136.狙うはハッピーエンド3
「おい、アルベルト」
夜中。猫が一匹、静かな地下監獄に紛れ込んでいた。その猫は暫く様々な檻を見て周り、目的の男を探し出した。
男は壁にもたれ掛かり膝を立てて座っていた。しかし名を呼ばれ、立ち上がって鉄格子の側まで行く。そして薄らと真っ白な猫を視認すると、
「はい」
と短く小さな声で返事した。そして屈み、猫にできる限り顔を近づけた。
(周りの人に、シルフ様の声が聞かれたら、不味いよな)
それはアルベルトなりの気遣いだった。しかし、そもそも猫シルフの言葉はシルフが許可した相手にしか認識出来ぬようになっている。他の者達からは、このシルフの言葉も全て猫のにゃあにゃあと言う鳴き声に聞こえている事だろう。
「アミィからの伝言だ。『筋書きはもう出来てるから、全て私達に任せて。お前は安心して大船に乗ったつもりでいなさい』だってさ」
「……本当に、あの御方は……凄い人ですね」
「まぁね、ボクの愛し子なのだから当然だけど」
ふふん、とどこか誇らしげにその猫は前足を上げて腕を組んだ。ほとんど組めていないが。
勿論精霊界にいるシルフの本体も腕を組みしたり顔を作っていた……がしかし、その顔は思い出したかのように不機嫌に染まった。
「──あ。ねぇ、お前、何なの?」
「…………何とは?」
「何でアミィにあそこまで肩入れされてるんだ? お前に同情の余地があったからとか……そういう理由だけじゃあ無いだろ?」
シルフはご立腹であった。アミレスが出会ったばかりの相手の為に何かをする事は今までにも何度かあったが、今回は少し毛色が違う。
何せ相手は殺人鬼だ。確かに同情の余地がある半生を送って来たアルベルトであったが、アミレスとて分別のある人間……そう易々と、殺人鬼にその罪や苦しみを背負ってやるなんて言う筈が無い。とシルフは考える。
(何でアミィがあそこまで必死にアルベルトに救いの手を差し伸べるのか……それが分からない。アルベルトには何がある? アミィにそうさせるだけの何かが、この男にあると言う事なのか?)
アルベルトの返答を待つ間、シルフもまた思考を続けていた。
(確かにアミィはすっごい優しくて誰にでも救いを与えようとする子だけど、それでも悪人に対してはちゃんと冷酷に剣を振るう事が出来る子だ。そんなアミィが、殺人鬼の半生を聞いたぐらいで救おうとするか……?)
シルフが疑念に眉を顰めていると、アルベルトがようやく口を開いた。
「……俺が、聞きたいぐらいです。あの御方が俺の言葉を信じて、真っ直ぐ向き合ってくれて……その上であんな風に寄る辺になってくれた理由なんて……俺も、知りません。答えられなくて、ごめんなさい」
アルベルトはポツリポツリと心境を語った。
それもその筈。何せアミレスはアルベルトを救いたいと思った理由を誰にも話していないのだから。そしてその理由に辿り着く事が出来る人がいるとするならば、それはきっとカイルのみだから。故にアルベルトもシルフもそれには気づけない。
攻略対象の一人、サラの抱える喪失感の理由であり……本来ならばアミレスと似た結末を辿る事になる憐れな青年。そんな存在を、アミレスが放っておける筈がなかった。
ただ、それだけの理由だとしても……彼等にはそれを知る術が無いのだ。
「そう。知らないのか……相変わらずアミィは、ボク達には何も教えてくれないんだね」
(──出会ったばかりのあの男には気軽に色々と話すのに。どうしてずっと一緒にいたボク達には何も教えてくれないんだよ、アミィ……)
今にも消え入りそうな弱々しい声音でシルフは呟いた。そして、その美しい顔を悲痛に歪めて項垂れる。
あんなにもずっと一緒にいたのに。それなのにずっと何かをシルフ達には内緒にし続けるアミレスに、それをどことなく悟るシルフは心を痛めていた。
ズキズキとシルフの心が悲鳴を上げる。数万年生きていて初めての胸の苦しみに、シルフは懊悩し、困り果てていた。
♢♢
───連続殺人事件の犯人がついに捕まった。
その報せは、瞬く間に帝都中に広まった。これに帝都の人達は沸き上がった。ようやく殺人鬼の影に怯えなくて済むと。安心して暮らしていけると。
どこから情報が漏れたのかは知らないが、街では犯人確保にアミレス・ヘル・フォーロイトが大きく関わっていると噂されているらしい。そういうの本当にやめて欲しい。
犯人を捕まえたのはカイルだし、黒幕をきちんと引きずり出したのはケイリオルさんだ。確かに私も関わってはいるが、まるで私だけの手柄のように語らないで欲しい。何だかいつもそれ系統の誤解を受けてるような気がするわ。
そして犯人逮捕から一週間。私はこの一週間何度かアルベルトに会いに行こうとしたものの……彼は現在重要参考人として地下監獄に捕らわれている為、私では面会出来なかった。
その為、昨夜シルフにアルベルトへの伝言を頼んだのだ。シルフはきちんとアルベルトへの伝言を果たし、戻って来た。だが何やら戻って来た時のシルフの様子が変であった。元気が無いように見えて…………それを見たナトラが、
「過労じゃろ」
