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146.帝都に混乱を4

「…………とにかく、詳しい話は姫様が目覚めてから聞きましょうか」

「うむ。それもそうじゃな」


 そう、二人が眠るアミレスを見つめていると。ガチャリ、と扉が開かれた。肩で息をするクラリスが、アミレスの寝巻きを手に戻って来たのである。

 クラリスは息を整えながら寝巻きをハイラに渡し、「これで良かった?」と確認した。ハイラはそれに頷き、早速眠るアミレスを着替えさせた。

 以前より、アミレスは特訓の後疲れてそのままの格好で眠る……なんて事もままあった。その為、ハイラは眠るアミレスを起こさないように細心の注意をはらいつつ着替えさせる謎の技術を会得していた。

 その技術がここでも光る。ハイラのまさに神業と言える匠の技に、ナトラとクラリスは息を飲んだ。一切のミスなくハイラはアミレスの着替えを終えた。しかしアミレスは変わらず小さな寝息を立てている。


「「おぉ……」」


 ハイラの匠の技にナトラとクラリスは思わず感嘆の息を漏らした。こんな時ではあるが、ナトラはそれをとても素晴らしいと感じていた。


(これがあのカイルとやらが言うておったパーフェクト・メイドなる存在かえ……! やはり、我は侍女としてはまだまだ未熟じゃの……)


 カイルは純粋なナトラに何を吹き込んでいるのか。侍女業にどっぷりハマっているナトラは、俗な言い方だが確かにパーフェクト・メイドと呼ぶに相応しい完璧侍女、ハイラに少なからず憧憬の念を抱いていた。

 明らかに普通の侍女の域を超えた万能っぷり。何をやらせても大抵涼しい顔で完璧にこなし、一を聞けば十を返せる知識をも持ち合わせる女、それがハイラである。

 帝国が誇る四大侯爵家ララルス家の庶子として産まれた過去を持ち、そも優秀な侍女であった母から多くを学び、ララルス家秘蔵の諜報部隊カラスに当主を差し置いて忠誠を誓われる程の逸材。

 趣味で諜報部隊カラスから多くの武術や技術を教わり会得した彼女は、当然のように常に暗器を侍女服の中に忍ばせ、もしもの時に備える程の用心深い人。

 アミレスの侍女となる為に生まれてきたのだと自負する程、彼女はこの侍女業を全力で楽しんでいる。ちなみに彼女の弱点はアミレスと犬(特に大型犬)である。幼少期に異母兄姉によって野犬をけしかけられた事があり、それがトラウマとなり犬だけは今でも苦手なのだという。

 だが幸いにも東宮……王城敷地内には犬は全くいない。なので現在のハイラの弱点はアミレスだけと言っても過言ではない。

 そんなハイラを、侍女の大先輩としてナトラは尊敬しているのだ。故にハイラのパーフェクト・メイドっぷりにナトラは己の未熟さを痛感した。


(じゃが我、凄く頑張れる子じゃからの! 白の姉上も青の兄上もよく我は努力家ないい子じゃと褒めてくれておったもん、きっと我ならば……ふむ、あと十年あればハイラのようなアミレスとて思わず手放せなくなる程のパーフェクト・メイドとなる事間違いなし! 我頑張るのじゃ。目指せパーフェクト・メイド!!)


 ふんす、と決意新たに鼻息を荒くするナトラ。暇を持て余した竜は一体何を考えているのか。


「では……そうですね、クラリスさん。そちらのマントをお借りしても?」

「マント? 構わないけど……何に使うの?」


 団服からマントを取り外しながらクラリスが疑問を口にすると、ハイラはアミレスの着ていたドレスを畳みながら答えた。


「姫様の御身体を覆うのです。姫様を寝室にお連れするにあたり、寝巻きのままでお運びする訳にもいかないので」

(…………そうだよね、貴族の人は寝巻きで歩き回ったり……というか普段着をそのまま寝巻きにしないか)


