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150.動乱に終幕を2

 私から姫様に別れを告げる日が来るなど思いもしなかった。

 私から姫様のお傍を離れる日が来るなど思いもしなかった。

 ずっとずっと、姫様のお傍で侍女として彼女を支えていくものだと……漠然とそう思っていたから。ああ……それがこんなにも、辛い事なんて。

 心臓が握り潰されたかのように痛む。苦しく、辛く心が軋む。目頭が熱くなり、視界が水中かのように揺らぎ始めた。私の心が泣いているようでした。

 ポタリポタリと、短い間隔で落ちてゆく水滴。それの所為か、私の頬は雨に打たれたかのように濡れていた。


「……ぅ、嫌、です……本当、は……姫様と、別れる……なん、て……っ!」


 往生際の悪い嗚咽が、醜悪な泣き言が、溢れ出る感情が私の心を埋め尽くしてゆく。

 ……──嫌だ。嫌だ! ずっと姫様と一緒にいたい。これから先も姫様の一番でありたい! 何かあった時に姫様に頼っていただける、彼女の一番の味方でありたい!

 こんな風に離れたくない。侍女だって辞めたくない。ずっと、姫様に『ハイラ』と呼んでいただきたい! 『マリエル・シュー・ララルス』に戻るつもりなんて無かったのに……死ぬまで、姫様の侍女のハイラでいられると思っていたのに。

 それなのに。今の私には、この道しか選べないのです。こうする事でしか、私では姫様をお守りする事もお支えする事も出来ませんから。

 どれだけ辛くて悲しかろうと、私はこうしなければならないのです。だってこれが、最愛の少女を守る事が出来る、唯一の手段ですから。


「……──では。行ってまいります、姫様。私が次に此処に来るまでには、お目覚めになって下さいね」


 まだ満足に陽も登らぬうちに。私は自分の目元を擦り、何とかなけなしの気合いで虚勢を張りました。ゆっくりと立ち上がり、侍女服を翻して姫様の寝室を後にする。

 部屋の前にはイリオーデ卿が立っていた。部屋に入る時にも彼には会いましたが、夜間はずっと同じ場所で不寝番をしていたようです。


「後の事は任せましたよ、イリオーデ卿」

「……ああ。そちらも頑張ってくれ、ララルス嬢」


 こうして侍女らしくお辞儀をするのも最後になるやもしれない。なんて考えつつ私はイリオーデ卿に向けて一礼しました。彼は訳知り顔で激励の言葉をかけてくださった。

 そして私は歩き出す。母の影響で侍女である間はずっと後ろで一纏めにしておいた髪を下ろし、使用人宿舎にある自室を目指して規則正しい足音を響かせた。

 使用人宿舎で侍女服を脱ぎ、私的な身動きの取りやすいドレスに着替える。こんな風にドレスを着るのは久しぶりですが……まあ、見栄えはどうでもいいでしょう。

 ドレスを着て人目を避けて使用人宿舎を出る。そして王城の敷地をも出て暫く歩き、人気の無い場所で「出てきなさい」と彼等を呼んだ。

 途端に私の前に現れるは、同じ衣服に身を包んだ十四人の男女。彼等がララルス家の誇る諜報部隊カラス。早々に無能な屑に愛想を尽かして、幼い私に仕えるなどと言い出した変わり者達。

 表向きにはまだララルス侯爵に仕えている事になっているので、私との接触は秘密裏に行っているとの事。


「皆さん知っての通り、今日、ついにあの計画を実行する事となりました。きちんと手筈通りに動いて下さい」


 彼等には事前に当日の流れを説明していたので、私はそう簡潔に伝えたのですが……予想以上に彼等が狂喜乱舞でして。


「やっとお嬢が正式な主になってくれる時が来たんだね? あの豚にもう頭を下げなくていいと思うと気ィ楽だわ」


 カラスの現隊長たる女傑、アンドレカが首をボキボキと鳴らしてそう呟くと、


「宴だ宴!」

「やった〜〜!」


 まず最初に大柄の筋肉男、ジューイと宴好きの小柄な女、モルコが手を振りあげて喜び、


「やっと本業に専念出来る……っ」

「ようやくあの豚から解放されるのか、よかったよかった」


 次にずっと東宮の手伝いをさせていたゼルと、黒髪を後ろに流す紳士風体の男、カラスの副隊長たるキーラァが心底ホッとしたように肩を撫で下ろしていた。

 そうやって次々にワイワイと騒ぎ出すカラス達。豚って……あの屑、また太ったのでしょうか。

 私が最後に見たのは八年前ですから、それだけあればあの典型的な馬鹿が更に豚になっていようとなんらおかしくはないですが。と最後に見た忌まわしき男の姿を思い浮かべる。


「一応、まだあの無能が皆さんの主なのですから。そう悪く言ってはなりませんよ」


 それはともかく。まだ正式な契約更新とはいってないのですからあまり不用意な発言はしないように……と窘めると、


「いやいや。僕達十年以上前からお嬢に忠誠誓ってますんで? あんな役立たずの豚、誰が尊重するんだって話ですよ」

「……事実でも言ってはならない事もあるんですよ。どれ程の無能変態の屑豚野郎と言えども、あの男には権力があるのですから。世の中正論だけではやっていけないものですし」

