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幕間 騎士たる弟が為に

 そして俺は──……爵位簒奪を計画し、やがて実行に移した。

 あまりの重荷と抵抗から何度も吐き胃に穴を開けた準備期間。ただの計画段階でさえ、俺は尊敬する父を殺める事に抵抗を覚えていた。

 やると決めたのに。イリオーデの未来の為に、俺が泥を被ってやると決めたのに。

 イリオーデと俺の乳母や、イリオーデに優しくしていた侍従達もイリオーデの為ならと計画に手を貸してくれた。何とか父を殺める為の毒をも用意した。後は、俺の覚悟だけ。

 人知れず、精神的苦痛で吐血した事もあった。計画している間も、ずっと俺の脳裏には厳格な父の姿がよぎっていた。

 やらなくてもいいんじゃないか。こんな事しなくても、父とてイリオーデの事を諦めてくれるんじゃないか。

 俺の弱い心が、そう何度も甘言を囁いて来た。取り返しのつかない事になる前にやめた方が……。ボロボロになりつつあった心が訴えて来る中、俺は聞いてしまった。


『──やはり次期当主にはイリオーデを置こう。王女殿下の騎士と言うが、所詮は子供の戯言……誓いもまともに行えぬ子供らしいお巫山戯だ。イリオーデとてもう少し成長したならば、ランディグランジュ家当主の座の重要性を理解するだろう』

『あなた、イリオーデは頑固な子よ。一度こうと決めたらそう簡単には………』

『何を言う。あれはランディグランジュ家の騎士だ。帝国の剣となり、ランディグランジュ家当主として帝国の為に生きるべき者。我々ランディグランジュの騎士は帝国の為に在るのであって、個人の為に在る訳ではない』

『個人に仕える事だって、騎士の在り方ではなくて?』

『黙れ! 騎士でも無いお前が騎士を語るな! 私はランディグランジュ家当主として──……帝国の剣として、この国の事を第一に考えている。ランディグランジュの在り方は、私が最も理解している』


 両親の言い争いを。その話題の中心はイリオーデ。父がまだあいつの事を諦めていない事を知り、それに母が反対している構図が出来上がっていた。

 両親の仲はとても良かった。厳格で頑固過ぎる父と、そんな父をよく理解し柔軟に対応する強かな母。夫婦仲はかなり良好だった。

 でも……父がイリオーデの才能に目をつけた頃から、教育方針の違いでその仲に軋轢が生まれ始めていた。

 イリオーデも、父も母も悪くない。悪いのは俺なんだ。俺にちゃんと……せめて、イリオーデの足元にだけでも及ぶぐらいの才能があれば、そうはならなかったのだから。

 この不和の原因は俺だ。ならば、俺が責任をもってこの不和を除かねば。

 捻られたように痛む胃に喝を入れ、俺は一目散に厨房を目指した。そこで協力者の料理人からワインを貰い、俺は自室に寄って用意していた毒をワインに仕込んだ。

 父はワインが好きだが、同時に潔癖症でもある。その為、信頼の置ける懇意の業者のワインしか飲まない。裏を返せば、信頼の置ける業者のワインだけは警戒せず普通に飲む。

 そして、ワイングラスが自分が管理している物しか使わない。なので毒はワインに仕込んだ。これで確実に毒を飲ませられるだろう。

 俺は弱い。普通のやり方では父を殺めるなんて真似は到底不可能だった。だから、毒を盛るしか方法が無かったんだ。

 緊張と恐怖で息が荒くなる。首筋を何滴もの汗が伝う。それでもやらなければならない。これが、俺の最初で最後の騎士道だから。


『父さん。さっきそこで執事からワインを預かったんだけど』


 扉を開けて父の部屋に入る。爆発しそうな心臓を必死に落ち着かせて、俺はぎこちない笑みを浮かべた。

 部屋の中に母の姿は無い。一人で長椅子ソファに座る父の顔が随分と悲痛に歪んでいる事から、母が何らかのきっかけで飛び出した形だろうか。

 そう考えつつ歩いていると、ピチャリ、と何か液体を踏んだ。部屋が暗めだからかそれが何かまではわからなくて。


『一人になりたい。ワインだけ置いて出て行け』

『……はい』


 毒は無味無臭の強いものを用意した。だから恐らく父にも気付かれない筈だ。

 チラリと横目でワインを注いでいるのを見つつ、部屋を出ようとした所で俺は違和感に気づいた。変な、臭いがする。それにドアノブが、濡れて──。


『何、これ……血……!?』


 ドアノブを掴んだ手のひらに、びったりと誰かの血がついた。先程感じた臭いはこれだ。まだ乾ききらない誰かの血。どうしてそんなものがドアノブに!?