 クラリスは密かにカルチャーショックを受けていた。彼女は勝ち気な性格で、男所帯で育った影響か男勝りな所のある美人だ。そしてその綺麗な見た目からは想像しづらいが、生まれも育ちも貧民街なのである。

 なので、寝巻きは外に着ていくにはちょっと……といったほつれや破けのある古着だし、寝巻きのままでも気にせず歩き回れる。大体街にいる人間の大半が常に寝巻きを着ているようなものだからだ。

 クラリスは団服を着て東宮に避難して来たが……寝る時はハイラがどこからともなく調達してきたサイズもピッタリな寝巻きを着て寝ていた。

 その度に彼女は恐れ戦く──……『これが貴族の寝巻き……! 何から何まで違う……っ!!』『いやそもそも何このベッド、え、ふかふかすぎ…………』と、これまでの己の価値観が完全に破壊される瞬間に、彼女は戸惑い興奮していた。

 避難の為とは言え、食事といい環境といい服といい……東宮に来てから一週間と少し。全てが帝国内でも最高峰のものを提供された事により、クラリスの価値観は見事壊された。

 そして慣れ親しんだ家に帰ったならば、彼女は思う事だろう。あれは全て夢だったのだと……。


「……そうですね。私は寝台ベッドを整えなければなりませんし、イリオーデ卿に頼みましょうか」


 アミレスの体を完璧にマントで覆い、スっと立ち上がったハイラは扉を開けてイリオーデを呼んだ。そして彼に頼む、「姫様を寝室までお運びして下さいませんか?」と。それにイリオーデは、


「許可なく王女殿下の御身体に触れていいものなのだろうか」


 と困惑し、


「非常時ですので……卿を信頼して頼んでいるのですよ」


 ハイラにそう言われて、堅苦しい面持ちでその役目を引き受けた。

 いつになく緊張しながらイリオーデはアミレスに触れた。彼女を起こさぬようにと慎重に肩と太腿の辺りに自らの手を入れ、ゆっくりと持ち上げる。

 ふわりと銀色の髪が重力に引かれて落ちる中、己の腕と胸に完全に委ねられたアミレスの体を見下ろして、イリオーデは心拍数が上がっていた。


(落ち着け、落ち着くんだイリオーデ・ドロシー・ランディングランジュ! 絶対に失敗してはならない場面なのだぞこれは!)


 ドッドッ、と体中に響くようなうるさい心音。ずっと傍で守りたいと思っていた相手が、今やこの腕の中にいる。オセロマイトに向かう道中ではそれ所では無かった為、こんな風に考える暇もあまり無かったのだが、今は違う。多少なりとも意識する余裕が出来てしまっているのだ。

 想像よりもずっと軽い体。いつもドレスで隠れている為か分からなかったものの、とても細い手足。決して挫けず蛮勇を奮う気高き王女とは言えども、彼女はやはりまだ十二歳の少女なのだ。

 捨てたと豪語するその名を胸中で叫ぶぐらい、イリオーデは今とても、緊張していた。


(ああ……なんと小さくか弱い御身体なのか。こんなにも小さな貴女様が、世の為人の為と日々身を粉にしているなど……我が主、我が王女殿下は最も素晴らしい御方なのだと誇らしく思うと同時に、私は……不安で、仕方ないのです)


 口元をぎゅっと真一文字に結び、イリオーデはアミレスを見つめていた。


(貴女様が背負うものは、あまりにもその小さな御身体に有り余るものばかりです。いつかその重責に押し潰されてしまわないかと、私は愚かにも不安を覚えてしまいます。その不安を解消するのが、我々臣下の役目と心得ているにも関わらず……)


 そうこうしているうちにもハイラがアミレスのドレスを手に部屋を出る。イリオーデはその後ろに続き、アミレスを起こさないようにゆっくりと歩いて行った。暫し歩いてアミレスの寝室に着くと、イリオーデはゆっくりと寝台ベッドにアミレスを寝かせる。