とズバッと言い放ったにも関わらず、シルフは何も反応せず眠りについた。いつもなら鋭いツッコミが入ったりするのに、今回はそれが無い。
本当にシルフも疲れているのかもしれないと思い、私は暫くの間魔法の特訓はお休みにする事にした。シルフも本業の精霊さんとしての仕事が最近凄く多くて忙しいって言ってたもんね。
結局これまでアルベルトに会う事は出来なかったものの、実は数日前に私自ら、ケイリオルさんと司法部部署長の方の所に直談判に行っていたのだ──……アルベルトの処罰について、死刑だけは免除してくれと。
〜三日前〜
「本日は私の身勝手な希望の元、このような話し合いの席を設けていただける事となり幸甚の至りと存じます」
ポカーンとする司法部部署長さんに向け、私は優雅に一礼した。ケイリオルさんに何とか話し合いの席を設けてくれないかと頼み込み、こうして奇跡的に実現した場。
司法部部署長さんもケイリオルさんもお忙しい中、合間を縫ってこうして私に時間を下さったのだ。それに感謝し、決してこの時間を無駄にさせないようにしないといけない。
「……いつまで呆けてるんですか、ダルステン部署長」
「あっ、アミレス・ヘル・フォーロイト王女殿下にご挨拶申し上げます。僕……じゃなかった、私はダルステンと申します。司法部部署長を任される者です」
ケイリオルさんに肘で小突かれた司法部部署長さんがビシッと姿勢を正し、深々と頭を垂れた。ダルステンさん……ハイラから聞いていた通りの名前だ。
「顔を上げてください、今回ばかりはそのように畏まる必要もありません。この場は私たっての希望ですので、どうぞ、楽にしてください」
その方が話し合いもしやすいでしょうから。とニコリ微笑む。するとダルステンさんがビクッと驚いたように肩を跳ねさせた。
「ダルステン司法部部署長の話は以前耳にした事があります。若くして司法部に重用される程の秀才にして、誰よりも地道で確実な努力と準備をして裁判に挑み、必ず最も法に従った判決を下す方。我が帝国の絶対的な法の番人と呼ばれる程の方。なんの力も無く、立場も無い私なぞがこうして言葉を交わせる方でない事は重々承知の上……ですがどうか、少しだけ、私に貴方の時間をくださいまし」
改めて、頼み込むように頭を下げる。皇族がこうしてみだりに頭を下げるものではないと分かっている。分かってはいるが……下げる必要がある場面で何もしない訳にはいかない。
今回は私から彼等に話を聞いて欲しいと頼み込んだのだ、私がこうして頭を下げなくてどうする。私は、しょうもないプライドで礼儀を弁えない人間にはなりたくないのだ。
「……っあ〜〜、ケイリオル殿よォ……王女殿下はいつもこうなのか?」
「はい。いつもこうです」
「はぁ…………とにかく、皇族が平民相手に頭を下げないで下さい。確かに僕は司法部部署長なんて役職についているが、いつも周りから舐められてる平民なのでね。王女殿下に頭を下げられても困るんですよ」
顔を上げると、そこには困り顔のダルステンさんがいた。しかし、私もそう易々とは引き下がれない。
「私は身分や役職で敬意をはらう相手を決めておりません。私自身が敬意をはらうべきだと思った相手、思った場所、思った時で相手に敬意をはらい礼儀を尽くしているつもりでございます」
真っ直ぐとダルステンさんの鋭い目を見上げ、言い放つ。これにダルステンさんはたじろぎ、言葉を返してくる事はなかった。
その代わりと言ってはなんだが、
「流石は王女殿下。型に囚われない素晴らしいお考えです」
ケイリオルさんがパチパチ、と拍手をしていた。これはきっと、褒められている……という事でいいのだろう。ケイリオルさんに向けて「どうも」と微笑み返し、改めてダルステンさんに視線を向けると。
「…………はぁ、こりゃあまた……とんでもない皇族がいたもんだ」
腰に手を当てて項垂れながら、何やら重苦しいため息をついていた。しかしそのすぐ後にダルステンさんがパッと顔を上げて、
「だいぶ失礼な態度を取ると思うが、本当に楽にしていいんだな?」
最初の堅い表情や喋り方ではなく、とても柔らかなそれで確認して来た。私は勿論それを承諾した。
「はい。私もそれを望みます」
「そうか、じゃあこの調子でいかせてもらいますわ。僕も……いつまで経ってもお堅い会話はどうも慣れなくてね」
「それは分かりますわ。私も、王女として人と話す事にはまだ不慣れですので」
何だろう、ダルステンさんに少し親近感を覚えた。
先程よりもずっといい空気になった部屋で、私達はようやく席について話し合う事に。長椅子に向かい合う形で座り、いつの間にかケイリオルさんが入れてくれた紅茶で喉を潤して、私は単刀直入に切り出した。
「話というのは、此度の連続殺人事件の犯人についてなのです。話……と言うより、直談判と言った方が良いでしょう」
皇帝の側近たるケイリオルさんと、司法部部署長なんて役職にまで上り詰めるようなダルステンさん相手に、腹の探り合いなんて自殺行為に等しい。私はこれでも勝ち目が全くない戦いはしない主義だ。
ならば私に出来る事は真正面からの強行突破、ただそれのみ!
