157.夢の終わりに餞を2
アミレス・ヘル・フォーロイトの昏睡より三週間。
専属侍女、ハイラの失踪より二週間。
東宮は非常に大騒ぎであった。その理由は単純明快。仕事が多過ぎるからだ。ハイラの不在……その穴が大きすぎて、誰もが半ばヤケになって東宮内を奔走する。
シュヴァルツとナトラが不眠不休で東宮内の掃除を行い、アミレスにと回された仕事はシルフとエンヴィーとカイルとマクベスタが片っ端から片付けていった。情報漏洩とかは最早気にしていない。
一週間程前にホリミエラより事情を聞いたメイシアが応援に駆けつけ、東宮に来て早々昏睡状態のアミレスの世話係に決まった。そして、アミレスの警護につくイリオーデは偶に姿を消しては不機嫌な様相でフラリと帰ってくる。
ハイラが突然いなくなった理由を知らない面々はこの状況に不満を漏らしつつ、『ハイラに頼まれて手伝いに来た』と話す若い男女に大人しく仕事を手伝わせていた。
そんなこんなで、アミレスが眠りについてから三週間が過ぎたのだ。
「ねーぇー、ほんとになんでハイラいなくなったのー! もうぼくヘトヘトなんだけど!」
「いやお前めちゃくちゃ元気じゃろ、叫ぶ余裕があるぐらい元気じゃろ」
「精神的に疲れたんですぅー」
素早い動きで掃除に取り組みつつ、愚痴を漏らすシュヴァルツ。その嘘を一瞬にしてナトラが看破した為、シュヴァルツは不機嫌そうに唇を尖らせた。
そう、彼等はハイラが姿を消した理由を知らない。最初こそ、あのハイラがアミレスの傍を離れ続ける筈が無い……と彼等もタカをくくっていたのだが、実際には数日、一週間、二週間とずっと、彼女は姿を消している。
これは流石にまずいのでは? とイリオーデを除く東宮に残った者達が誘拐などの可能性を考えた所で、ハイラの言いつけで東宮までやって来た諜報部隊の人間より、ハイラは訳あって侍女を辞める事になった。暫くは東宮に戻れない。と雑な説明がなされた。
あのハイラが侍女を辞めるなんて。と困惑する彼等に向け、イリオーデが『……彼女とて事情があるのだろう。今、私達は私達に出来る事をすべきだ』と自然なアシストをした事により、彼等はハイラの不在も受け入れた。
だがそれでも許せないものは許せない。シュヴァルツは天使のような顔を悪魔のように苛立ちに歪めていた。
(ったく……ただでさえおねぇちゃんの夢ん中すら入れなくてマジで状況掴めねぇし、そもそもおねぇちゃんも目覚めねぇしでイラついてるってのによォ……掃除なんて趣味の範疇で良かったのに、まさかこんなにもやらされるとは……! くっそ、ハイラの奴何でこのタイミングで消えやがった!!)
箒を持つ手を怒りからか小刻みに震えさせ、シュヴァルツは歯ぎしりする。常日頃から手に取った道具にこっそり自身の魔力を纏わせて強化している為、なんとか原型を留めているが……強化を施してなければ、既にいくつもの箒や道具が無残に壊れていた事だろう。
オセロマイトに向かう際の荷虎車とて、本来の耐久性ならば走り出してすぐに壊れていた筈なのに……シュヴァルツがこっそり強化していた為、何とか難を逃れていたのだ。
そんな風に露骨にイライラしているシュヴァルツの様子を見て、ナトラは思う。
(相変わらずめっちゃ不機嫌じゃのう、こやつ。ま、我には関係無いが)
ここ数日ずっとシュヴァルツは機嫌がすこぶる悪い。この日は特に酷かった。
まさに触らぬ神に祟りなし。ナトラはくるりと踵を返してシュヴァルツから距離をとり、掃除に勤しむ。なお、この後も暫くシュヴァルツの虫の居所は悪いままであった。
「あ、メイシアちゃん。荷物重そうだね、俺持つよ」
「……カイル王子。わたしは別に、これぐらい平気です」
「まぁまぁそう言わずに」
「あっ! 勝手に……!!」
たまたま東宮内の廊下で鉢合わせたカイルとメイシア。メイシアが前が見えないくらいの大荷物を抱えていた為、カイルがひょいっとそれを取って代わりに持った。
それにメイシアは不満げな表情となる。噂に聞く限り、やたらとアミレスとの距離感が近すぎるこの男をメイシアもまた警戒しているのだ。
そもそも、メイシアは大抵の男を警戒している。もしアミレスに良からぬ事をしたら絶対火炙りにしてやろう。と決めている程に、アミレスの周りの男達全員を密かに警戒しているのだ。
「これ、どこに運ぶんだ?」
「二階の正面から見て右側の奥から三番目の部屋です」
「滅茶苦茶遠いじゃん。益々俺が持って正解だったわー」
二人は並んで歩き出す。歳も違えば背丈も違う二人は歩幅だって勿論違っていた。しかし、カイルがちゃっかりメイシアに歩幅を合わせている為、二人は並んで歩く事が出来ていた。
(……息を吸うように行われた自然な気遣い。これは間違いなく女タラシだわ。お母さんが言ってたもん、こういう男の人は沢山の女の人を泣かせるって。要注意人物よ、この人は。万が一にもアミレス様に言い寄ったりしないよう、ハイラさんがいない今、わたしが目を光らせないと……!!)
