228.世界の意思2
「さて。これにて叙任式は閉幕、これから彼は王女殿下の忠実なる影です。お好きなように、顎で使ってあげて下さいませ」
水を打ったように静まり返った空間に、パンッ、と気持ちのいい音が響く。ケイリオルさんが話を進めようと一度手を叩いたようだ。
「俺は貴女様の言葉に従います。何なりとお申し付けください」
「彼もこう言ってる事ですし……躊躇う必要なんてありませんよ、王女殿下」
明るくサムズアップしてケイリオルさんは言うが、
「あの、そもそも影って何ですか? 何も知らないまま叙任式が始まって、何も知らないまま色々と文言を口にしていたのだけれど……」
まず私はその『影』とやらが何なのか知らない。知らないまま話を終わらせられたら困るので、慌てて言及した。するとケイリオルさんが「あっ」と、やらかしてそうな反応をした。
「ははは、そういえば説明を忘れてましたね」
ですよね? 何を笑ってんですか貴方は。
「『影』というのは、本来皇族が十歳を迎えた時に配属される当人専属の諜報員です。一応、国家的にも極秘事項なので王女殿下もご存知なかったのでしょう」
ああ、成程ね。そういう感じの存在なのか。フリードルの奴め、ゲームではそんな事一言も言ってなかったわよ。何きちんと秘匿してやがるのよ。
ふむ。しかし……改めて考えてみれば、フリードルに絶対的な忠誠を誓ってる男が彼の周りに一人いた気がする。
ゲームでは顔も名前すらも無いモブだったからか、今世ではまだ一度もお目にかかれてない。何せフリードルの話の中で出て来て、一瞬だけ台詞がある……とかそんなレベルのキャラだったもの。
もしやあれがフリードルの『影』だったのかな?
「そしてその影はその時最も優秀な諜報員が任命されるしきたりでして。彼は何人もの先輩諜報員達の屍を越え、諜報部所属よりわずか半年強でこの大役を任された期待の大型新人です。信用にも足る人物ですので、彼を王女殿下の『影』に任命した次第にございます」
ケイリオルさんがアルベルトの方に手を向けたので、つられてそちらを見る。アルベルトと目が合ったのだが、彼はこれまたサラそっくりの笑顔を作った。
そして左胸に手を当てて、小さく背を曲げる。その仕草、まさに執事のよう。
……執事、執事か。うちってば侍女はいるけど執事はいないもの。執事服…………アリね。アルベルトならばとても似合う事だろう。
頭の中で、簡単にだがデザインを思い浮かべる。ここはこうしたいな、絶対に燕尾服は外せないな、とか。アルベルトは私の影とやらなんだし、別に何着せても私の自由だよね??
よし……また後でシャンパー商会に依頼しよう。私財は有意義な事にこそ費やすべきだもの。これはとても有意義な事よ。えぇ。
「では、ルティはこれから私の部下となる訳ですね?」
「部下と言うより、従僕と言った方が表現としては近いかと。『影』は、帝国ではなく貴女のみに仕える貴女だけの従僕です」
「従僕……」
ちらりともう一度アルベルトの方を見る。従僕として人に顎で使われるのなんて、アルベルトにとっては古傷を抉るようなものではないのか。そんな不安と心配が心の中に生まれた。
しかしアルベルトは全く気にしていない様子でニコリと笑みを浮かべていて。
大丈夫かしら、痩せ我慢してないかしら? 何も知らないままだったとはいえ、彼の主になったんだもの。きちんと部下の精神状況にも気を向けないと。
今はいいとして、後できちんと確認しよう。本当にこれでいいのかって。嫌なら嫌とハッキリ言ってもらわないと、私みたいな鈍感な人間には分からないから。
「ではそろそろ部屋を出ましょうか。あまり長く居座れば、陛下の気を害してしまいますからね」
ケイリオルさんに促されるまま謁見の間を出て、そこから少し歩いた所でケイリオルさんとは別れる事に。やはり多忙なようで、この後も仕事が山積みらしい。
「……あっ、そうだ。ケイリオル卿!」
ケイリオルさんの背中を見送る途中で、ふと伝えなければならない事を思い出した。忙しいのに呼び止めてしまって本当に申し訳ないけれど、こればかりは早めに伝えておいた方がいいと思って。
「どうかされましたか、王女殿下?」
「例の件……私の婚約者についてなんですけど」
「「!!」」
あまり彼を引き止める訳にもいかないので、本題に入ろうとさっそく切り込むと、私の後ろでイリオーデとアルベルトが息を呑んでいた。
アルベルトはともかく、イリオーデは知ってたでしょう。二日前も一緒に話を聞いたんだから。一体何を驚いてるのか。
