175.絢爛豪華なパーティー5
その後、令嬢が重ねてお礼を言って来た。まるで折り紙のように綺麗に折られた腰、平身低頭とはまさにこの事。
そんな令嬢は、遅れてやって来た友人と共にパーティーを楽しみに行った。それを送り出してから、私は改めてシャンパージュ伯爵家と言葉を交わす。
伯爵夫妻が一度挨拶回りに行く間、メイシアを預かっていて欲しいと言われた。私もメイシアと一緒にいる事は大歓迎なので、勿論快諾した。
そしてこの場には私とイリオーデとメイシアが残される。
三人で暫く話していた所──……いや、私はほとんど口を挟む暇すら無かったわね。メイシアとイリオーデによるドレスやら先程の事やらへのマシンガンの如き褒め言葉ラッシュに、私は最早一言も発する事が出来なかった。
そんな二人に挟まれる私に声を掛けられる者などおらず、見知らぬ人に絡まれる事も無いまま快適な時間を過ごしていた。
もうすぐダンスの時間だ、という時。一人の男がゆっくりとこちらに近付いて来て。
「失礼、麗しき氷結の聖女様。どうか今一度貴女様と言葉を交わす栄誉を、私めにくださいませんか?」
何やら懐かしい肩書きと、聞き慣れない丁寧な口調。
まさに王子様と言うべき装いに微笑みを浮かべる、黄土の髪に翠色の瞳のリアル王子。
「……ふふ。勿論よろしくてよ、マクベスタ・オセロマイト王子」
そちらがそう振る舞うならと、私も王女モードで対応する。スっと右手を出すと、マクベスタはその右手に触れ、軽く手の甲に口付ける。
恥ずかしいのだが、これが帝国のマナーでして。とりあえず、男性が挨拶して来たらこうして手を差し出さねばならない。しかし例外として、パートナーが傍にいる男性には手を差し出さないのがマナーなのである。
私が見知らぬ人達と関わりたくない事の大きな理由が、これである。人にキスされるのも恥ずかしいし、初対面の見知らぬ男にキスされるのは普通に気持ち悪い。
これは悪しきマナーよ。今すぐ撤廃されないかしら。
それにしても、マクベスタの顔がとても赤くて、瞳もとても熱っぽくて……明らかに普通では無かった。
どうしたんだろう、体調不良?
「マクベスタ王子、顔が赤いですけれど……熱でもあるのかしら。会場に来るのもかなり遅かったようだし、私心配ですわ」
「へっ? あ、いいえ何ともありません! これは、その……会場がっ、暑くて!!」
絶対嘘だわ、これ。いくらなんでも慌て過ぎだもの。
でも何でそんな嘘をつくのかしら……何か私に言えないような何かが!? でも私は帝国でのマクベスタの友達第一号で相棒みたいなものなのよ? そんな私に言えない程の事ってある?!
いやちょっとこれは自信過剰過ぎるか。いや自信過剰だとしても、とりあえず私がマクベスタの友達である事には変わりないのよ?
「ハァッ、まさかどこぞの女と密会……っ?! いかがわしい事でもしてたから、顔が赤くて会場にも遅れ……」
「そんな訳無いだろう?!?!」
どこの馬の骨が私の友達を誑かしたんだ!! と一人で熱くなる私の言葉を、マクベスタが更に顔を真っ赤にして食い気味に否定する。
「一体何をどうしたらそんな思考に至るんだ……オレが誰かと、その……懇ろな関係になどなる訳がないだろう」
「え。ないの?」
「お前、さっきはあんな勘違いをしたのに、どうして今はそんな意外そうなんだ……?」
いやまぁ、マクベスタは一応将来的にミシェルちゃんに惚れる予定だし。まだ若いからそういう事は考えてないのかしら。
「アミレス様はマクベスタ様がどこかのどなたかとお付き合いする事をお望みなのでは?」
私の右腕にメイシアがぎゅっと抱き着いて、「わたしは恋人とか興味ありませんからね、アミレス様!」と謎の宣言をして来る。
本人が必要無いと言うのなら強要するつもりはないけど……私としては、ウエディングドレスに身を包んだメイシアとか見てみたいんだけどな。
ゲームでは悲惨な死に方をしていたからこそ、メイシアにも今世では幸せになって欲しいもの。
「えっ……そ、そうなのかアミレス?」
「? 別にそういう訳では無いわよ。ただ、マクベスタもきっといつか物語みたいな恋をするんだろうなーと思っただけ」
「物語みたいな恋……」
何故かショックを受けているマクベスタを見て、メイシアがどこか勝ち誇った顔をする。
「あ、そうだメイシア。いつか誰か好きな人が出来たら教えてね。私の力で最高の結婚式とウエディングドレスを用意するから」
なんなら私自らメイシアのウエディングドレスをデザインしよう。世界一可愛い花嫁にしてみせるわ!
