252.暗躍はお手の物です。2
「……あら、ついに扉と出会ってしまったわ」
目の前にはガタガタと揺れる木製の扉。その隙間からは肌を刺すような冷たい風が吹き込んでいて、この先に広がる景色が容易に想像出来てしまう。
──最悪の場合、全力で熱湯をぶちまけて暖を取ろう。果たして意味があるのかも分からないが……やらないよりかはいいだろう、たぶん。
「うわっ、寒ぅっ!?」
鍵のようなものがあったので、それをいつものやり方で解錠して内開きの扉を開いた瞬間、強い吹雪に襲われた。
そんな中、雪を踏みしめながら頑張って外に出て、全体重を使って扉を引っ張る。扉を閉めてから、鍵開けっ放しでごめんなさい。と謝りつつ吹雪の中を歩く。
ザクザクと、膝下ぐらいまで積もる雪に足を取られないよう気をつけながら歩く。
私が今履いている靴はヒールブーツで、ズボンはどこにでもある普通のズボンだ。とどのつまり──……めっちゃ足冷たい。ヒールブーツの隙間から雪が染み込んでいて、足まで冷気に晒される。それにズボンもニーソックスも普通のものだから、雪の影響がダイレクトに足に伝わる。
なんでこのニーソックス裏起毛とかじゃないのかなぁ! 寒い! 冷たい! 凍りそう!!
本当に馬鹿だ。どれだけ向こう見ずなんだ。見通しが甘すぎる。そして何より、本当に寒い。
「はっくしゅんっ! っあ〜……ヤバいわ、本当に寒いわ」
とりあえず魔力を放出して沸騰させるか……なんて考えたその時。
「──主君! そのような所で何をしているのですか!?」
上の方から、誰かが飛び降りて来た。
それは執事服に身を包んだアルベルトで、彼は一切の躊躇いもなく高さ十メートルはありそうな場所から飛び降りて来たようだ。
燕尾服を靡かせて、雪の上に華麗に着地した彼は私の格好を見て狼狽した。
「なっ……何故このような薄着で外に出られたのですか! 凍死してしまいますよ!?」
「ご、ごめん。私もこんなつもりではなかったの……ただ引くに引けなくなって」
「引くに引けなく……? とにかくこちらをお召しになってください。詳しい話は後で聞きますので今はひとまず室内へ行きましょう。では、失礼致します」
「え? ちょっ……?!」
アルベルトから渡されたのは、何でそんなの持ってるのと聞きたくなるような毛皮のローブ。それを羽織ったところ、何とアルベルトが私を抱き上げたのだ。
執事にお姫様抱っこされるとかなんだろうこのロマンチックな状況。吹雪の中だけど。視界がかなり白いけど。
雪だってそこそこ積もってるし、吹雪で寒く視界も悪い。しかしアルベルトにはそんなもの関係無いようで。
私を抱えているにも関わらず、彼は城壁を伝っていくかのように軽々跳んでいく。ちらりと彼の足元を見たところ、闇の魔力で影を操り一時的な足場としている様子だった。
やがて、彼が飛び降りる際に通ったのであろう開け放たれた窓から城内に入り、私は事なきを得た。
だがアルベルトはその場で私を降ろす訳でもなく、スタスタと歩き出す。困惑のあまり視線を右往左往させて彼を見上げるも、アルベルトはムスッとしたまま無言で歩き続ける。
辿り着いたのは私の泊まる部屋。影を手足のように操って扉を開き、アルベルトはこれまた器用に影で扉を閉めて、私を寝台に降ろす。
「主君。靴を脱がせますので少し足を上げてください」
「ハイ……」
突然目の前で跪いたかと思えば、有無を言わさぬ強い口調で指示してくる。
言われた通り少しだけ足を上げた所、ずっとこの微妙な高さで維持する事が大変と思われたのか、アルベルトは私の足を自身の膝の上に乗せてブーツの紐をほどき始めたのだ。
当然だが私は数分間積雪と吹雪の中歩いていたので、ブーツもズボンもそれなりに濡れている。だがアルベルトはそんなのお構い無しにと執事服を濡らして膝の上に私の足を置く。
ブーツの紐を解いたら、「もし痛みを感じたらすぐに申してください」と言いながらアルベルトはゆっくりブーツを脱がせた。
こうして見ると本当に執事みたいだ。普段から執事のような仕事……椅子を引いたりお茶の準備をしたり、私の身の回りの世話を率先してやったり。彼は、元々執事だったのではと錯覚するような手際の良さで、執事業を普段からしている。
顔の良さも相まって、身分差などがテーマの攻略対象だと言われても納得出来てしまうような、そんな風格。
うちの執事が凄いオブザイヤー大賞受賞出来るわ。まぁ、執事服は私の趣味だけど。
「……よかった。凍傷などにはなっていないようですね。でもこんなに足が冷え切って…………」
アルベルトの顔が悲痛に沈む。いつの間にか手袋を外し、白くしなやかな指で彼はニーソックス越しに私の足に触れる。彼の言う通り私の足は冷え切っており、私の足に触れるアルベルトの指が温かく感じた。