「はは、おじょーもボロクソに言ってんじゃん」


 顔に傷のあるヘラヘラした男イアンが顔の前で手を左右に振り、掴み所の無いふわふわとした男シードレンが楽しそうに笑っている。

 私はあの男が大嫌いというか……世が世なら自ら殺していたぐらいには憎んでますからね。あんな男と半分でも血が繋がっている事が嫌で嫌で仕方ありません。

 ですが……母の子として産まれた事には一切後悔などありません。私は母が大好きでしたので。だからこそ母を不幸にしたあの男が許せないのですが。


「とにかく。第一班はランディングランジュ邸付近にて待機、第二班はララルス邸内にて待機。何があっても、貴方達がララルス侯爵家の諜報部隊カラスであると気づかれぬよう……気をつけなさい」

「はっ!」


 気を取り直して話を戻すと、カラス達は一糸乱れぬ動きで敬礼し、瞬く間にその場から消えた。彼等にはとある役目を任せていたのです。

 カラスは諜報部隊ではありますが、その戦闘能力も帝国騎士団に勝るとも劣らない実力。ララルス侯爵家の正式な騎士団よりもずっと上の実力を持つ集団、それがカラスなのです。

 その役目というのはララルス邸とランディグランジュ邸の監視。そしてララルス邸に関しては誰も外に出られぬよう──……逃げられぬようにするよう言いつけたのです。戦闘能力にも隠密能力にも長けた彼等ならば、それしきの事、余裕ですから。

 帝国の剣たるランディングランジュ家は治安部にて帝国騎士団の団長を務める為、四大侯爵家の中で唯一私的な騎士団を持たない家門。

 その為、ランディングランジュ邸には簡単な警備兵しかいない。だが他ならぬランディングランジュ侯爵家……その警備兵一人一人が帝国騎士団で中隊長を務められるぐらい強く、言うなれば量より質重視の姿勢を取っている模様。なので少数精鋭の第一班がランディングランジュ邸担当となりました。

 まあ、ランディグランジュ邸の監視は本当にただの監視なので……もし万が一、監視の任についた者がランディグランジュの人間に見つかり戦闘になった場合に備え、少数精鋭の第一班を向かわせる事にしたのです。

 ララルス侯爵家は金に糸目を付けず形ばかりの騎士団を持っている。ララルス侯爵家の権威と金を使って帝国兵団や帝国騎士団の人間を引き抜いたりして、一人一人の力は弱いものの数が多く、分かりやすい質より量重視の姿勢。なので人数が多い第二班がララルス邸担当となりました。

 こちらは"ララルスの人間"が外出しようとした際に全力で足止めが出来るよう、人海戦術でゆく事に。

 勿論第二班の者達もとても強いですよ。ただ、第一班の面々がそれぞれ帝国騎士団にて余裕で武勲をあげられるであろう程に強いだけで。

 そうやって仕事を割り振った後、私が向かったのは大通りにある喫茶店。開店前でありながらその店の扉は開いており、中では藍色の髪の男性が足を組み新聞を読んでいました。

 彼は私が入店した事に気づいてすぐに新聞を畳み、立ち上がっては一礼してきた。


「おはようございます、ララルス嬢。普段と少し雰囲気が変わっていて新鮮ですね」

「おはようございます、シャンパージュ伯爵。一応、これでもララルス家の人間ですので」


 私も貴族らしいお辞儀を返し、シャンパージュ伯爵の軽いエスコートで私は席に座った。あのシャンパージュ伯爵家現当主にこのような事をさせてしまうとは……と少し気まずかったのですが、彼が「私の方が爵位が低いのですから当然の事ですよ」と言うものだから、私は本当に何も言い出せませんでした。

 まず最初に私は今まで通りに話して欲しいと頼みました。爵位とか関係なく、この計画の仲間として話して下さいと。この場にララルスの人間として来ている私にこう頼む権利があるのかは分かりませんが、とにかく頼むしかなかったのです。

 シャンパージュ伯爵に尊重される程、私は出来た存在ではないので……分不相応と言うか、とにかくあのシャンパージュ伯爵家現当主に敬語を使わせ気を使わせている現状が非常に耐え難いものだったのですよ。

 私がかなり切実な表情をしていたからか、シャンパージュ伯爵は渋々この申し出を受け入れて下さりました。困った顔で、「貴女はこれよりララルス侯爵になるのだから……そう考えたら、まぁ。ギリギリ許容範囲だ」とシャンパージュ伯爵は笑った。


 そして話題は今日から実行する計画と、姫様の話になった。

 シャンパージュ邸に帰った伯爵夫人の代わりに、三日程前、なんとシャンパージュ伯爵直々に御礼の品を東宮まで届けに来て下さって。その際にシャンパージュ伯爵には姫様の事をお伝えした所、なんとシャンパージュ伯爵家からも多大な支援を頂ける事となったのです。