メイシアは微妙に色の違う眼で横目にチラリとカイルを見上げる。このカイルと言う男、なまじ顔が良く、才能に溢れそこそこ性格も良い男だからこそ厄介なのである。
以前のアルベルトの被害者女性よろしく、並大抵の女ならあっさり落ちてもおかしくないスペックをしているのだ。何せカイルは乙女ゲームでメインヒーロー枠を務められる程の元・超ハイスペックスパダリイケメンなのだから。
メイシアは当然、アミレスとカイルが転生者仲間で悪友のような間柄である事を知らない。故に、カイルの事は、アミレスの近くに突然現れた無駄に優良物件な要注意人物……と認識しているのだ。
(俺、マクベスタのルートだけ滅茶苦茶周回したからメイシアの事はすげぇ記憶に残ってんだよな。ゲームのメイシアはマジで人形、っつぅか…………魔女って呼ぶに相応しい影が濃かったけど、このメイシアは全然人形って感じじゃないな。これがアイツの努力の結果、か……ホントすげぇよ、お前)
ふっ、と柔らかくカイルは微笑んだ。
様々な定められた運命を変えては歯車を狂わせて来た一人の少女を脳裏に思い浮かべ、カイルは己の未熟さを痛感していた。
(俺なんて、この数年でした事はサベイランスちゃんの制作と王位継承権の放棄ぐらいだぜ? それなのにお前ってば何でそんなに活躍しちゃうわけ?)
人形のごとき魔女であったメイシアを変え、苦労して生きる筈だったディオリストラス達に新たな道を示し、オセロマイト王国といずれ厄災となる緑の竜を救った。
マクベスタの大事なものを守り、ミカリアに初めての宝物を与え、ロアクリードに今一度己と向き合う覚悟を抱かせ、失意の中自ら命を絶つ未来をハイラとイリオーデから奪い、フリードルに殺される殺人鬼を守り望みを叶え、記憶喪失のサラに記憶が戻るきっかけを与えた。
愛する妻も子もどちらも失い絶望する筈だったホリミエラからその未来を奪い、ある未来では話し合いすら出来ずに死んだイリオーデとアランバルトに話し合いをする機会を与え、ケイリオルの冷酷な仮面を溶かし、精霊と悪魔に愛され気に入られた。
己が死なない為にがむしゃらに生きている──……そう言うには、アミレスはあまりにも多くの運命を変えていた。彼女が直接関与していないものも多いが、全てが彼女の変えた運命から連鎖して起きた改変によるもの。
同じ転生者なのに。同じ価値観を共有する仲間なのに。それなのに、どうしてだろうか。
こんなにも運命を変え、それでも決して立ち止まらずに前に……その目標に向かって進み続けるアミレスに。カイルは浅ましい憧憬を、幼子のような嫉妬を抱いていた。
もし、俺にもそれだけの行動力と覚悟があったなら。カイルはこの数週間で何度もそう考えていた。そしてその度に、『どこまで行っても、俺は結局口先だけの人間なんだよな』と己の無力さに打ちひしがれていた。
カイルとて運命を変えたいという強い思いがあり、それを実行しようとした事もあった。だが、一度も上手くいかなかった。ゲームの強制力か何なのか……カイル・ディ・ハミルと言うメインキャラクターには、アミレス程の運命に抗う力が無かったのだ。
思い切り運命に抗う事が可能なのは、サブキャラクターに位置するアミレスただ一人と。カイルは悔しくもそう結論づけるしか無かった。
(チートオブチートの癖にさ、何も出来なさ過ぎだろ。運命を変えてハッピーエンド目指そうぜって提案した癖に、俺には運命に対する影響力が全然無いとか。マジで信じられねぇよな……アミレスがこれ聞いたらきっと怒るだろうな、無責任! って)
是非もないか、とカイルは物憂げな表情となる。
