226.暗躍はおしまい?5
「え、えと…………」
「何もねぇの? じゃ、そーゆー事だから。俺はもう行くぞ、そもそも通りかかっただけだしな。ハノルメも後は自分で何とかしろ」
真紅の長髪を揺らしてくるりと踵を返し、精霊王の元に向かったエンヴィーの背中を見送って、ハノルメはおもむろに口を開いた。
「……エンヴィーの事は諦めた方がええんとちゃうか? 脈無いでほんまに。心臓止まっとるんやないか、アレ」
「オレ達から見ても結構なクソ野郎だったネ、エンヴィー」
「鈍感過ぎて引くわ〜」
「ハーツ、君はよく頑張ったと思うよ!! まだ諦めるのは早い!!!!」
ハノルメに続くように、彼等の口から次々と発せられる非難の声。ジュリーもハーツを慰めようと、眉尻を下げて「ハーツさま……」と声をかけるのだが、
「はぅ〜〜っ、エンヴィー……素っ気ない所も素敵とかマジちょー好きなんだけど……っ!」
((それでいいのか!!??))
(恋は盲目ってこの事を言うんやろな)
ハーツ的にはあれでも全然OKらしい。なんなら会話出来ただけでも嬉しいようで、そんな健気過ぎるハーツの様子に男達はつい、「まァ……次があるっテ」「元気を出したまえ、ハーツ!! 君の戦いはまだ終わってないだろう!!!!」と同情の言葉をかけるようになった。
その後彼等が仕事そっちのけで『エンヴィーを振り向かせよう緊急会議』を執り行ったからか、仕事は全く片付かなかった。その為様子を見に来た終の最上位精霊フィンが「王より与えられた仕事を放棄して、一体何故、油を売ってるんですか?」と真顔で問い詰めて、彼等は急いで会議を終了させた。
一旦仕事を片付けてから飲みながら改めて、という事になったらしい。
「あ、いたいた。おーいシルフさーん」
「……ん? あぁエンヴィーか。どうした、急に戻って来て」
星見の間にて、シルフは制約の破棄の為の準備に勤しんでいた。その隣には時の最上位精霊ケイもいて。
エンヴィーの上機嫌な様子から、シルフはこれがアミレス関連の話だと予測した。
なのでケイに向けて「ケイ、そこの本を大書庫に持って行ってくれ」と頼む事で人払いをした。ケイが「おっけ〜!」と軽い返事をして部屋を後にすると、
「それで? 向こうは今どんな感じなの?」
ふわりと美しい長髪を膨らませてシルフは優雅に椅子に座った。エンヴィーもその近くの椅子を引いて座り、「まぁいつも通りっすよ。概ね」と言いながら、アミレスから頼まれていたものを渡した。
「それ、姫さんからシルフさんへのプレゼントですって」
「アミィからボクへの?」
「はい」
アミレスからのプレゼントと聞いて、途端にシルフの顔が輝く。
「ネックレスだ……ふふ、偶然か故意か分からないけれど、色合いがアミィそっくり。これをアミィがボクにって選んでくれたのなら、凄く嬉しいなあ」
艶やかに、美しく。つい見蕩れてしまう程の笑顔を浮かべるシルフを見て、エンヴィーはぼーっと思考する。
(まーた随分と嬉しそうな顔してんなァ、我が王。妖精女王から色々と送り付けられた時でさえ眉一つ動かさずに全部処分したり、精霊達から何かを献上されても全然表情は変わらなかったのに。姫さんからの小さな贈り物でこんなにも喜ぶとは……流石っすね、姫さん)
やっぱアンタは特別だ。と思う彼の口元も、いつの間にか弧を描いていた。
決してそれは恋愛感情などではないものの、やはりエンヴィーにとってもアミレスの存在は特別なものだった。
守るべき存在。幸せにしてあげたい存在。こんなにも肩入れするつもりは無かったのに、気がついたら彼女の魅力に虜になってしまっていて。
(…………マジでさ、姫さんが我が王の元に嫁入りしてくれたらいいのに。そしたらずっと一緒にいられるじゃん)