 そして彼等彼女等は少し離れた所で一息ついた。その時、カイルが何やらサベイランスちゃんをコソコソといじっていて。


「何をやっているのじゃ、お前」


 そんなカイルをナトラがじとーっと見上げる。


「え? あぁ、マクベスタの奴にこの事教えてやろうかと思って。ほら、アイツ今日は騎士団の訓練に参加してるとかでいないから」

「そんな事まで可能なのか……アミレスも言うておったが、お前は本当に訳が分からんのじゃ」

「ははっ、そりゃどーも。竜ともあろう存在にそう言って貰えたならチート冥利につきるわ」


 カイルは軽口を叩いてへらへらと笑い、鼻歌を歌いながらサベイランスちゃんの表面を指先で叩いてゆく。騎士団の訓練場の映像がサベイランスちゃんの表面に投影され、そこにはマクベスタの姿もあった。


「お、丁度木陰で休んでる。これはぁ……召喚形式にした方がやりやすいかね。とりまやってみっかー」


 ボソボソと独り言を呟きながらカイルはサベイランスちゃんを操作し、やがて当然のように空間魔法を使用。特定の場にあるものを目の前に呼び寄せた形で転移させたのだ。

 その為、つい先程まで雪の降る訓練場の木陰て休んでいた筈のマクベスタは、突如として東宮の一室に転移させられたのである。


「───え?」


 マクベスタは呆然としていた。そりゃそうだ、何せ瞬く間に全く別の場所に自分が立っていたのだから。「ここはどこなんだ」「え、アミレスの寝室……っ!?」と顔を青くして慌てふためくマクベスタに、カイルが「落ち着け、訳は今から話すから」と説明し、マクベスタはなんとか落ち着きを取り戻した。

 まぁ代わりに、「アミレスは大丈夫なのか……?」と不安をその顔に滲ませたが。そしてそれを見たカイルが密かに、(やっぱ顔が良いなこいつ、顔面国宝認定確実だろ……)とオタクらしい感想を抱いていた。やはりカイルは顔のいい男に弱いようだ。


「あ、皆ここにいたんだ」


 するとそこで、ガチャ、と扉を開けて部屋に入って来たのはシュヴァルツだった。声はいつも通り明るいものの、その表情には翳りが窺える。

 シュヴァルツは部屋に入って真っ先にアミレスの元に足を向けた。寝台ベッドのすぐ側に立ったシュヴァルツは、そっとアミレスの寝顔に触れて、


「どうやったらアイツから君の心を奪えるんだ」


 真剣な面持ちを作り、ボソリと呟いた。彼は思う……何故あんなにも非情な男にアミレスの心がずっと向けられているのかと。どうすれば、フリードルに向けられたアミレスの愛情こころを奪い去る事が出来るのかと……。

 ほんの少しの間、彼はじっとアミレスの寝顔を優しく見つめていた。しかしそれも束の間。シュヴァルツは意味深な笑みを浮かべ、それをハイラ達に向ける。

 そしてこう口を切ったのだ──、


「おねぇちゃんの望みは、絶対に叶わないみたいだよ」


 誰もがその発言への反応を探る中、シュヴァルツは誰の反応も待たず淡々と言紡いでゆく。


「あのフリードルとか言う男は救いようのない男だ。アイツのおねぇちゃんに対する殺意は本物。必要があれば──……いや、必要でなくなればいつでも殺そうと思ってただろうね、アレは」


 人としても兄としても家族としても信じられないよねー。とシュヴァルツが肩を竦めると、それには思い当たる節のあるカイルとハイラが苦い顔を作った。

 それぞれ、ゲームで見たりアミレスを嫌うフリードル自身を見たりと覚えがあったからである。


「ああ後ね、なんでおねぇちゃんが泣いていたのかも聞いたんだけど。聞きたい?」

「あの男から聞き出したのか、シュヴァルツ!」


 流石は我がライバル、やるではないか。とナトラはシュヴァルツの側まで駆け寄り、その背中をバシバシと叩く。シュヴァルツはこれに「だからこれ痛いんだって」と困り顔で反応し、