 しかし、大っぴらにそのような支援を受けてしまえば、外部に姫様の事を悟らせるだけになってしまう。そう考えた我々は、秘密裏にシャンパー商会より貴重な薬等を流して貰う事にしました。

 と、言っても。万能薬や聖水、人を眠りから覚ます薬など……シャンパー商会秘蔵の薬を沢山頂いただけですが。

 シャンパージュ伯爵も長い間一向に目を覚まさない伯爵夫人と共に生きていらしたので、この手の事に関してはかなり詳しいようで……次々と色々な薬に魔導具を用意して下さりました。


『残念ながら、全て妻には効かなくて……王女殿下に効くと良いのだが』


 シャンパージュ伯爵は薬や魔導具を用意して下さった時、そうどこか悲しげに仰ってました。

 姫様から掻い摘んで聞いた限り……伯爵夫人の昏睡の原因は精霊様でなければ治せないようなもの、との事でしたのでそれは仕方の無い事だったのでは。

 ……そんな喉まで出かかった言葉を私はぐっと飲み下し、とにかく姫様にも使ってみましょうと片っ端からあれこれ試しました。

 しかしどれも結果は振るわず、原因が何なのかと途方に暮れていた時。エンヴィー様とカイル様が神殿都市より枢機卿と呼ばれる程の御方を連れて来て下さいました。

 聞けばカイル様主導で神殿都市に転移し、エンヴィー様が枢機卿を発見してその足で誘拐──……お連れして来たのだとか。その枢機卿と呼ばれる仮面の方に訳を話し、何とか姫様の容態を診ていただいた所、


『是、原因、精神。身体的問題皆無』


 無機質な声で、そのような診断結果を返された。

 やはり身体的な問題は特に見られない為、光魔法でもこれはどうする事も出来ないのだという。突然誘拐され診断を強要され、枢機卿もかなり不機嫌な様子だったのですが、


『…………不可解。何故、精神干渉不可能』


 暫く姫様を診ているうちに、そう呟いていらっしゃった。

 精神干渉? と私が頭に疑問符を浮かべた頃には、枢機卿も神殿都市に帰ろうとしていて。それに気づいたエンヴィー様が『お前、この事誰にも話すなよ』と釘を刺し、カイル様が神殿都市に枢機卿を転移させた。

 その後行った話し合いの末、私達は『姫様の意識が回復しないのは姫様の精神に何かしらの問題が起きているから』と結論づけ、とにかく姫様自らお目覚めになるのを待つしかない、とその話し合いは幕を閉じた。

 シルフ様達曰く、精神面の問題となるともう手の付けようが無いと。姫様を信じて待つしかないのだと言われてしまったからである。

 そうやってただ待つ事しか出来ないとなった今、私は急いで爵位簒奪計画を進める事にしたのです。この状況で姫様のお傍を離れるのは非常に不安ではありますが、寧ろ今が好機と私はシャンパージュ伯爵に連絡を取り、計画の決行に至ったのです。


「さて。とりあえず朝食にしようじゃあないか。ララルス嬢は何にする?」


 シャンパージュ伯爵がメニューを手渡して来て、「私が出すので気にせず頼んで欲しい」と笑みを作る。きっと私が出すと言っても聞き届けて貰えないでしょうから、ここはもう大人しくシャンパージュ伯爵の言葉に甘えましょう。

 この店には会議の為に何度か訪れていますが、こうしてきちんと食事をとるのは初めてですね。いつも飲み物しか頼まなかったので……。

 メニューに視線を落とし、注文を決めて顔を上げると、伯爵が軽く手を挙げて店員を呼んだ。こんな時間から仕事なんて相変わらず大変ですね、この喫茶店も。我々の所為ですが。


「私はモーニングセットを。ララルス嬢は?」

「では、こちらのフルーツサンドとサーモニティーを」

「モーニングセットとフルーツサンドとサーモニティーですね。モーニングセットのお飲み物はいつも通り、珈琲で良かったでしょうか」

「ああ、それで頼む」

「かしこまりました。少々お待ち下さい」


 ぺこりと一礼して店員は厨房に向かった。

 シャンパージュ伯爵の頼んだモーニングセットは、パンにスクランブルエッグとベーコン、それに加え温かいスープと色鮮やかなデザートがついてくる……とメニューに書かれたもの。それに大陸東南の方で人気の珈琲を選んだようです。

 どうやらシャンパージュ伯爵はこの店の珈琲がお気に入りのようです。


「ララルス嬢、本当にフルーツサンドだけで足りるのかい?」


 シャンパージュ伯爵が怪訝そうにこちらを見てくる。

 フルーツサンドはその名の通りフルーツを挟んだ甘いサンドとメニューに書いてあったので、軽く食べられるかと思いこれを選んだのですが……私の想像以上にフルーツサンドは量が少ないのかもしれませんね。


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