183.終幕 監国の王女
皇帝視点で始まります。
──この国の夜空は、月が良く見えるな。
タランテシア帝国は我が国とはかなり違った街並みと、文化を持つ。屋根が赤く、装飾や意匠の数々も大違い。比較的、青が尊き色とされる我が国とは違ってこの国では赤が神聖な色とされるようだ。
しかしそれらに対して嫌悪感などが湧く訳ではなく、これはこれで味のあるもの。と文化の違いを楽しんでいた。
白の山脈を挟み、フォーロイト帝国の丁度真南にあるこの獣人と亜人の大国。白の山脈を越えるか迂回するしかここに来る方法はなく、これまでは行こうとしなかったが……今年は我が国で厄介事もある為、ここぞとばかりにタランテシア行きを決めた。
パーティーなぞ、面倒極まりない。伝統だなんだと言われようが私からすれば全てどうでもよい。しかし彼奴がどうしてもと騒ぎよったから、仕方なく許可した。──私は一切関与しない事を条件にな。
パーティーの準備もそうだが、何より本番程億劫で厄介なものもない。故に全て彼奴に丸投げした。あそこまでパーティーに意欲を見せるのだ、これぐらいの仕事増加は問題なかろう。
そうやってケイリオルに全てを押し付けて私は数名の近衛騎士と共にタランテシアに向かった。そうしてからかれこれ六ヶ月程。
暫しタランテシアに滞在し、元々目星を付けていた場所を回るなどして異国文化への見聞を広めていた時だった。
ケイリオルがアレを社交界デビューさせたいなどと嘆願して来た。えらく饒舌に、アレを社交界デビューさせる事についての利点をプレゼンして来る上に、何故か彼奴は逃げる事を許さず、結局私は三時間弱も彼奴のプレゼンに付き合わされた。
非常に面倒臭かった。最早アレの社交界デビューなどどうでもいいと思える程に、ただただ面倒極まりなかった。
ケイリオルはなんのかんの言ってかなりの頑固者で、一度こうと決めたらそうそう曲げない性格をしている。彼奴が帝国の事を思い、アレの活用法をプレゼンして来る事はここ一年で何度もあったが……あそこまでの勢いと情熱は初めてだった。
とどのつまり、フリードルの誕生パーティーとアレの社交界デビューを同時に行う事にこそ意味があると言う事。
酒を飲みながら適当に聞き流していた為か、半分ぐらい彼奴の話は聞いていなかったのだが……とにかくケイリオルが言うにはそういう事らしい。
まぁ、ケイリオルは間違った事は言わぬからな。彼奴は私よりも聡く、私よりも強いのだから。そのくせ、異端とも呼べる思考回路と、途轍もない魔眼まで持っておる。
本来戦場の怪物などと呼ばれるべきは彼奴の方だ。戦地にて万の敵を単騎で蹂躙出来る程の実力を持ちながら、何故、彼奴は好き好んで書類仕事をしたがるのか。
彼奴のその異常と言うべき仕事能力のお陰で、私は楽が出来ているのだがな。重要職は全てケイリオルに任せれば良いし、人事を全てケイリオルに任せておけば間者などの心配もいらぬ。
人生のほぼ全ての時間を彼奴と共にしているが、私は未だにケイリオルの事を理解し切れていないな。彼奴が何を考え、何を思い、何を成そうとしているのか。
聞いた所で、彼奴はいつも通り笑って受け流すのだろう。その顔で笑うなと何度言っても聞かんからな、あの調子者は。
『……──下。陛下、聞こえてますか?』
首から提げていた魔水晶にぽっと光が宿り、そこから聞き慣れた声が聞こえて来た。噂をすればなんとやら、ケイリオルが連絡を取ってきた。
「どうした。言っておくが私はまだ帰らんぞ。後何箇所か巡る予定の場所が残ってるのでな」
『分かってますよ。出来ればパーティーに間に合うよう帰って来て欲しかったのですが、こればかりは仕方ありませんから。今回は、そのパーティーの報告ですよ』
あぁ、そういう事か。そう言えば昨日がフリードルの誕生日だったか…………これでフリードルも十五か。早いな。
タランテシアの銘酒を浅めの器に注ぎ、それを味わう。我が国で生産されるワインや蒸留酒とはまた違った酒で、中々に奥が深い酒だ。
酒を飲みつつ「手短に話せ」と言うと、ケイリオルは『まーた酒飲んでますねぇ……』と小さくため息を漏らして報告に移った。
まずは初日。皇太子妃選びの開幕でもある場では、フリードルが気に入るような女はいなかったようだ。
では後々、慣例通り皇太子妃選びの為の様々な試験を行う必要が出て来たのだが……無論、私は興味無い。そして面倒臭い。なので当然ケイリオルに全て任せる事とした。
皇太子妃に相応しい女を見定めるのは、この国で最もケイリオルが向いているだろうからな。
そして二日目、フリードルの誕生日当日。この日が一番問題であったと聞かされた。
何故なら国教会からは聖人が自らやって来て、更にはあの吸血鬼まで数十年振りに帝国にやって来たのだという。
しかも何だ? ランディグランジュの消えた神童がアレの騎士として再び社交界に戻って来ただと? 全くもって訳が分からぬ。あまりにも情報量が多くて頭が痛くなって来た。