カイルに出来た事と言えば王位継承権の放棄による、カイル・ディ・ハミルの王太子となる未来の放棄のみ。だがそれがゲームのシナリオに齎す影響はあまり大きくない。
カイルが王太子にならなかった場合、ハミルディーヒ王国とフォーロイト帝国の戦争でのハミルディーヒ王国側の切り札が無くなり、厄災が現れた際にハミルディーヒ王国を守る人間がいなくなる。
このアンディザ二作目の世界では、絶対にハミルディーヒ王国が戦争に負ける。一作目ではミシェル・ローゼラがハミルディーヒ王国側にいた事で何とかハミルディーヒ王国は辛勝する事が出来たが、二作目ではミシェル・ローゼラが神殿都市所属となった為、どちらか一方にだけ助力する事が不可能となった。
ハミルディーヒ王国側の攻略対象のルートでのみ発生する戦争。それなのにヒロインであるミシェル・ローゼラがほとんど関与しない不可思議なイベントなのだ。
その為ハミルディーヒ王国は惜しくも敗戦する。ハミルディーヒ王国側の切り札たるカイルがいなければ、その敗戦がより早くなるだけである。
厄災に関してはミシェル・ローゼラが何とかするのでカイルはいてもいなくても割と問題ない。
つまり、カイルの不在による運命への影響は、ほとんど無いのである。それをカイル自身よく分かっているので、己の無力さを嘆いているのだ。
「メイシア嬢とカイルじゃないか。珍しいな、二人が一緒なんて」
「マクベスタ様」
「おっ、マクベスタ〜!」
二人が曲がり角を行くと、マクベスタとバッタリ出会った。その手にはいくつかの資料があり、シルフとエンヴィーにこき使われている事が見て取れる。
ようやくカイルと二人きりでなくなった事にメイシアは少し安堵し、推しであるマクベスタに会えたからかカイルはすっかり元の調子に戻った。
「俺達は今からこの荷物を持って行く所なんだよ。お前は……シルフ達の手伝いか」
「あぁ、水路整備と環境保全に関する書類仕事が回って来て、それを片付ける為に資料が必要だと言われてな。東宮の資料室に探しに行っていたんだ」
東宮の資料室や物置といったものは基本的に同じ区画に存在する。なので、これからカイル達が向かう方面からマクベスタはやって来たのだ。
「マクベスタ様もお疲れ様です。シルフ様達の元に戻る際、厨房に寄っていただいても構いませんか? 皆様用の軽食が用意されてますので」
「分かった。気遣いに感謝するよ、メイシア嬢」
互いに会釈して、三人はそこで別れた。
マクベスタはメイシアに頼まれた通り厨房に寄ってシルフ達用の軽食を発見し、カイルとメイシアも目的を果たして荷物は無事運び終わった。
メイシアは物置で少し探し物があるとかでその場に残り、カイルだけが先に部屋を出る事に。その少し後にメイシアも探し物を終え、部屋を出た。各々の仕事に戻ったのである。
マクベスタが軽食を手にシルフ達の元へと戻ると、「おー、やっと戻って来たか」とどこか疲れた表情のエンヴィーに出迎えられた。
マクベスタから資料と軽食を受け取り、エンヴィーは軽食を頬張りつつ資料に目を落とす。シルフは「ボクは後で食べるよ」と言って変わらず作業に勤しむ。
アミレスに何故か不気味がられてからというもの、シルフは猫の大きさを変えて来なかったのだが…この度大きさを変えた方が仕事がしやすいという事で、わざわざ人間の子供ぐらいの大きさにまで変えた。
その為、今の東宮ではやたらと大きい猫と異国の装束を来た美形のデスクワークという、近年稀に見る珍しい光景が見られる。
マクベスタも最初は戸惑ったが、もう慣れたらしい。