先日……と言っても二日程前なのだが、私はケイリオルさんから『皇太子妃選定が始まったので、王女にも婚約者を用意しようかと思っている』との話を聞いた。それについてどう思うかと聞かれたので、ひとまず話を持って帰らせて貰う事にした。
そして一晩二晩と寝かせて、私なりの答えを出したのだ。
「……お返事をいただけるという事でよろしいのでしょうか?」
「はい。私──婚約者は必要ありませんわ」
「「!?」」
息ぴったりに、イリオーデとアルベルトは胸を撫で下ろしていた。何にホッとしたのかは分からないけれど、仲良いわね二人共。
「もしや、既に意中の方がいらっしゃるとか?」
「いいえ違います。そんなもの、私にはいませんよ」
「ではどうして婚約者を不要とするのでしょうか」
ケイリオルさんの質問を受け、首を横に振る。多分イリオーデ辺りは何度も聞いている私の考えをケイリオルさんにも伝えよう。
「誰かを、私の人生に巻き込みたくないからです。明日があるかも分からない人生で軽率に永遠を誓って、もしもの時、相手を悲しませたり苦しませたりしたくないんです」
本当は騎士の誓いも、さっきの誓いも、どちらもあまり気乗りはしなかった。だってどちらも私の人生に相手の人生を縛り付ける事だから。
「結婚とは永遠を誓う約束でしょう? 私、守れない約束はしない主義なんです」
しんっ……と時が止まったかのように静まり返る。
そんな中、ケイリオルさんが静寂を打ち破った。
「…………分かりました。では、王女殿下に婚約者をご用意する件については一度白紙に戻します。元よりこれは貴女の心次第でしたので、白紙に戻っても……問題はありません。ですのでどうかお気になさらず。寧ろ、気を揉ませてしまい申し訳ございませんでした」
布を揺らし、ケイリオルさんは頭をゆっくりと下げた。謝るべきは私の方なのに……こうでもしないと永遠に出会いとかが無さそうな私を心配して、ケイリオルさんは相手を宛がおうとしてくれたんだろうに。
それをこんな自分勝手な理由で断ってしまって、本当に申し訳ない。
「私は今度こそ失礼させていただきます。それではご機嫌よう、王女殿下」
「……えぇ。あまり無理はせず、適宜休んで下さいね。ケイリオル卿」
妙な気まずさから、笑顔が固まっていた気がする。ぎこちなかっただろうか、下手くそだっただろうか。それでも無いよりかはマシだと信じて、笑顔で手を振りケイリオルさんを見送る。
皇帝の側近だからとか、忙殺されているからとか、そういう訳ではなく……ケイリオルさんにはあまり迷惑をかけたくなく、て──
「……ッ!?」
ドクンッ! そう、突然、全身を強い衝撃が貫いた。
今、一瞬。視界にノイズのようなものが走ったかと思えば、ケイリオルさんが皇帝に見えた。髪の色も姿勢も歩き方も声も話し方も違うのに、ただ背丈がそっくりと言うだけで。
コツコツと。わざと立てているような規則正しい足音を廊下に響かせて、彼は遠ざかってゆく。
そんな最悪の見間違いで、私は凄まじい恐怖を覚えていた。
まるでゲームでのアミレスのように……彼への、皇帝の側近への恐怖心を取り戻させようとする強制力が働いているかのようだった。
誰かに脳をかき混ぜられているかのように、思考がぐちゃぐちゃになる。この世界は、今更ゲームのシナリオ通りになる事を望んでいるというの……?
ずっと恐れていた事態。悪意のある何者かの介入が、ついに、起きてしまった。
「ぁ……あぁ…………」
私、は。
「あな、たに……また、殺される…………の……?」
呼吸が出来ない。震えと恐怖で心臓がおかしくなってしまった。その脳裏で再演されるあのバッドエンド。
愛するお父様の為に頑張ったのに、力不足だった私は、お父様に信頼されるような御方の手で、死んだ。
心臓を一突き。お父様や兄様の持つような剣に似たとても冷たい刃で、私は一瞬にして命を刈り取られた。
「──下! ──殿下!?」
「──主君! ──主君!!」
薄れゆく意識の中。仮面の隙間から綺麗な青い瞳で私を見下し、そノ人ハ言っ……タ。
わタし、ガ、おとウさマにとッテ、ム、スメ……ダッたこと、ハ。いチドも、なカッた、っテ───。
「──!!」
「──!?」
最後にほんの一瞬だけ……もう遠ざかっていたケイリオルさん、がこちらに気づいていたように見えた。彼らしくもなく廊下を走って。
ああ、これ以上は何も分からない。その光景を最後に、視界が真っ暗になった。
記憶の再演は幕を下ろし、それと同時に、私の意識は故障した古いテレビのようにあっさりと途切れてしまった。