「勿論ちゃんと聞き出したよぉ。お陰様でホントに胸糞悪すぎて仕方ないや」


 シュヴァルツは苛立ちを隠そうともしない作り笑いを雑に貼り付けた。程なくして彼の顔から笑顔が消え、シュヴァルツは一言一句違えずにフリードルの言葉を口にした。


「『僕が何故あいつを愛してやる必要があるのか、と言った。この言葉に何の意味がある』……──だってさ。どういう会話の流れでこうなったかは知らないけど、あの屑兄の口からこんな感じの言葉を聞いて、おねぇちゃんは泣き出したみたい。そして、終いには何かから逃げるように意識を手放したと」


 それを知った面々は、それぞれが強い反応を見せた。

 四匹の兄姉竜より可愛がられていたナトラは、妹をどこまでも蔑ろにするフリードルに呆れ果て言葉を失っていた。

 アミレスの幸せを願うハイラは、その時のアミレスの胸中を察し、口元に手を当て悲痛に瞳を歪ませた。

 この家庭の事情を知るイリオーデは、フリードルの心無い言葉に体側で拳を震わせていた。

 一時期氷結の貴公子に憧れていたマクベスタは、最愛のひとを泣かせたフリードルに強い憤慨を抱いていた。

 そして。この中で最も多くの事情を知るカイルは、


(ああ、そうだよな…………お前はそういう奴だったな、フリードル。ミシェルと出会って初めて愛情を知ったあまりにも不完全な人間。冷酷無比、悪逆非道の氷の人形──……それが、お前のキャッチコピーだったな)


 実際に聞くと想像以上のフリードルの歪みっぷりに、最早怒りも湧いてこないようなこの状況。

 フリードルを変える事は不可能だと、カイルとて分かっていた筈なのに。

 フリードルがアミレスに向け何の躊躇いも無く『愛する必要があるのか』なんて言葉を吐いたと聞いたカイルは、そんなフリードルを変えられない事……そして、アイツに関してはもう諦めるしかない。と思ってしまいこれに関して怒る事さえ出来なかった自分に対して、やるせなさを覚えていたのだ。


「……アミレスは家族を諦め切れない。だけどフリードルを変えられる人間なんて、今はどこにもいない。やっぱり、アイツが家族に愛される事は不可能だ。残念な事に、俺達の予想通りアイツの本当の望みは絶対に叶わないんだ」


 だからせめて、もう一つの願いぐらいは叶えてやりたいな。とカイルは眠るアミレスに視線を向けた。

 それに彼等彼女等は同意する。アミレスの願い──……生き延びて幸せになりたいという願いを叶えさせたい。

 例え家族に愛されずとも。アミレス・ヘル・フォーロイトという少女が幸せになれるよう、彼女の幸せを望む者達は意志を同じくした。


(こうしてはいられない。早く……姫様が皇太子殿下に真っ向から立ち向かえるよう、爵位を奪わなければ)


 ハイラは胸元で握り拳を作り、決意を帯びた表情となる。

 例え皇位継承権が無くとも、アミレスが皇族であり皇太子たるフリードルの権威を脅かす存在である事には変わりない。以前の侵入者達のように、アミレスを疎ましく思った者が暗躍する可能性も十分に有り得る。

 だからこそ、少しでもアミレスに手を出しにくくなるような、そんな盾が必要であった。それがシャンパージュ家とララルス家とランディングランジュ家なのである。

 これより、帝都に更なる混乱を招く事件が引き起こされる。その名も──……侯爵家爵位簒奪事件。

 十年越しに発生する、二度目の事件である。


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[一言] 久しぶりに泣いちゃった。 感情移入しすぎたかも。
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