ。あのシャンパー商会の次期会長と言うだけならまだ良かっただろうな。だがあの少女は……まさに傑物だ」
およそ齢十三歳とかの少女に対する評価ではないそれに、カイルはゴクリと固唾を呑んだ。
「数ヶ月前、魔女の一声でシャンパー商会はなんと新たな船を造り漁業と鮮度維持の技術開発に本腰を入れ始めたんだよ」
(……ん? 漁業?)
カイルは僅かな違和感を覚える。
「ルーシェで漁をして生計を立てていた連中を新たに商会で立てた組合に好条件で所属させる事で、商会で漁業を占領出来るように仕向けた。その上でいかに鮮度を保ち魚を帝都や諸地域に輸送出来るか、とその技術開発に注力していてな。そんなの開発出来ちまったら、世界中の国々が喉から手が出る程欲しがる事間違い無しだ」
(……鮮度を保ち帝都に?)
更に、カイルの頭に疑問符が浮かぶ。
「これの総管理兼総指揮をしているのがシャンパージュの魔女だ。まだガキの癖に大人顔負けの経営手腕を発揮し、近いうちに一大産業を築き上げるであろう事、そしてあのガキに目ェ付けられたら帝国で商売出来なくなるって事から、俺達商人は畏怖の意を込めて『シャンパージュの魔女』と呼んでいる。噂では余計な口を叩いた商人を火炙りにしたとか聞くしな」
(……火炙りかぁ、それ絶対アミレスの事馬鹿にしたとかそんな理由なんだろうな。メイシアちゃんの事だから)
ノウルーが語る傍らで、カイルは脳裏にアミレス狂いのメイシアの姿を思い浮かべた。
それと同時に、彼は気づく。
(てかさ。その一大産業ってどう考えてもアミレスのあの言葉が理由だよな?!)
それは今より数ヶ月前の事。
カイルがまだ、ハミルディーヒに戻らず……というか戻りたくないと駄々をこねて帝国に居座っていた頃。久々に時間が出来たとメイシアはルンルン気分で東宮に訪れ、アミレスとのお茶会を開いた。
そして、当たり前のように参加したカイルや巻き込まれて参加したマクベスタを含め、アミレスとお茶会を楽しんでいた時、話題は自然と港町ルーシェに暗躍しに行った時の事になって。
その際アミレスが残念そうに零したのだ。
『あーあ。折角港町に行ったんだから魚料理食べたかったわぁ……何で帝都では魚料理を食べられないのかしら』
それを聞いたメイシアはひらめいた。
(……──アミレス様が魚料理を食べたがってる。なら、食べられるようにしないと。アミレス様に最高級の魚料理をお届けしないと!)
それがメイシアの動機であった。
アミレスが魚料理を食べたいと言ったから。だから彼女はシャンパー商会も帝国全域の商人や漁師をも巻き込んで一大産業を築こうとしていた。
全てはそう──、アミレスが望んだ時に望むように魚料理を食べられるように。
ただ一人の少女のささやかな望みを叶える為に、メイシアは多くの人間の人生を巻き込んでこの事業を立ち上げ進めて来た。類稀なその商才を遺憾無く発揮し、魔女と呼ばれる程に……。
(魔女の一声で……と言うよりかは、王女の一声でとんでもない事になってるんじゃね?)
その通り。アミレスはそろそろ自分の発言一つ一つに責任を持つべきだ。
「……ちなみに、メイシアちゃんはめっちゃ強いぞ。初見殺しの業火の魔女様だからなぁ、あの子は」
「初見殺しの……」
「業火の魔女?」
思い出を語るようにカイルは軽い笑みと共に話す。
それにラスイズとマノが首を傾げると、
「あの子を怒らせたらマジでやばいんよ。何もかもがおかしいから、メイシアちゃんは」
カイルは詳細をぼかして伝えた。
彼はその時、前世で見たネットでのメイシアの評価を思い出していた。
──『初見殺しの業火の魔女』というのはアンディザファンの間でメイシアにつけられたキャッチコピーのようなもの。
一瞬視ただけで全てを燃やし尽くせる彼女にはぴったりの二つ名。
しかし、今やメイシアの初見殺し性能はレベルアップ。延焼の魔眼に加えて爆裂の魔眼まで手に入れてしまったのだから、初見殺しを極めたと言っても過言ではない。
だがその爆裂の魔眼の事を知るのはメイシア本人とエンヴィーのみ。それ自体は、カイルは勿論、家族やアミレスさえも知らぬ所なのだ……。
「そもそもシャンパージュの魔女に目ェ付けられるような真似はしねぇよ。オレ達がスコーピオン社として商売出来てんのはシャンパー商会がルーシェを見逃してたからだしよ……まァ、例の一大産業の所為でそれも終わっちまったがな」
ケッ、とヘブンは吐き捨てるように言った。その言葉に同意するスコーピオンの面々。
そんな空気の中、カイルはアハハ……と相変わらず乾いた笑いを上げる事しか出来なかった。
何故ならその一大産業の原因となったアミレスの発言には、彼自身も少しばかり関係があるからである。それ故に、カイルはここ数日間で初めて肩身の狭い思いをしていた。
♢♢♢♢
イリオーデは外の吹雪を鑑みて、この日は城内の夜間勤務の衛兵の話を聞きに行くだけに留めた。流石にこの天気では城壁に忍び込むのも難しいとの判断だった。
アミレスの助言通り、『王女殿下が気にしておられる』と添えるとどの衛兵もペラペラと喋る。聞いてもない事まで喋る。あまりの単純っぷりに心配になると同時に、イリオーデは納得もしていた。
──王女殿下の名前を出したのだからこれは当然の反応だ。
そう、彼は素で思っている事だろう。
(……──まさか、初っ端から当たりを引くとはな。あっさりと欲しい情報がかなり手に入った。しかし、街の雑貨屋が若い女に人気という話は何だったんだ)
イリオーデが暗い廊下を一人で歩いていると、まず二人の巡回兵に出会った。その者達から世間話のように必要な情報を聞き出したイリオーデだったが、巡回兵の一人が聞いてもいない謎の情報までイリオーデに明かしたのだ。
それがイリオーデにとって謎だったらしい。
(しかし……人がいないな。これでは話を聞こうにも聞けないじゃないか)
広い城内で、こんな時間にそう都合よく人に会える訳がなかった。相手を兵士に絞っているのなら尚更。
それでもイリオーデは一人だけの情報で満足せず、複数人から情報を集めて、それが本当に正しいのかを確認しようとしていた。根が真面目なのである。
なのでその後も暫く城内を歩き回り、巡回兵や兵士を彼は捜すも、その日は結果が奮わずまた翌日にリベンジする事としたのだった。
長らく城内を歩き回っていたイリオーデは、アミレスとアルベルトの間で起きた一件を知らぬまま朝を迎える…………。