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 斜面を縫うように登る車両に揺られ、最も空に近い到達点を折り返す。視界が開けたと思うと青く透けるような海が広がった。下り始めた列車は山間を蛇行し進む。木々が視界を遮ったかと思えば、街並みを望み、海が続く。景色がぱっぱと変わるのは、線路のうねりの激しさを物語る。


 現に車両はがんごんと絶えず揺れ、タイラーの体を座面の上で何度も跳ねさせた。そのたびに、足で床を踏ん張り、壁面に手を当ててバランスをとる。

 体を支えながらタイラーは、急な山に阻まれていたから今まで注目されない街だったのだろうか、と思った。

 

 海と空の青さが水平線で交わり、揺れる青白い線上に小山のような陸地がある。車窓に海が映るたびに見えるその島が人魚島であるとタイラーはすぐ分かった。


 背景に広がる急斜面の山が世界との隔絶をものがたる小ぶりな海辺の街。

 エル字型の海岸線近くに民家は少ない。高台とまで言わないが、斜面を削るように街並みが広がる。三角屋根の高くても三階ほどの低層な住宅が多い。


 これは別世界か。まるで、おとぎ話に出てくる海辺の街だなとタイラーは思った。


 この雰囲気が維持できれば、確かに観光地に育っていく可能性はある。シーザーは街が育つのことを楽しみたいのかもしれない。人が訪れるようになれば、潤うこともあるが、問題も起こる。景観が崩れれば、この魅力も失われる。例えば、有名になり勘違いした長によって、あらぬ方向に開発を推し進め価値を失った街が死ぬこともあるだろう。シーザーも愚かではない。ここに住まう人々やその長の考え方が重要なのは分かっているはず。外部の人間がどうしたくとも……。

『半分本気で、半分遊び』シーザーの言葉をタイラーは頭の片隅に置いた。


 周囲がふいに暗くなる。車窓の景色も木々が流れるばかりとなる。葉に光が跳ね踊り、きらめく。街が見えなくなり、暗い緑のトンネルを走り続ける。


 弾けるように視界が開けた。

 ベージュともオレンジともつかないグラデーションが映える石畳が美しい駅へと車両が滑り込む。モスグリーンの街灯が等間隔に並び、駅と道を隔てる白塗りの柵が続く。止まった車窓から見えたのは山側だった。白い柵を隔てた向こうにある道を談笑しながら人が歩く。駅横の道沿いには商店が並んでいた。

 

 列車が止まる。ほどなく、車両の扉が開き、人がおり始めた。タイラーも立ち上がり、荷物を持ち通路を進む。シーザーからは山側に開いた扉から出るように言われており、左右に広がる景色を参考に、山側に開く扉から外へ出た。


 見上げれば、それほど急な斜面でもない。坂道がゆるく続き。ぽつりぽつりと家が点在する。その上は手付かずな山林となり、蛇行する線路がところどころ陽光を反射し、まぶしい。

 

 背後の列車が動き出そうと汽笛を鳴らした。タイラーが振り向くと、列車がゆっくりと滑り出していく。

 列車が過ぎ去ると幕が開くように、街が一望できた。


 ははっ、とタイラーが口元をほころばす。


 青い世界にくっきりと浮かぶ人魚島。空も海も青く、海岸線の少し上から民家がひしめき合っている。なだらかな三角屋根が続く。家々の窓には花が飾られ、洗濯物が干されている。潮風が吹き上げ、それらが風に躍っていた。

 線路上から見ていた風景はこちらのほうだとタイラーは理解した。


 ただの小さな未開発な漁村ではなかった。小ぶりな街は都会の喧騒を忘れさせる雰囲気を醸す。列車から眺めて感じた印象そのままに、子供向けの映画に出てくるおとぎの国ともいえる景観に息をのんだ。

 ここが最後にアンリが一緒に行きたいと言った街かと、深く息を吸い吐いた。アンリと一緒だったらという幻想が浮かびそうになり、押し込んだ。


 線路より上は最近建てられた建物が多い。線路下に並ぶ建物とデザインが異なる仕様がちらほら見受けられる。こちらが別荘地にあたり、住民の生活圏は線路より下なのかもしれないとタイラーは憶測する。


 別荘にはシーザーの妹が滞在中で、雇っている女の子を迎えに行かせるということだった。その少女は白い服を着て、髪色は青と聞いている。


「タイラー・ダラスさんですか」

 届いた声をつかみ、たどると、そこには白く丈の長いワンピースを着た少女が立っていた。街を象徴する空と海を連想させる明るいスカイブルーの髪と瞳。


「見慣れない方ですもの。タイラー・ダラスさんですよね」

 青い海、青い空、白い柵に囲まれた駅、赤い屋根に木製の小ぶりな駅舎。街並みと山並みを背景に白いワンピースの少女が駆け寄ってくる。いったいどこのスクリーンに入り込んだとタイラーはめまいを覚えた。


 返答することも忘れ固まってままのタイラーに、駆け寄ってきた少女は小首をかしげる。

「違いましたか? この時間の列車に乗られてくるときいてまして」

 少女はきょろきょろと周囲を見渡す。

「それらしい方もいなかったのですけど」


 タイラーは深く息を吐いた。浅く吸って、「はじめまして」と挨拶した。

 少女があどけない表情で瞳を瞬かせる。

「あなたの察した通り、俺がタイラーです」


 少女の表情がぱっと華やぐ。

「ああ、良かった。会えなかったらどうしようと思っていたわ。旦那様から、ご友人がいらっしゃると聞いてました」

 友人……、またそんなことを、とタイラーは苦笑する。友人ではないですよと訂正しようと思ったが、辞めた。どちらにしろ、このの対応は変わらないだろう。


「案内しますね」

 ひるがえると細く伸びやかな曲線のシルエットがまるで動く写真かと思わせた。彼女は歩みを進めたとろで、タイラーが追ってきていないと気づき、くるりとまるで蝶のように旋回した。長いスカイブルーの髪がなびいて、邪魔そうに耳にかけた。

 その軽やかな所作にタイラーは既視感を覚える。


 似ているんだとタイラーは思った。

 アンリと、目の前にいる二十歳そこそこの若々しい少女が。

 女らしいワンピースを着こなす身なりも、屈託ない愛嬌がありそうな雰囲気も、髪も瞳も違うのに。

 その背と、振り向いた姿にタイラーはアンリを重ねていた。


 まさかね、とタイラーはバカな想像を笑う。アンリは今年三十路になるのだ。髪色も栗色だ。ただ身軽なだけの少女に、なにを思うと呆れた。このおとぎの国のような街が魔法をかけようとしたって、現実は変わらないのだ。


「どうしたんですか」

「いや、なんでもない」

 少女に駆け寄りながら「名前は」と聞いた。


「ソニアです。ソニア・スーと言います」


 ほらアンリじゃないだろ、とタイラーは自分に言い聞かせ、ほっとする。

 

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