 まさか、と思い振り返ったその瞬間。


『うっ?! が、ぁああああああああッ!!!?』


 ガシャンッ! とワイングラスが地に落ちて割れたのを皮切りに、父が苦悶に喘ぎ始めた。どうやら無事に毒を摂取したらしい。父の顔色がどんどん青く、気味悪いものへと染まりゆく。

 その口から泡を吹き出しながら父は俺の方へと手を伸ばして、


『あ、アラ、ン……バルト、おま、え……っ!』


 血走った目で睨んで来た。……ああ、父はもう死ぬ。俺がやったんだ。

 ──これは俺にとって最初で最後の騎士道。何せ、今日から俺は、騎士ならざる悪人となるのだから。


『ごめん、なさい。ごめんなさい……父さん……!!』


 無能な息子でごめんなさい。貴方の望む騎士となれなくてごめんなさい。

 尊敬してました。憧れていました。いつかは父さんみたいな騎士になりたいと、何度も何度も夢を描いてました。

 でも。誰よりも騎士というものを理解している貴方が、イリオーデの未来を奪う事が許せなかった。


『ぐ、ぁ……っ』

『うぅ……ぁああああああああああああ!』


 近くに立て掛けてあった父の愛剣。それを震える両手で構え、滝のように涙を流し、雄叫びと共に地に這い蹲る父の背に突き立てた。

 間もなくして、父は動かなくなった。父の剣にはやけに血が付着していて……これはきっと、ドアノブについていたものと同じ血なのだろう。

 潔癖症の父が放置するのだから、この血はきっと……母のものだろう。父だって不器用ながら母を愛していた。でも、俺が無能な所為で。


『っ、ぅぐ……ぁ、俺の、俺の所為で……全部、俺の…………っ』


 その場で蹲り、地面に向けて絶叫に似た嗚咽と大粒の涙を落とした。

 苦しい、苦しい。心も胃もぐちゃぐちゃで、今すぐにでも全て吐き出してしまいたい。


『こう、するしかなかったんだ……こうでもしないと、おれ、は……っ! あいつを、まもって……やれ……っ、ない』


 そんな適当な大義名分で納得出来る程、俺の心とて単純ではなかった。暫く泣いていると、協力者達がわらわらとやって来ては事後処理の方を始めた。

 俺はフラフラとしながらも何とか踏ん張って立ち上がり、母を捜しに行った。やはり母は父によって怪我を負わされたらしく、よくよく目を凝らすと廊下には血痕がいくつも残っていたのだ。

 それを辿り、母の元を目指す。辿り着いた場所は父と母の寝室だった。扉を開け、『母さん!』と叫びながら寝台ベッドに横たわる母に駆け寄る。

 その腹部からとめどなく血を流し、服も寝台ベッドも随分と赤黒く染まっている。

 母は僅かに瞳を開いて、力無く唇を動かす。


『アラン……逃げ、て……この家、は……あなた達を……不幸に……』

『駄目だ、喋らないでくれ母さん! 今すぐ医者を呼んで──っ!?』


 医者を呼ぼうと立ち上がった俺の手を、母がなけなしの力で掴んで制止した。そして小さく顔を左右に振って、その瞳から涙を溢れさせた。


『わたしが、もっと、強ければ……あの人を止められたら、あなた達を、不幸にしなくて……済んだ、のに……ごめんなさい、アラン……わたしの、可愛い息子』

『嫌だ、嫌だ! 母さんまで失うなんて、そんな……! 悪いのは俺なんだ、俺が、俺が全部……っ!!』


 母の手を握り、必死に何度も呼びかけるも……それ以降反応が返ってくる事は無かった。母は出血多量で死んでしまったのだ。

 父を手にかけ、母をも見殺しにしてしまった。嗚呼、俺は何と最低な息子なんだ。

 また涙と嗚咽が溢れ出る。立て続けに両親を殺めた俺が何を被害者面をしているのか。そう頭では分かっているのに。

 まるで赤ん坊に戻ったかのように、感情の抑制が効かない。堰き止められていた全てが押し流されるかのように、ありとあらゆる感情が解き放たれて俺の制御下から離れてしまった。

