126.悪友は巡り会う。3
「ねぇ、殺人鬼。お前の話を聞かせなさい。私はこの国の王女よ……隠し事は通用しないと思え」
鎖をジャラジャラと巻き付けられ、力無く項垂れる殺人鬼。その前で仁王立ちし、私はそう言葉を投げ掛けた。
「…………もし、話したとして……俺の話を信じてくれるのか?」
殺人鬼が濁る灰色の瞳でこちらを見上げてくる。何だか見覚えのあるその瞳に……私の胸は少しモヤッとした。
「お前の言葉が嘘で無いのなら信じるわ。信じて欲しいと思うなら、嘘はつかない事ね」
「……分かった。正直に全て話す、から……俺の言葉を……信じて欲しい」
殺人鬼は懇願するように頭を下げた。とにかく話しなさい、と促すと彼はポツリポツリと語り始めた。
「俺には、弟がいるんだ。九年程前に生き別れた、弟が。その弟を探しに……この街に来て……馬鹿な俺は……男爵に騙されて、首輪を嵌められた。どれだけ……っ、嫌でも。つらくて、くるしくて、いたくても……この、首輪の所為で、俺は……男爵の命令に、逆らえないんだ…………っ」
途中から涙ぐみ、震える言葉で彼は語る。俯く彼の顔は見えないけれど……その足元を湿らせる涙だけは確実に偽物でないと思う。
さっき戦ってた時の言葉と言い、これ……どうにもきな臭いわね。命令とか首輪……ってまさか。
以前奴隷商を壊滅させた時に見た帳簿の中にあった気がするわ、何か奴隷に使う特殊な首輪が。現皇帝が即位して真っ先に改正した人身売買に関する法……その中でも特に厳罰に処すとされた最悪の魔導具。
確か、名前が──
「隷従の首輪……」
──そう、私が口にした時。殺人鬼の体がビクッと反応した。
これは、もしかしなくても……!?
「ちょっと首元を見せなさい! この邪魔くさいマフラー取るわよ!!」
俯く男の顔を無理やり上げ、首輪に巻かれたマフラーを外す。するとそこには──かつて資料で見た、趣味の悪い首輪がつけられていた。
「嘘、でしょ…………? だってこれは、皇帝が数十年前に全て廃棄させたって……」
愕然とした私が信じられないと震える唇で紡ぐと、
「…………男爵が、知り合いの奴隷商から……数年前に譲り受けたと言っていた。その奴隷商も……隠し通すのが大変だったと、自慢していたらしい」
男が無気力な声でそう答えた。
……そうだ、確かにあの時見たのは帳簿だった。それは売買記録では無かったけれど、その品が確かにあの商会にあったという事実があそこには記されていたんだ。
まさかこんな所で繋がりに気づくなんて。じゃあこの人は、本当に騙されてこんな最低最悪な首輪を嵌められたって事? 無闇矢鱈と殺したくないと苦しそうに言う程に、本当は誰も殺したくなかったんじゃ…………。
吐きたくなる程胸糞の悪い話に、私は怒りが込み上げた。もしこれが全て事実ならば……彼の言う男爵とやらが最も罰せられるべき人間だ。
彼も実際に人を殺してしまった以上、罰は免れないだろうが……よりにもよって隷従の首輪を嵌められていた事を鑑みるに、多少の減刑はあるかもしれない。
それだけ、あの魔導具は極悪なものなのだ。人類の生み出した負の遺産と言っても差し支えない程に。
「…………お前が罪を免れる事は不可能だわ。でも、せめて……少しでも罪が軽くなるように私からも訴えかけてみる。皮肉な事に……お前に嵌められたその首輪は、その訴えを現実のものと出来るだけの存在なのよ」
そう言い放ち、私はスっと顔を上げた。極刑にならないように働きかけてみると……せめてお前の望みが叶うようにやれる限りの事をやってやると、そう伝えようと彼の顔を見たその瞬間。
私の体は、脳はピタリと動く事を止めた。今日一の驚愕が、私に襲いかかる。
……ふと、見覚えのある瞳だと思った。その黒い髪も、思い返せば彼そっくりだ。
「──っ、サ……ラ……?!」
魚のようにパクパクと口を動かし、何とか私はその名を発した。
目の前にある青痣だらけの男の顔、それが、ゲームで幾度となく見た攻略対象サラの顔とそっくりだったのである。
その黒髪も、灰色の瞳も、端正な顔立ちも、全部全部サラと同じだ!!
