190.気まずい空間2
六月の終わりに貧民街大改造計画が完了し、ついに大衆浴場や学校のようなもの、そして診療所の運営が始まった。とは言えども、現場監督などは全てシャンパー商会から派遣された人が担っている。私がするのはそれら貧民街で行われている様々な事業の統括だ。
そしてその学校のようなものの運営に際して、なんと私が教育に関する法改正の為の草案を練る事をケイリオルさんに命じられた。
出来る限りこの世界でも再現出来そうな草案を練り、やがてお偉いさん達の前でプレゼンした。勿論最初は『見通しが甘い』『非現実的だ』『その法の主旨が分からない』と散々ダメ出しを食らった。
しかし私はへこたれなかった。あんなにボロクソに言われては逆に燃え上がるというもの。
やってやろうじゃないの、転生チート! と暫し自重する事を止めて草案を練った。
そして頭ごなしにダメ出ししてくるお偉いさん達の前にその草案と補足の為の資料約三十ページを叩きつけ、
『皆様、これより二時間程時間をいただきますわ。よろしいですわね?』
有無を言わさぬ笑顔と圧で私はプレゼンを始めた。
日本の教育に関する法を真似たいくつかの法。いわゆる就学支援だったり、義務教育だったり、職業訓練学校だったり。当然この世界では簡単には理解されないそれを私は一から十まで細かく説明し、反論の隙を与えなかった。
『──この就学支援とやらに何の意味が……』
『世の中には教育を受けたいと願っていても金銭面からそれを断念する人が多い事実は、国際的な社会問題ともなっている事です。この就学支援にて卒業までの金銭面の補助を行い、卒業後に少しずつ借金を返させたらよいのです』
詳しくは資料十三ページを、と資料を見るよう促す。
『──この貸与と給付の形式も謎だ。給付など与えるだけでこちらになんの利益も無……』
『資料に書いてあります通り、給付形式の就学支援は厳正なる審査と契約のもと履行されます。学校に通う金銭を全面負担する代わりに、必ず卒業後は国にその身を捧げる──いずれ国益となると確信出来る相手への先行投資のようなものです』
先行投資なら皆様でもご理解いただけますよね? と圧をかけた。
『──ではこちらの職業訓練学……』
『少しでも多くの人に職業選択の自由を与えるべく、様々な技術や知識を中心に教える場となります。どうしても専門の知識や技術がなくては就けない仕事も増えつつある昨今において、それに反比例するかのように技術者や専門家は減る一方。これは、それの打開策として専門家の増加と市民が手に職をつける事の二つを目的とした案にございます』
失業率やそもそもの就職率を鑑みての案です。と言い放った。
『──一定の年齢までの教育を義務化するなど子供の成長に悪影響で……』
『いえ、寧ろ良い影響ばかりかと。一定の年齢までの時間を学校で過ごす事によって、対人関係を知り、社交性などが育まれ友達ができる場合とてあります。そして一定の年齢までの教育を義務化する事で、教育における貧富の差というものを無くす事が可能になります』
その後更なる教育を望む者には、引き続き学校に通わせればいいのです。と補足した。
そんな風に私はお偉いさん達からの全ての質問に食い気味に答え、捲し立てた。たまに変化球を投げてくる性格の悪い人もいたけれど、それにもきっちり答えた。
その末に無事第一関門は突破。後日ケイリオルさんが皇帝とフリードルと各部署部署長が参加する会議にて、この草案を議題にかけたらしい。
私が考えたものだと言う事で最初は難色を示されたそうだが……内容がしっかりとしていた事、ケイリオルさんがこの草案に理解を示してくれていた事から長い会議の末なんと第二関門も突破。
後は最終関門──貴族会議と呼ばれる場にて過半数の賛同を得れば、この法案は可決されて無事法改正となる。
何故そんな事まで私がやらなければならないのか甚だ疑問ではあるものの、これもこの国の未来の為だと。そう割り切って、私は現在、貴族会議用の資料と台本を作成中なのだ。