精霊が人間に執着するあまり、人間をうっかり精霊の世界に引き摺り込んでそのまま一緒になる事だってなくはない。
だから、アミレスもその系統で精霊界に来てくれたらなー、あわよくば精霊化して同じように長い時を生きられたらなー。なんて野望を、エンヴィーはここ数年ひっそりと思い描いていた。
「あ、そうだ。相談……っつーか報告したい事が一点ありまして」
「報告? さっき何も無かったって言ってなかったか」
「これまでは何も無かったんすけど、これから何か起こるみたいなんすよ。姫さん曰く」
「…………それで? わざわざ先の事をボクに報告するって事は、何かボク達にも関係しているという事だな?」
シルフは何か察したのか、前のめりで話を聞く。
「近いうちに、あの妖精の土地で内乱が起きるみたいです。姫さんはその内乱を防ぐ為にどこぞの馬の骨共に協力を仰ぎ、いずれあの土地に向かうつもりらしくて」
「あの土地に、アミィが?」
「姫さんは多分精霊と妖精が仲悪いって知りませんし、そもそも精霊の加護を与えられてるとも知らない。なので、妖精の土地に行く事に関しては躊躇わないかと」
「そうだろうね。しかし……なんでよりによってあそこなのかなぁ…………」
「それは俺も思いましたよ……」
二体揃って頭を抱える。シルフに至ってはうんざりした顔にもなっていた。それもその筈。シルフこそが妖精達の干渉の主な被害者なのだから。
「アミィを止める事は出来ない。それはこの数年で身に染みた。ならばもういっその事、妖精を根絶やしにした方が早いか?」
「妖精との戦争前提なんすね」
「当たり前だろ。あの変態性悪粘着女がアミィの存在を知って大人しくする訳が無い。アミィに手を出そうものなら本気で殲滅してやる……妖精界も滅ぼしてやる……」
黒い笑顔に不気味な笑い声。まだ何も始まっていないのに、シルフは始まる前から臨戦態勢だった。
そんな様子を見て、エンヴィーは心より安堵した。
(よっしゃ、このヒトがこの調子なら俺が制約破って暴れても問題無さそうだな。しかも殺して良さげ。これならいざと言う時にも妖精共の魔の手から姫さんを守れるぜ!)
体の横でこっそりと小さくガッツポーズを作る。どうやらアミレスがよくしていたからか、その癖が移ってしまったらしい。
ここは普通、暴走気味の王を忠臣として止めるべき場面なのだが……何せエンヴィーも妖精達については思う所がある。なので妖精との全面戦争にも乗り気なのだ。
「とりあえず。エンヴィーは引き続きアミィの傍にいるように。ただ、アミィがその妖精の土地に行く時は同行するな。ボク達の存在の有無で妖精共に気づかれる可能性が低くなるだろうし……もしもの時が来たら、すぐにでもアミィの元に行けるよう準備だけでもしておけばいい」
うぉっほん。とわざとらしく咳払いをして、シルフはエンヴィーに意向を伝える。それにエンヴィーは一度頷いて。
「その時までは、精霊界で待機──見守っておけばいいんすね?」
「そうなるね。その内乱とやらがいつになるのか分からないけれど、ボクは多分制約の破棄をしているだろうから。そうだとしたら勿論手が離せないだろうし……本当はボクが見守りたいけれどそこはお前に任せるよ、エンヴィー」
シルフが後ろ髪を引かれる思いで告げる。
するとエンヴィーは一瞬目を見開いて、刹那のうちにその表情を真剣なものへと塗り替えた。
「──我が王からの勅命とあらば。火の最上位精霊の名に恥じぬよう、必ずやご期待に応えて御覧に入れましょう」
シルフの前にて跪き、左胸に手を当てて、エンヴィーは恭しく頭を垂れた。
そこにはいつものような軽い口調もシルフへの砕けた態度も無く。エンヴィーは、最上位精霊らしい厳かで神聖なる空気を纏っていた。
「……期待しているよ、エンヴィー」