サラは帝国の諜報部(日本で言う公安みたいな組織)に属するスパイを生業とする男。常に謎の喪失感を抱えて生きていて、ゲームではその喪失感をミシェルちゃんが埋める事になる。
詳しい経緯は明かされていないが、十歳の時に貧民街を出て諜報部に入ったと本人が語ったものの……それ以外の細かい過去は明かされていない──というか、本人の記憶に無いと言うのが正しい。
何せサラには、九歳より前の記憶が全て無い。それまで自分が何処の誰として生きていたのかも何もかもが分からないのだと言う。
サラと言う名前は貧民街の家族が付けてくれた名前らしく……それ以外の名が分からないサラはずっとサラと名乗って生きていた。
それがアンディザ攻略対象ズの一人、サラの簡単な過去だ。
そのサラと瓜二つの人間が目の前にいる。もしかしなくてもこの人は──記憶を失う前のサラを知る人だ。
「……弟さんと生き別れたのは九年前と言ったな、その時弟さんは何歳だった?」
「確か、九歳……だったと思う。名前、はエルハルト……一年ぐらい前に、帝都で弟を見たと、知り合いが教えてくれたんだ……君は、知らないか?」
私が尋ねると男は大人しく答えた。九年前に九歳で生き別れた……もしその時、サラが記憶喪失になるような何かが起きていたら。
記憶喪失となったサラが貧民街でディオ達と出会い、何らかの経緯で諜報部に行ったのだとしたら。
彼の言うエルハルトと言う少年が私の知るサラである可能性は、ほぼ確実に近い。
「…………知ってるわ。私はお前の弟が何処で何をしているか、ある程度ではあるけど分かるかもしれない」
「っ?! 弟は、エルはどこにいるんだ……っ!?」
サラが諜報部に所属しており、今から数年以内に神殿都市に潜入捜査に行く事を私は知っている。だが、果たして話してもいいのだろうか。
諜報部の情報規制は凄まじい。まずその内部情報は外部に漏れないし、そもそも諜報部に誰が所属しているかなど……皇帝しか知り得ない。
それを私が何故か知っていて更に外部の人間に漏らしたとあれば、どう足掻いても断頭台直行必至だ。
本当なら、知っているかもと言う情報も言わない方が良かったのだろう。でも、言わなきゃいけない気がした。
そうじゃないと目の前のこの男が今にも壊れてしまいそうな……そんな危うさを感じたから。
「……それはまだ教えられない。これを知れば、お前は死を免れない」
「そん、な…………どう……して……」
ポロポロと涙を溢れさせ、男は悲痛に顔を歪めた。ああ、駄目だ……私は本当に最低な奴だ。
沢山の人を死なせ怯えさせた殺人鬼なのに。私は、彼に少しだけでもいいから報われて欲しいと思ってしまう。
ほんの少し前まであんなにも怒りを覚えていたのに。サラの喪失感の理由かもしれない、なんて些細な理由で──私は彼を救いたいと思ってしまった。
「お前、名前は?」
「……アルベルト」
「そう。アルベルトね……いい? 聞きなさい、アルベルト──私がお前の望みを叶えてみせるわ。アミレス・ヘル・フォーロイトの名にかけて、いつか必ず、お前を弟に会わせると誓おう」
「……え?」
アルベルトの顔に驚愕が宿る。こんな事を言われるだなんて思いもしなかったのだろう。
諜報部に所属する記憶喪失のサラをアルベルトの元に連れて行く事は至難の技だろう。だがそれでも、何とかすれば……可能性だってゼロじゃない。
可能性がほんの少しでもある以上、私はそれに賭けたい。彼とサラの為に。
アルベルトの青あざの残る顔に触れ、濁る灰色の瞳を真っ直ぐ見つめる。
「例えどんな結末を迎えてもいいと……お前にその覚悟があるのなら、私にその命を預けなさい。お前の事は死なせない。生きて、必ず弟と会わせてみせる」
私の言葉に、アルベルトはまた瞳を潤ませた。言葉に出来ない彼の感情を表すかのようにとめどなく溢れる涙。