その上で、普通の仕事も回ってくるわ個人的な調べ物もするわでもう忙しい。本当はカイルの相手なんかしてる暇無いぐらい忙しい。
「今後の大衆浴場の維持に割く人件費は一週間の利用者数から鑑みて……診療所の利用者数が想定よりも……もう少し宣伝した方がいいかしら……」
現地で運営と管理をしてくれている人達から送られて来た定期報告に目を通し、ぶつぶつと呟きながら頭を悩ませる。
大衆浴場の運営はかなり上手くいっているようで、低価格でありながらも既にかなりの売り上げを記録している。出来る限り貧民街の中でも街に近い場所に作った事から、貧民街の人達だけでなく街の人達も利用してくれているらしい。
毎日湯浴みが出来るのなんて浴槽が家にある貴族ぐらいで、貧民街の人達はおろか一般市民の人達でも難しい。
そんな中出来た大衆浴場。低価格でありながら、二十四時間好きなタイミングで利用可能。石鹸は無料だが、他の人が使ったものはちょっと……という人向けにシャンパー商会で取り扱う石鹸を受付横にて破格の安さで販売。更には肌触りのいいタオルなども販売しており、持参するのを忘れたという人は買う事が出来る。
最初は誰もが見知らぬ人と同じ湯船に入る事に若干の抵抗を見せていたものの、それも一週間も経てば慣れたようで。男湯と女湯が完全に別れており、銭湯のように荷物を入れるロッカーと鍵(どちらも魔導具)が五十個ずつ設置されている。更に、入口を徹底的に監視している為、防犯面も完璧。
そのありえない金のかかりっぷりとシャンパー商会運営という点から、帝都の人達から既に絶大な信頼と人気を得ている。
孤児院は子供中心、集合住宅は世話が必要な老人や持病持ちの人を中心に。そんな風に優先順位を決めて入居者を募り、無事どちらも満杯に。その後、貧民街の人達から『自分もちゃんとした家に住みたい』という旨の希望を多く聞いたので、一時的に皆さんには仮設の集会所のような所で集団生活をして貰い、労働力は勿論その本人達で新たな集合住宅を建設中。
大衆浴場や診療所や孤児院などの建設資金は主に私の私財やシャンパー商会の資産から捻出していたのだが、貧民街に沢山の集合住宅を作る大規模な計画の企画書をシャンパージュ伯爵が国に提出したところ、正式な許可と共にとんでもない額の予算が出た。
私が趣味で始めたこの貧民街大改造計画は、一躍国家事業へと進化したのだ。
貧民街の一角を大改造する計画が、今や貧民街全域を大改造する計画になって……その計画の責任者が、言い出しっぺの私なのだ。お陰様で忙しいったらありゃしない。
「ふむふむ……病人や要介護者の集まる集合住宅か。老人ホームとか病院の方が近そうな概要だな。なぁなぁアミレス。確かお前、何か職業訓練学校的なの作ろうって話してたよな?」
「してたけどそれは別の話よ。というか勝手に見ないでよ、せめて一言ちょうだい」
勝手に貧民街大改造計画の資料を手に取り、読んでいるカイルからそれを奪い返し、急に何? と問う。
「いや、これどう考えても貧民街に看護師とかいた方がいいなーと思って。看護師とまではいかなくても、職業訓練学校作る前に、試験的に貧民街で介護要員の育成とかしてとりあえず介助人を用意した方がいいんじゃねーの? そしたらご高齢の人達や病人の世話がスムーズになるし、職も増える。なおかつお前が作りたがってる職業訓練学校のいい前例になって、一挙両得だと思うけど」
カイルは至極真面目に陳述した。
この男は本当に、たまにこうしてめちゃくちゃ役立つ事を言い始める。彼の意見に一理ある、と納得させられた私は一応その旨を資料の裏に書きなぐる。
「介助人か……職業訓練学校の試験的運用で貧民街にあった方がいい職業を育成するのはアリね」
「だろ? 俺的には救命士とかも育成した方がいいと思うぜ」
「確かに貧民街で治療活動が出来る場所は診療所しか無いし、その癖事故や事件は多いから……そういう存在がいた方が生存率が上がるかもね」