「わたしが一番好きなのはアミレス様ですよ?」
「私とは結婚出来ないでしょう。私は貴女の花嫁姿が見たいのよ」
「結婚出来たらしてくれるんですか?!」
「え? 私、結婚願望は無いからなぁ……」
「そうなんですか……」
今度はメイシアがショックを受けたようで、子犬のようにしゅんとなった。しかも何故かイリオーデもマクベスタも衝撃を受けている。
なんだろう、もしかして私こそが結婚する事を望まれてる? でも私にはそこまでの余裕が無い。皇帝やフリードルや世界から殺されないように努力するので精一杯だ。
それに──そもそも、愛とか恋とか分からないもの。
「まぁ、とりあえず。私としては皆にただ幸せになって欲しいだけなので……好きな人が出来たら教えてね。皆に相応しい人かどうか審査するから」
「審査するのか……」
「わたしが好きなのはアミレス様ですっ」
マクベスタは戸惑い、メイシアは何度聞いても私が好きと言ってくる。それ自体はとても嬉しい事だよ? 私もメイシアの事は大好きだし。
うーむ。改めて考えてみると、メイシアはまだ十二歳だ。異性より同性と仲良くしたいお年頃なのかもしれない。
それにしてもイリオーデが一言も発さないわね。
「イリオーデも、誰か気になる人がいたら教えてちょうだい」
話題を振ってみると、イリオーデはコテンと首を傾げて、
「私が王女殿下以上に尊重する女性など存在しません。今までも、これからも」
顔の良さで押し切った。
私の騎士、忠誠心が凄すぎるわ。今まではともかくこれからはまだ不確定要素の方が多いのに……よく言い切ったわね。
でも未来は基本的に分からないものだし、絶対は無いから。もしその時が来てもイリオーデが自責の念に駆られたりしないよう、これからもやんわりとこの旨は伝えて行こう。
そうこう考えているうちに、ついにダンスの時間がやって来た。当然、私も踊る必要があり……ダンスはパートナーのイリオーデと踊った。
イリオーデはランディグランジュ侯爵家の人とは言え、十年近く貧民街で暮らしていた筈なのに、何故かダンスも完璧だった。
「もう、何で貴方はそんなに何でも出来てしまうのよ。ダンスも完璧で……まぁ助かるけど」
「王女殿下に恥をかかせる訳にはいかなかったもので、このような場合に備えて密かに練習しておりました」
「そうなの? 誘ってくれたら良かったのに……私もダンスに自信がある訳ではないから、もっと練習したかったわ」
「私の用事に王女殿下を付き合わせるなど……」
「別にいいわよそれぐらい。貴方ばかり上手くなっても意味無いでしょう? だから、今度からは誘ってね」
「っ! 畏まりました」
流れてくる音楽に合わせて、二人で華麗に踊る。ずっとイリオーデの事を見上げているから少し首が痛くなって来たけれど……こうして実際に誰かと踊る事が楽しいなんて、思いもしなかったわ。
社交デビューなんてクソ喰らえって思ってたけど、ダンスとスイーツだけは楽しいわね。
「あ、メイシアとマクベスタも二人で踊ってるみたい。いいねぇ、物語の王子様とお姫様みたいで」
くるっとターンした時に、メイシアとマクベスタがぎこちない様子で踊っている初々しい姿が目に入った。
なんかいいなぁ、あの感じ。微笑ましい。
いっその事、あの二人がくっついてくれたらなぁ……お互いの事もよく分かってるから私としては認めない理由が無いし、すっごく応援するのに。
大好きな友達がくっついたら、きっとそれは紛れもない幸せだろうから。
なんて考えていた時、強く腰を引き寄せられて。
「ぅえっ?」
力強く抱き締められたかと思えば、まるで最初からそういう振り付けだったかのように、私達はその場で鮮やかなターンを決めていた。
一体何事と思いながらイリオーデの顔を見上げると、イリオーデが少し背を曲げて顔を寄せて来た所で──、
「余所見などせず、今は私だけを見て下さい」
耳元で囁かれる。
こんなまるで乙女ゲームのイベントシーンみたいな状況、私のような人間に耐えられる筈も無く。
目と鼻の先にあるイリオーデの真剣な瞳が、真っ赤になった私を映している。イリオーデは攻略対象でもなんでもないのに、どうしてこんな乙女ゲームの攻略対象みたいな事してるの!?