最後に三日目、最終日。その三日間の中では最も平和的に何事も無く終わったらしい。ただフリードルが体調を崩したとかで、パーティーが終わってすぐに自室で休む事になったのだという。
色々と予想外の事態は発生したものの、フリードルの誕生パーティーは概ね成功したと。そう、ケイリオルは報告して来た。
「ご苦労だった。相当仕事詰めだった事だろう、暫しゆるりと休め」
『お気遣いありがとうございます、陛下。しかしここで私が休めばこの国は傾きますので、休もうにも休めないのですよ』
「一体、何がお前をそこまで追い込んでおるのか」
『ははは。陛下ですよ』
これは冗談というものだ。そう目くじらを立てるでない。
『とにかく。可能な限り早く予定を済ませて帰って来て下さいね、陛下。私とて人間ですから、いつまでもこの調子という訳にはいきませんので』
ケイリオルがため息混じりに吐いたその言葉に、私は強く反応した。
「ケイリオル……まさか、お前まで私の前から失せるつもりではなかろうな」
手に持った浅めの器に亀裂が走る。彼奴の発言に、怒りを抱いているからだろう。手に力が入り、皮膚には血管が浮かぶ。
『──まさか。私が死ぬ時は、陛下と同じ墓に入る時ですよ』
「…………左様か、ならば良い。しかし二度と私の耳が届く場にてそのような発言をするな。次は無い」
『は、畏まりました。軽率な発言をしてしまい申し訳ございません』
ケイリオルからの返答に満足した私は、ケイリオルとの連絡を終えてから、酒を器に注がずに直に喉へ流し込んだ。
改めて彼奴の考えを知れて、安心したのだ。ケイリオルは私の前から消え失せない。私を置いていかない──そう分かっただけで。私はまるで子供のように安堵していたのだ。
「……なぁ、見ているか。お前の見たがっていた景色は、存外普通のものだったぞ」
窓の外に見える満月を見上げ、私は呟いた。
こんな事なら我が国の方がもっと美しい。いくつもの国を巡ろうとも私の感想は変わらぬ。
何度、お前の望んだ景色を見ようとも。私の目にはただの景色にしか見えない。お前が語っていたような、思い出に残る光景とやらには見えんのだ。
「お前の目には、一体この世界がどう映っておったのだ──……アーシャ」
♢♢
「はぁぁぁぁ…………何を口走ってるんですか、私は」
陛下との連絡用魔水晶から光が消えたのを確認し、私は膝から崩れ落ちるようにその場に座り込んだ。
全身から力が抜けるよう。つい、疲労からか余計な事を口走り、陛下の機嫌を損ねてしまった。
汗という汗が滝のように流れ、心臓は速く鼓動する。よかった、早々に誤解を解けて本当によかった。私は決して陛下の元を去らないと、そう伝えられてよかった。
「……安心して下さい。私は、私だけは……何があっても貴方より先に死なないから」
それは、いつの日か彼と交わした誓い。
『───何があろうとも。俺とお前はこれから先もずっと一緒だ。俺達二人で、あいつが安心して暮らせる国にするんだ』
今よりもずっと幼い姿の彼は、唯一の仲間であった僕に握手を求めながら、そう言い切った。
『───お前、は……お前だけは……絶対に、私の前からいなくならない、だろうな』
初めて見るような恐慌状態で、彼は救いを求め縋るように手を伸ばし、震える口で言葉を紡いだ。
一度目はとある少女を守ろうと決めた時。二度目はとある女性が二度と笑いかけてくれなくなった時。その二度の誓いを経て、私は強く決意したのだ。
何があろうとも、僕だけは──……私だけは彼を裏切らない。彼が死ぬその時まで、必ず生きて共に死ぬと。あの女の代わりに、彼の人生をその最期の時まで守ると。
僕は僕を捨て、彼の影となる事を選んだ。彼と同じように『私』と一人称を変えて、名も顔も捨てた。
僕は、彼にこの人生を捧げる事を誓ったのだ。
「…………どんな結末を迎えても──貴方が少しでも笑って、この世界を楽しんでくれるなら。もう二度と、あんな後悔をしなくても済むのなら」
僅かに凍る小さな空き瓶を強く握り締め、私はふらふらと立ち上がった。ふと思い立って、窓の外一面に広がる星空と満月を見上げる。ただ漠然と、きっと彼も同じ月を見上げているだろうと思ったのだ。
……大好きな貴方がもう二度と、あんな風に苦しまなくて済むのなら。私は──、
「喜んで、悪になるよ。例えそれで貴方に嫌われようと、憎まれようとも構わない」
今度こそ貴方の代わりになろう。貴方が苦しむぐらいならば私が苦しもう。貴方が傷つくぐらいならば私が傷つこう。貴方がもう二度と後悔しないよう、どんな手段を用いてでも私は最悪の結末を阻止しよう。
大好きな貴方と、大好きな彼女が遺した子供達の幸せの為にも。私は喜んで犠牲になろう。
だってそれが──……私という人間の役目ですから。
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