そして彼は頭を下げた。深く深く……今の彼に出来る最大限のお辞儀をしているようだった。
「……っ、お願い、します……! 一目だけでも……っ、無事で、元気なエルに…………弟に会わせて……ください!」
鼻をすする音が聞こえる。痛々しいまでに切実なこの叫びを誰が無視出来ようか。
私は彼を救いたい。彼の望みを叶えてあげたい。どれだけの人に後ろ指を指されても構わない。せめて、ほんの少しだけでも……彼に時間をあげたい。
こんなにも──私に似た人を放っておくなんて事、私には出来ない。
「お前の命も罪も、私が全部預かるわ。だからもう泣かないで」
光の無い、濁った灰色の瞳から溢れ出る涙を、私は指の腹で拭った。
……ゲーム通りに事が進めば、彼は数年後にフリードルによって殺される。そしてそれは恐らく例の男爵とやらが彼を切り捨てたからだろう。
そうでもなければこんなにも強い男がいとも容易くフリードルにやられる筈が無い。確かにフリードルは強いけれど、アルベルトを瞬殺出来るかと言われれば、不可能だと思う。
それだけ彼は強い。流石は攻略対象の兄と言うべきか……この世界は妙に攻略対象とその関係者が強い傾向にあるからな。
ゲームでアルベルトは、たった一つの目的の為に生きていて……隷従の首輪を嵌めてきた男爵とやらに騙され、散々利用され、挙げ句の果てに捨てられ失意の中死んだのだろう。
まるでアミレスと同じように。たった一つの願いを、思いを、散々踏み躙られた末に不要と生贄として殺されるだなんて。
アルベルトとアミレスは似ている。だから何となくだけれど、私は彼の辛さや思いも分かる気がしたのだ。
「……大丈夫よ、お前は一人じゃない。私がいるから。本当は優しいお前と違う、悪逆非道な私が一緒にいるから。人を殺めた事でもう苦しまないで……その苦しみも、痛みも、辛さも、全部全部私が背負ってあげるから」
「でも、それじゃあ……貴女、が………」
「大丈夫よ、私、フォーロイトの人間だもの。おぞましい事に、私は人を傷つけても結構何も感じないのよ。私が肩代わりする事でお前が楽になれるのなら、いくらでも私に押し付けなさい。お前なら、それが出来るでしょう?」
「……俺の、魔力……気づいてたん、ですか」
目を見開きたまげるアルベルトに向け、私は口を閉ざして微笑みかけた。
サラの兄であると言う事、私の魔法がことごとく無効化されていた事、そして今の今まで全く正体が明らかになって来なかった事……それらから考えるに、アルベルトも恐らくサラと同じ闇の魔力を持っている。
闇の魔力は精神干渉系と言われる魔力とはまた別のジャンルで、精神への細かな干渉は不可能だがその精神そのものを破壊する事に長けた魔力……とゲームと授業で聞いた。
それと同時に、器用な人は影を操る事が出来るとかで影の世界という亜空間に色々仕込んだり出来るらしい。
そんな闇の魔力を使えば、自身の負の感情を他者に押し付ける事も出来る、みたいな事をゲームでサラが言っていた。逆も然りで他者の負の感情を自分が引き受ける事も出来るとか。
だからその技を使って私に辛い思いを押し付ければいいと。そう提案したのだが、アルベルトは乗り気ではなかった。
「…………駄目、です。これは、俺が背負わなきゃいけない……苦しみだから。目を逸らしちゃいけない、俺の、罪だから」
「……そう。本当に限界だ、って思った時は言いなさい。下手な相手に押し付けて精神破壊するよりかは、私ぐらい頑丈な人間に押し付けた方が穏便に事が済むでしょう」
アルベルトは小さく、こくりと頷いた。
無理強いをするつもりはない。だが、いざと言う時の逃げ道を用意するぐらいはしておきたかった。それがあるのと無いのとでは気の持ちように差が出るものだから。
さて、これからどうしたものかと顎に手を当てて考えていると。遠くの方から見知った人影がこちらに向け走って来て。




