143.帝都に混乱を
「うぅ…………もうアミレス様とお別れしなければならないなんて……」
「いつでも遊びに来てちょうだい、メイシア」
「はいっ!」
東宮の前にて、伯爵家の家紋の馬車に乗り込む直前のメイシアとぎゅっと抱擁する。裁判も無事勝利して終わり、色々と事後処理が終わった数日後……今日は伯爵夫人達とクラリス達が避難を終えて自宅に戻る日なのだ。
もう、一回来てしまえば二回目も三回目も変わんないと思うのよ。だからこれからは沢山遊びに来て欲しいな。ご存知の通り公務が忙しいので、最近は私もあまり出掛けられないのだ。
その為、私とてメイシアには会いたいし出来れば向こうから会いに来てくれたら嬉しいな〜なんて怠惰な私は思った。我ながら中々の妙案である。
「少しの間でしたが本当にお世話になりましたわ、王女殿下。後日改めてお礼の品をお送りしますので、受け取っていただけたら嬉しいです」
「そんな。気にしないで下さい伯爵夫人。私は皇族として当然の事をしたまでですから」
「ふふ、では臣下からの貢物も当然受け取ってくださいますね?」
「うっ……分かりました、大人しく受け取らせてもらいます」
「それは良かったですわ」
伯爵夫人には敵わないなぁ……何だか常に一枚上手なんだよね、夫人は。いや単純に私が馬鹿なだけなんだけどね。
そうやって伯爵夫人達を見送ったら次はクラリス達だ。こちらはあっという間に送る事が可能だろう。何せうちには優秀な魔導師が二人いるからね!
と言う事で私は馬車が見えなくなってから東宮に戻った。そしてクラリスとイリオーデが荷物を纏めて待つ応接室へと向かう。その途中で、
「あ、兄様じゃないですか。こんな所までわざわざ何の御用ですか?」
「…………東宮の年間修理費用について疑問点があった。ここ数年程やけに出費が少ない。その理由を聞きに来ただけだ」
「まあ、そうでしたの。では帳簿や東宮の管理をしている者を呼んでまいります故、そこでお待ち下さいませ」
王城方面より一人でやって来たフリードルと遭遇した。その手には確かに書類がいくらかあり、彼の言う目的に嘘偽りは無いのだと分かる。
「この寒空の下、外で待てと?」
「はい、その通りですが。氷の魔力をお持ちの兄様であれば問題無いのでは?」
「そこまでして、僕を東宮に入らせたくないのか」
「当然でしょう。ここは私の領域です、兄様に踏み荒らされたくないと思うのが普通でしょう?」
だって東宮には、ケイリオルさんにだけとりあえず伝えておいた侍女見習い(という事になっている)のナトラがいるし、これまたケイリオルさんだけは把握している私の内弟子(という事になっている)のシュヴァルツもいるし、更に今はカイルの奴が我が物顔でニート生活を満喫してやがる。
どう考えてもフリードルにうろつかれるのは不味い。絶対にこれ以上東宮に近づく事を阻止しないと。
「…………どうしてだ」
「はい?」
ボソリとフリードルが何か呟く。
「どうして、お前はそこまで僕を毛嫌いするんだ」
……はい? 何言ってんだこいつ。
「昔は……鬱陶しいまでに僕の後ろをついて回っていただろう。何故、仇のような目で僕を見るようになった」
本当に意味が分からない。自覚が無いのか? 信じられない……ぶん殴っていいか?
チッ、と静かに舌打ちする。こんなにもイライラする事もそうそう無いだろう。落ち着け、落ち着くんだ私。落ち着いて対応する為に一度深呼吸をして、
「そんなのあんたが最低最悪のクズ野郎だからに決まってるでしょう」
落ち着いて答えよう。と、思ったんだけどなー。やっべーーーっ、苛立ちのあまりついつい本音がまろび出てしまった。
ぽかーんとするフリードル。そりゃそうよね、これまで一応は王女として取り繕ってはいたもの。それすらもやめたらもう、私には果たして何が残るのかしら。
「…………兄様。あんたが私に何したか覚えてます? 兄らしい事の一つでもやってくれましたか? あんたはいつも私の事を疎ましげに見下して、近づく事も名前を呼ぶ事も許してくれなかったでしょう? 病に伏せた妹の見舞いにも行かず、やる事は脅しに威圧に尋問。そんな冷血漢を、誰が好きでい続けられると思ってるんですか?」
ええいままよと勝手に溢れ出す言葉達。私が嘲るように笑うと、フリードルの顔が不快そうに歪んだ。何だ、ちゃんと表情があるじゃないの。無表情よりもずっといいわ、その顔。
「もう嫌なんですよ。返っても来ない愛情を求め続けるのなんて。だってそんな無意味な事をし続けた挙句、結局最後にはあんた達に殺されるんだから」
ゲームでアミレスが幾度となく殺されたのを私は見た。その中でもきっと彼女にとってとても辛かったであろう、家族による殺害も何度か目にした。
あんた達に愛を求めていると私は死ぬの。他ならぬあんた達やこの世界に殺されてね。私はそんな惨めで虚しい終わりは嫌だ。そもそも死にたくない。だからフリードルにも皇帝にも愛を求めないと決めたのよ。
