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「リバイアサンが頻繁にあらわれてくれないのが残念というか、憎らしいところだ」

 シーザーは天井に視線を向け、ため息をつく。まるで恋焦がれる少年のように。


「漁業以外目立った産業もないが、開発しきれていないからこそ美しい地域でもある。気候も悪くない、食材も新鮮だ。技術こそ不足しているものの、問題はない。

 その辺をうまく観光につなげられないか。そのように、そこの長も思案していてね。私が別荘を持っているつてもあり……」


 シーザーは苦笑する。この手の話が彼に舞い込むことは少なくない。煙たがりもせず、最低限付き合いながら、深い本音では面倒くさがっている。タイラーとしては、資産家も大変なものだと眺めるしかなない。


「まあ、軽い相談程度の話だ。期待はしないでもらいたいと伝えたよ。

 安請け合いする気はないんだ。今後どうするかは別にしても。ホテルかコンドミニアムか。価値が上がれば出口はいくつもある」

 それでも、このように興味を示すのは、彼なりにその地を少なからず気に入ったからだろうとタイラーは耳を傾ける。


「なにをするにも、土地がかかわる。不動産関係の土地取引なら君にお願いしてもいいだろう。下見を兼ねて見に行ってもらいたい」

 話題が仕事に戻り、タイラーはほっとする。我を取り戻し、身の程をわきまえている旨から断ろうと言葉を選ぶ。


「小宅を中心に、商業ビルや一棟ビルを仲介している身です。たまに住宅建設希望による土地取引は扱いますが、山林売買などの経験は乏しく、観光地におけるコンドミニアム建設などに対する目利きは、私にはありません」


「君は正直だ」

 この程度のタイラーの断りは、シーザーからしてみれば軽いジョブだ。その遠慮は織り込み済みだよという余裕がにじむ。

「故に仕事も熱心だ。難しいものは難しいと言うし、すすめないものはすすめないという。少々慣れないことも、関連するなら勉強し対応しようと努める。

 過去、売買からお門違いだと分かっておいて頼んだリフォームの件も、君の提案をのみ成約率は百パーセント。専門外と言いつつ、これだけ結果を出すじゃないか」


「評価をもらえるのはありがたいのですが……」

 ほめ殺しをされても困る。なにか過去に例えられる失敗はないかとタイラーは模索する。


「半分本気で、半分遊び。そんな感じでいい。

 君の意見は参考にするが、僕とてすべてを妄信するわけではない。  

 まあ、休暇もかねて頼むよ」

 シーザーは書類が入った封筒を手にして、立ち上がる。

「今回の成績は来月に回してほしい」

「それは……」

 タイラーは面食らう。確かに今月はすでに必要な契約は結び終えている。余裕があるなかでの今案件であることは、シーザーに明かしていない。なぜ知っているとタイラーはいぶかる。

「君の上司にもそう伝えてある」

 シーザーはにこやかに笑う。

 

 ああ、とタイラーは内心唸った。

 大きな契約をする際に、上司と挨拶に来たことは覚えている。その際交わした名刺もあったろう。

 手を回された。

 上司が知っているなら、身の振り方は一つしかない。


「聞くなら、君は有休も使わず、仕事ばかりなんだろう。

 僕の別荘を貸すから、休暇もかねていってきてもらいたい。二週間程度、自由にしてくれてかまわない。あそこの良さは、滞在してみたいとなかなかわからないからね」


 シーザーが軽やかに去って行く。会議室の扉へと手をかけた。

 いつもなら、ともに立ち上がり、礼を尽くし挨拶するところだったろう。そんな当たり前のことさえタイラーは忘れていた。資産家の余裕を見せつける悪戯に、タイラーは目を見開き、返す言葉もなく絶句する。そんな反応もまたシーザーにとって想定内なのかもしれない。


「いつも淡々と説明もすれば、嫌味の一つも言う君がその顔だ。いいものを見せてもらったよ」

 軽く振り向きそう言うと、シーザーは笑顔のまま出ていった。


 残されたタイラーは頭を抱えた。

 座り込んだまま、目を閉じる。今度は本当に唸るような声が漏れた。

 上司の顔をこれほどうんざり眺める機会はもうないだろう。


 会社に戻れば、タイラーは上司に機嫌良く迎え入れられた。

「タイラー、よくやった」

 その一言で、上司とシーザーとつながっていたとタイラーは確信し、はめられた気分になる。

「二週間も拘束されると思うと、仕事への影響が心配です」

 この期に及んで、タイラーはまだ行かないで済む方法はないかと模索していた。

「なにを言う。将来性のある地域への下見と思えば、収穫のない仕事ではないだろう」

 辟易しながら、上司の喜びを受けとるタイラーは、あらくれる忌々しい感情を深く飲み込んだ。


 前から後ろから板挟みされ、行きたくもない場所へ行けと言われたタイラーは帰宅して酒をあおれば、辞めてやろうかと内心本気で毒づいていた。そんなことをしても引き継ぎの仕事だなんだと増えるだけで、良いことは一つもない。シーザーが望めば、誘われた地へは有無を言わせず連れていかれるかもしれない。出奔してしまおうかと愚かなことまで考える始末に、タイラーは自分の思考のろくでもなさを笑うしかなかった。

 本当に、夜中に一人笑い。転げて。しばし泣いた。


 朝になれば、大人げないことをしている余裕はない。

 一週間以内に、下準備と契約の二つの仕事をこなし、さらに翌月に向けての提案や地味な営業も欠かせない。二週間の休暇を言い渡されたタイラーに考える余裕はなかった。

 シーザーとの取引当日、サインを終えて、ほっとしたのもつかの間、手渡されたのは、飛行機のチケットだった。引き返せないように外堀が埋められていく。

 上司からも、最大限の出張扱いと残りは有休で埋めるように手筈が整えられる。土地取引に関する事案も兼ねていると知っているので、こちらがどう出ようとも、お構いなしだ。

 仕事を心底辞めたいと思った。家に帰れば、煽る酒量が増えていた。


 明後日には、海辺の街へ行かなくてはいけない。仕事へ向かう足取りも、帰宅する足取りも、両足に鉛か鉄の球体を引いているかのように重い。

 そんな、帰宅時だった。

「タイラー。タイラーね」  

 呼び止められた声がアンリに似ており、心臓が跳ねた。年配の女性が立っていた。少し老いたアンリを思わせる容貌。アンリの母であるとタイラーはすぐに分かった。

「元気にしてた。あれ以来、連絡もできなかったけど……」


 なぜこうも急激に迫ってくるのだろう。悪いことは重なるとは聞くが、それがなぜ今なんだ。タイラーは、心底もう逃げることはできないのかと観念し、空を見上げた。


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