 やっぱり俺は弱いんだ。無能で、平凡な……イリオーデのような天才には遠く及ばない凡人なんだ。

 やがて、母の遺体の傍で泣き叫ぶ俺の元に乳母がやって来た。乳母は俺の事を優しく抱き締めて、『よく頑張りましたね、アランバルト様。お疲れ様です……っ』と背中を摩ってくれた。

 母の腹部には見事な裂傷があった為、侍従達はこれが父によるものなのだとすぐに気づいたらしい。だからこれは、俺達の企てた爵位簒奪計画と同時に起きてしまった最悪の事件となった。

 ああ、でも…………きっと父とて本意では無かったんだと思う。怒りに任せて母を斬ってしまい、きっと深く後悔していた筈だ。だって、ワインを渡しに行った時の父は、とても辛そうな表情をしていたから。

 それを知るのは俺一人。尊敬していた父を殺め、父が母へと謝る機会すらも奪ったのも俺だ。

 ならば、これまでの父への感謝と懺悔を果たそう。誰よりも帝国の剣として──ランディグランジュ家の当主として高潔なる騎士であろうとした父を、俺は妻を殺害した男としてではなく騎士として天に旅立たせてやりたい。

 それが全ての不和の原因たる俺に出来るせめてもの償いだ。


『……──俺が、両親を殺した事にする。父は最後まで母と共に在ろうとした高潔な騎士だった。それを、俺が爵位欲しさに殺害した。そう、世間には喧伝しよう』

『そんな……?!』

『いくら何でも、坊ちゃんがそこまでする必要は!!』


 協力者達が次々に心配の言葉をかけてくる。だが俺はそれらを全てて無視して我を通した。

 ここまで来たら、被れる限りの泥は俺が被ろう。

 少しでも、明るい未来が待つあいつに泥が飛ぶ事が無いように。暗い未来しか待ち受けない俺が全ての悪を演じよう。

 ただ……俺が最低最悪の事件を起こした事であいつの出世街道に傷がつきそうなのが、一番の懸念点だ。だがまぁ、きっと、あいつなら兄の不名誉による障害はその才能で黙らせる事が出来るだろう。

 お前には苦労させる事になるだろうが、どうか、許して欲しい。これしか方法が無かったんだ。


『そう言えば……イリオーデはどうした? 姿が見えないが……』


 あいつに何と説明しようか。お前の為にやった、なんて言ってもあいつは納得してくれないだろう。世間に伝えるのと同じように、爵位欲しさにやったとでも言えばいいだろうか。

 間違いなくイリオーデには嫌われるだろう。騎士として恥ずべき行いだと言われるだろう。ああ、全くその通りだ。

 だから俺は、もう二度と真の意味で騎士となる事は出来ない。形だけの、名ばかりの騎士になるだろう。

 それでも、お前の未来を守れるのなら。俺の夢も憧憬も全てを託したお前が、騎士となってくれるのなら。俺は喜んで汚名も悪名も被ってやろう。

 最初で最後の俺なりの騎士道が……どうか、お前の信念の一助となれた事を、俺は祈るばかりだよ。


『アランバルト様!』

『どうした、そんなに慌てて……』

『それが、イリオーデ様がどこにもいないのです! 邸中捜しても、敷地内を捜しても、どこにも!!』

『──え?』


 いない? どういう事だ? 何で、どうしてあいつがいなくなったんだ?

 気が動転しそうだ。ただでさえボロボロで、立ってる事がやっとの状況なのに。そんな、よりにもよってイリオーデがいなくなるなんて。


『っ! 捜せ! 敷地内にいないのなら帝都のどこかにはいる筈だ!! 頼むから、イリオーデを……っ、あいつだけは、絶対に見つけ出してくれ!!!!』

『は、はいッ!』


 バタバタバタと侍従達が邸を飛び出し、イリオーデの捜索に向かう。

 その場には俺と乳母だけが取り残されて、俺は膝から崩れ落ちた。

 なんで、どうしてこうなったんだ。俺はただ、イリオーデを守る為に、父を犠牲としたのに。母までもが死に、イリオーデは行方不明と来た。

 俺は、俺に出来る事をやっただけなのに。


『……──おま、えが、いなかったら……おれが、こんなにも、くるしんだ……いみが、なくなる……っだろ……!!』


 その言葉も、俺の気持ちも、イリオーデには届かない。

 夜明けまで一度目の捜索は続いたが、イリオーデの行方はおろか……深夜故か目撃情報も掴めなかった。

 この日。俺は両親を殺め、弟を失い、最低最悪な汚名と分不相応な立場を手に入れてしまったのだ。



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