堅苦しい事が苦手なエンヴィーがここまでした──それだけで、エンヴィーがいかに本気なのか。それをシルフは理解した。
故に。王は王らしく激励の言葉を送った。
精霊の愛し子を守る為ならば神々との制約さえも破ろうとするエンヴィーの覚悟に、敬意を表するかのように。
「お任せ下さいませ、我が王」
そしてその言葉に答えるように顔を上げ、エンヴィーは勇ましく笑った。
♢♢
チク、タク、と。静かな部屋に時計の音が響く。
時計の針は三を指していて、部屋は暗く、窓より射し込む月の光だけが頼りだった。その部屋の主は大きな寝台に座り、ぼーっと手元に視線を落としていた。
(……ハーブティーを人から贈られたのは、これで二度目ですね)
その手にはハーブティーの元となるハーブの入った瓶。
その素顔を隠すように揺れる仮面越しに、彼は思い出に浸りつつその瓶を見つめる。完全にオフと呼ぶべき軽装で、彼は僅かな就寝前の時間を過ごしていた。
(しかも、渡す時の文言も似てましたね)
仮面の下で柔らかく笑みを作り、彼は思い出を振り返る。
『───ねぇ、貴方最近働きすぎよ? ほらこっちに来て、一緒にお茶にしましょう! 貴方の疲れが少しでも取れるよう、とっておきのものを用意したの』
一度目は十数年前。薄紅色の髪が儚く映る最愛の女性が、働き詰めの彼を心配して用意したと言っていた。
『───近頃、またお忙しくなられたのか、少しお疲れのようでしたので……少しでも心安らげていただけたらと思い、疲労回復の効果のあるものを選びました』
二度目は数時間前。銀色の髪が眩く映る守るべき少女が、多忙な彼を心配して選び抜いたと言っていた。
まさか一度の人生で同一人物ではなく別の人間に、ここまで似た状況で同じ品を渡されるなんて。そう、彼は驚いていた。
(渡す時の表情だって一緒だった。心配そうに私を見上げる顔も、その声だってそっくりだった。嗚呼、駄目だ……益々彼女があの人に似てゆく。どれだけ自制していようとも、彼女にあの人を重ねてしまう──)
左手でくしゃりと仮面を握り、男は寝台へと身を投げた。その右手には、相変わらずハーブの入った瓶が。
勢いよく寝台に倒れ込んだからか、はたまた彼自身が仮面に触れていたからか……その仮面は少しズレて、彼の口元を露出させていた。
滅多に肌を見せないから分からなかったが、とても色白な肌。不健康なのかと問いたくなるような、冷たく青白い唇。
彼が誰にも見せる訳にいかないと布を使って隠していた素顔が、少しばかり世に晒された瞬間だった。
(……何がなんでも、彼女が陛下と会わないようにしないと。もし、今の彼女と陛下が鉢合わせた日には…………)
間違いなく、陛下の怒りと憎悪が彼女の命を奪う。
彼はエリドル・ヘル・フォーロイト皇帝をよく知っている。だからこそ確信を持って言えるのだ。その少女にとって、エリドルと鉢合わせる事は死そのもの。最も忌避すべき事なのだと。
そのような事態にはならないようにすると彼は腹を括った。どんな手段を使ってもいい。二人が顔を合わせる事だけは起きぬよう裏で手を回し尽くそう。
(大変ですけど、これも二人の為ですから──……)
男は決意した。疲れきった体を酷使してでも、最愛の人の心と最愛の女性の忘れ形見を守る為に、更に身を粉にすると。
色素が抜け落ちて来ているのか、少しばかり白く色褪せた金色の髪の毛をふわりと動かして体を起こす。寝台から立ち上がり、彼は机の上にハーブ入りの瓶を置いて、やがて彼は糸の切れた操り人形のように寝台に倒れ込んで就寝した。
何を常に警戒しているのか、その布だけは決して外さないまま…………。
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