「何をそんなに驚いてるんですか? 兄様とお父様がいずれ私を殺すつもりだという事ぐらい把握してるに決まってるでしょう。誰が、自分をいずれ殺す事になる相手を愛せると言うのでしょうか?」
何故か驚いた顔をするフリードルに向け、私は淡々と語りかける。そりゃあ世の中にはそういう本当の愛を知る人もいるのだろう。だが生憎と私はそんなものを知らない。
アミレスだって殺されるとは知らなかった。だから純粋に愛を求め続けられたのだろう。そしてその愛の果てに、貴方の手で死ねるのなら本望です、なんて言ってしまうんだ。
「兄様が私の事を愛してくれた事が一度たりともありましたか? 無かったでしょう、そんな事。愛されないと分かっていて愛を求めるような愚かな事……私はもう、二度としたくないのです」
いつかのアミレス・ヘル・フォーロイトのような結末は絶対に辿らない、そう決めたから。
「──そもそもの話だ。何故、僕がお前を愛する必要がある?」
フリードルの作り物のような冷ややかな目が、私を貫いた。やはりこの男は一度たりともアミレスを愛した事が無かったのだと聞いて、心がズキズキと痛む。何だか視界が揺らぎ始めた。目頭が熱い。あれ、これ……まさか。
「……私、泣いてる……? なん、で……こんな時に……」
ポロポロと、涙が瞳から溢れていた。これはきっとアミレスの涙だ。フリードル本人から愛した事が無いと言われた事に、アミレスの残滓が泣いているんだ。
「……いやだ、泣きたくなんかない。あんな男の所為で、泣く、なんて…………っ」
何度目を擦っても涙が止まらない。それどころかアミレスの悲しみが少しずつ私の心を侵食しているような気がする。フリードルの所為で泣くなんて嫌なのに、それなのに涙は止まらないし、フリードルは完全に厄介なものを見る目でこちらを見ている。
どうしたらいいか分からない、そんな時だった。聞き慣れた二つの声が私の耳に届く。
「お前か、おねぇちゃんを泣かせたのは」
「こやつがアミレスを苦しめる毒か」
私とフリードルの間に割って入るように、シュヴァルツとナトラが立っている。
どこからともなく現れて、「おねぇちゃんの戻りが遅いからって来てみれば…………!」「何故アミレスが泣かねばならないような事が起きておるのじゃ」と口々に怒りをこぼしている。
二人共、初めて見るような怖い顔をしていて……何だか様子がおかしい。
「彼女はお前如きが泣かせていい人間じゃねぇんだよ、さっさと失せろ。屑野郎」
「暴れるなと言われておったが、アミレスが虐められておるのをこの目で見た以上我も黙ってはおれん。こやつを殺す」
シュヴァルツとナトラが凄まじい威圧感を放つ。珍しくもフリードルはギョッとした顔で二人の事を見下ろしていた。
殺す……? フリードルを、殺す…………。
「だめ、兄様を殺しちゃだめ……っ! 兄様が死ぬなんて、そんなの──っ!」
「っ?! おねぇちゃん、どうしたの!?」
「アミレス!?」
足に力が入らなくなり、私は膝から崩れ落ちた。まずい、まずいまずいまずいまずいまずいまずいまずい。私の心が、『私』がアミレスに侵されている!
さっきのショックを切っ掛けに、アミレスの残滓がどんどん肥大化して『私』を飲み込もうとしている。自我が、『私』が消えて行く。そんなの駄目だ、絶対に駄目なのに、どうしてか全く抵抗出来ない。
「っ、はぁ、ぁッ……!」
うまく、呼吸が出来ない。苦しい、くるしい、いたい、つらい。心臓が……胸が締め付けられるように痛む。
「お──ゃん!」
「アミ──ス!!」
シュヴァルツとナトラが私を呼んでいる。大丈夫だって言わなきゃ、フリードルを殺しちゃ駄目だって止めなきゃ。ああ……それなのに……声が出ない。悪い魔女に声を奪われてしまったお姫様のように言葉を紡げない。
私はフリードルが嫌い。フリードルが憎い。フリードルが好き。兄様が大好き──……んな訳あるかッ!! 私はフリードルの事なんか大っ嫌いなんだ!!
「…………っ」
その時たまたま、フリードルと目が合ってしまった。兄様は混乱した表情で私の方を見ていた。
こんな時でもフリードルは心配すらしてくれないのよ。兄様はただずっと、唖然と私の事を見ていた。
フリードルの前でこれ以上醜態を晒したくない。とにかく兄様から離れないと。
何とかすんでのところでアミレスの残滓による侵食を耐える。だがこのままフリードルの近くにい続けてはこれもどれだけもつか分からない。だから早く離れないと。
何かいい方法はないだろうか、と考えた時。私の頭の中には自然とその手段しか思い浮かばなかった。
「お前、何を考えて……っ」
「おねぇちゃん?!」
「何をしておるのじゃアミレス!!」
この呼吸困難の状態で顔の周りに水を発生させ、自ら溺れた。こうしてしまえば意識を失える……筈、なんだ──。