「というか、救命士に限らず市民全員にある程度の医学知識を与える事はいいと思うけどな」
「それは義務教育法案が可決されたら実践するわ。とりあえずは介助人の育成ね……」
どうして彼が敵国の話なのにどうしてこんなに親身になるのか分からないが、私はカイルと真剣に話し合っていた。するといつの間にかマクベスタがすぐ傍まで寄って来てて。
それに気づいたカイルが嬉しそうに「どしたん、マクベスタ?」と聞くと、
「……今まで、オレは他国の人間だからとアミレスの仕事には首を突っ込まないようにしてたんだが、カイルが関わるのなら、オレも関わろうと思って。オレも何かしら力になれる……かもしれないから」
視線を明後日の方向に逸らしつつ、少し耳を赤くしてマクベスタはそう言った。
首を突っ込まないように、とは言うけれど……マクベスタはなんやかんやでずっと傍で色々とサポートしてくれていた。侍女達が忙しい時に代わりに紅茶を持って来てくれたりと、一歩線を引いていてこの話には関わらなかったものの、彼は私本人を支えてくれていた。
そんなマクベスタがついに首を突っ込んでくれるのだという。ゲームでもマクベスタの地頭の良さは何度も描写されていたから、そんな彼がこうして頭を使う事に関わってくれる事がアンディザファンとして嬉しい。
「本当? 少しでも色んな視点からの意見が欲しかったから、そう言ってくれるのは嬉しいわ」
笑ってそう告げると、マクベスタは改まった顔で任せろと頷いた。するとその後ろからひょこっと師匠とイリオーデが顔を出して。
「それなら俺の意見もなんか役に立ちますかね?」
「貧民街は私の第二の家です。私も、何かお役に立ちたく申し上げます」
何と二人も協力すると申し出てくれた。そんな心強い助っ人からも色んな意見を聞くなどして、貧民街大改造計画について実りのある話し合いを出来た。
その途中でふと、
「そーいやあっちの法案の方はいいんすか? なんとか会議ってやつ、もう三日後とかなんですよね?」
師匠が教育法の方は放っておいて大丈夫なのかと案ずる。そんな師匠を見上げて、私は大丈夫と笑いかけた。
「台本はもう全部頭の中にあるし、資料だって後はもう複製するだけだもの。特に緊張とかもしてないし、心配はいらないよ」
「へぇそりゃ凄い……って。台本ってあれですよね、あのくそ長ぇ文章……?」
「そうよ?」
それ以外に何があるの? と首を傾げると、私の目の前にいる美形達はイリオーデを除き皆揃って呆れのような表情になって。ちなみに、イリオーデは何やら一人だけしたり顔になっている。
一体何なんだと思いながらそれを眺めていると、腰に手を当ててため息をついた師匠がおもむろに口を開いて、
「いやぁ、姫さんの記憶力がスゲーのは知ってましたけど……改めて聞くと本当に凄いっすね」
ぽんぽん、と私の頭を撫でて来た。かけっこで一等賞を取った我が子を褒める親のように、優しい声で「流石っすね」と笑いかけてくれる。
こんな風に褒められた事があまりないので、喜びから頬が緩む。
「べ、別にそんな凄くないよ。だって覚えようと思わなきゃ覚えられないし。一度見聞きしたら何もかも覚えられる人だって世界にはいるんだから、そういう人のがずっと凄いよ」
私は照れ隠しで師匠の手を雑に退けて言い放った。
ちなみにその一度見聞きしたら全てを覚えられるというのはズバリ、レオナードの事だ。あの秀才はとんでもない才能まで持っているのだ。
しかしそれを知らない人達は(カイルは知ってる筈なんだけどね)この発言がどうにも気に入らなかったようで、「そんな事ないっすよ」「お前が一番凄いに決まってるだろう」「やはり王女殿下こそが至上です」「チート、乙!」とやけに私の発言を否定して来た。
しかし残念ながら私なんてただちょっと人より記憶力がいいだけで、真の天才がこの世にいるんですよね。
そう、何度も言っても皆は全く理解してくれなかったのだった。