あまりの不慣れなシチュエーションに心臓が爆音で鳴り響く。火が出てるのかってぐらい顔も熱く、『私だけを見て下さい』なんて言われても恥ずかしさからそんな事出来ない。
ようやくイリオーデの顔が離れて安心したのも束の間、私は視線を逃がした先で見つけてしまったのだ。随分と激しくダイナミックにダンスを踊っているペアを。
……もしかして、イリオーデは彼等から私を守る為に強引に引き寄せたとか? 私が余所見をしていて、彼等の接近に気づかなかったから。
〜〜〜〜〜っ、なにそれ恥ずかしい!! イリオーデが善意でやってくれた事に何を照れまくってるのよこの馬鹿!!
私も、アミレスも、異性への免疫が無さ過ぎるんだってぇ……!
そんな情けない悲鳴をあげつつも、私はその後少しだけ貴族達と話したりもして、パーティー初日を何とか乗り切った。
後一日、当日さえ乗り切れば三日目は参加しなくてもいいんだ……頑張るぞ、おーー!
「…………あー、なんか精神的に疲れたわ……」
夜。バタリと寝台に倒れ込んで、私はそのまま入眠した。
♢♢
「──私とした事が、何を子供じみた真似を……」
東宮の私に貸し与えられている部屋にて、髪をくしゃりと握り、私は今日のパーティーの時の事を思い出した。
夕方になり、かくも美しくあらせられる王女殿下を見て完全に見蕩れてしまった。それと同時に、こんなにも成長なされた事に喜び涙した。
今日の私は何度恥を晒せば気が済むのか……王女殿下にご迷惑をおかけするだけに飽き足らず、まさかあのような子供じみた真似をしでかしてしまうなんて。
「……だが、どうしてだろうか。不思議と後悔はしていない」
もしや、とは思っていたのだが……王女殿下と踊れる事になり、私は内心でとてもはしゃいでいた。更に緊張していた。
私如きが王女殿下の足を引っ張らぬように、と。
そこまでは良かった。練習の成果も出て、何と王女殿下にお褒めいただけたのだから。
だがその後、王女殿下はシャンパージュ嬢とマクベスタ王子のダンスを、慈しむかのような柔らかな瞳で見つめていらっしゃった。
美しく暖かく煌めく貴女様の瞳を真正面から見たくて。その瞳に、私だけを映して欲しくて。
彼女すらも気づけていない……氷を溶かすような温かなその慈愛を、私だけに向けて欲しくて。
『余所見などせず、今は私だけを見て下さい』
王女殿下の繊細な御体を強引に引き寄せた上に、浅ましい欲望を口にしてしまった。
その後、王女殿下は暫く俯いてしまい……結局その瞳を見る事は叶わなかった。あのような愚行を犯した私への、当然の罰と言うべきか。
「この歳にもなって、嫉妬か。王女殿下にとっての一番でありたいなどと……何と、分不相応な望みなのか」
あの二人は、王女殿下にとってかなり重要かつ大切なご友人。それは分かっている。分かっているのに。
──彼等に与えられる王女殿下の愛情が、少しでも私に与えられたならばと思ってしまう。
今までもこれからも、私にとって最も重要な御方は王女殿下だけ。それは絶対普遍の事であり、疑う余地も無い。
だけど……王女殿下が私を騎士として欲する事は、その限りでは無い。
だから私は怖いのだ。王女殿下にとっての一番の騎士であり続けられるのか……それが、怖くて怖くて仕方無い。
「……こんなにも愚かな私を、どうか許さないで下さい、王女殿下…………」
欲深く、愚かで、浅ましい姿など、決して王女殿下に見せる訳にはいかない。こんな姿を見てしまえば失望される事間違い無しだ。
だから隠し通さねば。私が──……誇り高き王女殿下の騎士でいられるように。