その後もう片足のヒールブーツを脱がされてから、アルベルトに「あの、席を外しますので、濡れているズボンや靴下なども脱いでいただけますか?」と言われたので。
「確かに。このままだと風邪引くかもしれないしね」
「っ!? しゅ、主君……!? あの、えと、すみませんッッッ!!」
冷たく湿ったズボンの裾を捲り上げる。ズボンは元々ぶかぶかで、中に手を入れようと思えば入れられるし、捲り上げようと思えば太もものあたりまで捲り上げる事だって出来る。
だからとりあえずズボンを捲り上げて、ニーソックスを脱ごうとしたらアルベルトが顔を真っ赤にして顔を逸らした。その際首から鳴ってはいけない音が聞こえた気がする。
しまった。急に目の前で足を出されたらそりゃあアルベルトもびっくりするわよね。
この世界では素足を晒す事がはしたないとか言われてるから……ドレスとかでは思い切り胸元や背中を露出するのに、何で足は駄目なんだろうと疑問に思ったのも懐かしいな。
「アルベルト、別に足ぐらい見てもいいのよ? 私は特に気にしないし」
「ぅえっ?! いいいえっ、俺が気にします!!」
「じゃあ今からずっとこのままで話すの?」
「え……?」
明後日の方を向くアルベルトから、困惑の声が聞こえて来る。
アルベルトとの会話の最中にも私はニーソックスを脱ぎ、裾が濡れたズボンも脱いでいた。厚手のローブと毛皮のローブを二重に羽織っているものの、その下は大きなシャツと下着のみ。足を隠す為にと履いていたニーソックスも脱いでしまったので、素足で肌寒さを覚える。
「なんっっ、で……! どうしてそのような格好を!?」
一瞬こちらを横目で見て、またもや凄まじい勢いで顔を逸らす。
「貴方に言われた通りズボンと靴下を脱いだからだけど……」
「せめて俺が退出してから着替えてくださいっ」
「あ、ごめんね。安心して、また靴下履くから」
そう言えば席を外しますので〜とか言ってたわね。寒かったから早く脱ぎたくて、すぐに脱いじゃったわ。これじゃあ痴女じゃないの。
鞄から予備のニーソックスを取り出して履く。
これで素足は見えないだろう。部屋も暖かいので、毛皮のローブをアルベルトに返却しようと脱いで畳む。だがアルベルトから、「それは主君にと渡すよう頼まれていたものなので……」と返却を拒否されてしまった。
ついでに吹雪に晒され濡れていた厚手のローブも脱いで、暖炉近くの椅子にズボンやニーソックスと一緒に掛けて乾かそうとする。
オーバーサイズのシャツとニーソックス姿の私に、アルベルトは少しギクシャクしている。この旅の間、私が寝て起きるまでは当然彼等と会う事も無かったから……この格好を見られるのも初めてなのよね。
寝る直前まで私は着替えないし、私が普段からこんなだらしない格好で寝てると知って彼も驚いているのだろう。
「その……主君。何故あのような格好で外に?」
何故かずっと床に座り続けるアルベルトが視線を泳がせる。
シャツとニーソックスだけの格好で寝台に座り足を組んでいるのだが、アルベルトが全くこちらを見てくれない。
……そんなに際どいかしらこれ。絶対夜会とかパーティーで着るドレスの方が際どいと思うけどなぁ。この辺の価値観の相違が、私が転生者である事を再認識させる。
「本当は外に出るつもりはなかったのよ。ただ少し、寝付けなくて廊下を歩いていたら……隠し通路を見つけて、後戻り出来なくて。その結果外に出ざるを得ずああなりました」
何故一瞬言い訳を挟んだのか。しかも何故嘘をついたのか。
イリオーデにすぐに寝るよと伝えた手前、何となく後ろめたさがあるのかもしれない。
この事がイリオーデにバレたら確実にお小言を言われてしまう。私を気にかけての事だとは分かっているのだけど、それでも小言は好きじゃない。
やる事なす事に口を出され、自由意志を蔑ろにされるのはもうコリゴリだ。
「そうだったのですか、それは災難でしたね」
アルベルトは眉を顰めて、ボソリと続ける。
「……騎士君やマクベスタ君やエンヴィーさんから聞いてはいたけど、本当に主君は夜中のうちにこっそり抜け出すんですね……夜中程、目を光らせた方がいいってこういう事か…………」
ちょっと待って何その話。イリオーデもマクベスタも師匠もアルベルトに何を吹き込んでいるんだ。
確かに私は度々夜中に抜け出して問題を起こしているけど! 奴隷商の時もオセロマイトの時も勝手に夜中に抜け出してしこたま怒られたけども!!
だからってそんな問題児への対応マニュアルみたいに、新人に変な事吹き込まないでよ。まるで私が問題児みたいじゃないの。