私の要件を察したらしいダルステンが真剣な面持ちとなる。しかし私は自分を鼓舞し、怯む事無く直談判する。
「きっとお二方の事ですからこの件に私が関わっている事も既にご存知でしょう。その上で私から直談判させていただきたいのです──……実行犯アルベルトに下す罰を、死刑以外にしてください」
途端に険しい顔になるダルステンさん。当然だ、何も知らない王女が裁判前に突然意味不明な要求をして来たのだ。誰だって眉を顰める。
「……王女殿下、何の為に法があるかご存知ですか?」
威圧感のある声でダルステンさんが問うてくる。質問の意図が分からないが、とにかく答えるべきだろうか。
「私の所感で良ければ。それは統制と抑止力だと思いますわ」
「……ほう? その心は?」
私の回答に、ダルステンさんは前のめりでもう一歩踏み込んで来た。その鋭い瞳から目を逸らす事無く、私は続ける。
「まずは統制。規律、決まり事、ルール、約束、法……その名称は様々ですが、我々人間は大なり小なり様々な規律に則り共存し、生活をしています。ありふれた回答ではありますが、一切の規律の無い無秩序な空間では人は何とも共存出来ずただ滅びの一途を辿るでしょう。それ故に人々を統制する為の規律──法が必要なのです」
「では、抑止力とは?」
「これは先程の統制から繋がる回答になります。統制をとる為に法が必要と言いましたが、その法に何の罰則も無ければ誰がそれを守るというのでしょうか。故に法を犯した者には代償として罰則が与えられる。法を犯せば自分もあのような目に遭う──と言う抑止力があって、初めて人々は法を遵守するようになり統制のとれる生活が可能となる……と、私は考えます。言うなれば、人間社会にもっとも溶け込んだ恐怖政治のようなものかと」
これもまたありふれた回答ですが。と付け加えると、ダルステンさんは驚いたように目を見張っていた。
しかしそれも束の間、少し口の端を上げて彼は口を切った。
「そうだ。法とは我々人間の社会を守る為の規律であり抑止力、つまり王女殿下の言う通りのものだ。ならば何故、貴女はそれを理解していながら、先程自分で言った与えられるべき当然の罰則を変えろと我々に直談判するのか……それを教えて貰いたい」
来た、この問! 絶対来ると思ってたから事前にある程度何を話すかは考えておいたのだ。気分はさながら面接である。
「結論から言いますと、彼が隷従の首輪の被害者だからですわ。【帝国法第三百二十六条五項・隷従の首輪の被害者は市民尊重法及び奴隷禁止法の適用により、社会復帰の為の継続的な精神的又は環境的援助を享受可能。】【第三百二十六条六項・隷従の首輪の効果にて本人の意思に反して罪を犯していたと認められた場合に限り、特例で減刑措置をとる。】──以上の法を踏まえまして、彼は減刑されて当然かと私は考えました」
つらつらと帝国法第三百二十六条について私は語る。これは十数年前に皇帝が新しく作った法で、その名も【帝国法第三百二十六条・特定魔導具所持禁止法】と言う。主に隷従の首輪の事ばかりが定められた全九項の法で、その他にも人類の負の遺産たる魔導具に関する事が定められている。
この法がきちんと適用されるならばアルベルトは減刑措置をとって貰える筈……なのだが、いかんせんアルベルトは人を殺してしまった。それも闇の魔力も使って。
他にも誘拐や監禁等……隷従の首輪の所為だったとは言え、色々とやりすぎだった。その為下手したら死刑にもなりかねない。その辺りの采配については私は全くの素人なので、第三百二十六条があるとは言え安心出来なかった。故に、こうして直談判に来たのだ。
アルベルトにも約束したから。死なせないと、必ずや弟に会わせてみせると。だから私は何としてでもアルベルトの減刑措置をもぎ取らねばならない。




