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「分離が始まったのね」

 神妙な面持ちで、ロビンが浮き輪を強くつかむ。


「泡しか見えないな」

 タイラーは彼女が楽なように背を支えながら浮く。大きな波に左右に翻弄される。波音に、泡が発生するざわめきが混ざり始めた。


「じっとしているのもつらいな」

「そうね。分離が終わるまで、待つしかないわ」

 高い波が寄せ、その動きにあわせるしかない。水飛沫みずしぶきは容赦なくふりかかる。


「浮いているだけでも辛いでしょう」

「そうねえ」


 泡が高くもりあがっていく。月明かりに照らされて白い気泡が重なりあえば、真っ白いマシュマロのような陸地となる。幼児であれば歓喜しそうな、見た目だけは甘ったるい塊がどんどんもりあがっていく。


「俺はあそこまで泳ぐのか……」

「まだよ。竜が完全に分離してからなの」


「クリームか綿菓子に飛び込むようだ。体中べとつくんじゃないかと恐ろしいよ」

 ふっとロビンがふきだした。

「タイラー、こんな時になによ。笑わせないでくれない」


「緊張しているね」

「どうして」

「軽口は君の専売特許だ。俺に奪われているようじゃあね」


 ロビンは目をぱちくりする。

「確かにそうかもしれないわ」

 盛り上がる泡玉へと彼女は目をやる。

「ここまで緊張する状況に、私は置かれたことがない。尽きる命をかけて冒険一つ経験できるなんて……、なんて贅沢なことかしら」


 逸る気持ちを抑えて、波に翻弄されながら状況を見定める。強い波が続く。タイラーはロビンの体を支え続けた。


 海底で噴火が起こったかのように、泡で作られた小島が表出した。その背後に大きな影がそそり立つ。月明かりに照らされて、表面に散る水滴がキラキラとオーラのように光を放つ。煌々と青く輝く姿態から、ぶわっとリバイアサンの頭部がもたげあがった。


 視覚的には泡の表出も竜の出現もゆるゆるとした動作なのに、波から伝わる揺れは大きく、どれだけ大きなものが眼前でうごめいているのか計り知れない。


 竜が泡へとその両眼をおろす。その自愛深い瞳が泡のなかに残されたアンリに礼をし、惜しむような素振りをみせた。タイラーの錯覚かもしれない。


 リバイアサンは知性が高い。アンリと話し合った彼女も首謀者の一人と数えられる。


 巨体を誇る竜が奔放に動けば高波が起こる。そんな波に襲われればひとたまりもない。まるで人間の弱さを理解するようにリバイアサンは緩徐かんじょに動く。


 もたげた頭を泡玉にすり寄せる。ふいっと顔を動かせば、押し流される。波をかき分けながら泡玉が近づいてきた。竜はゆるゆると海中へ沈む。


「行きますね」

「いってらっしゃい」

 タイラーはロビンから離れた。腕をかいて少し進む。ロビンから距離がとれたと判断し、足を動かし、泡へ向かって泳ぎ始めた。


 泡はふわふわと漂い近づく。白い大きな泡玉を構成する気泡が確認できる。大小さまざまな泡が濃密に絡みあっている。表層の泡がプチンプチンと弾け割れ、泡玉は徐々に小さくなる兆しを見せていた。


 大きく息を吸い込み、歯を食いしばった。あの泡のなかに潜むアンリを取り戻す。その目的のためにタイラーは泡へと迷いなく飛び込んだ。

 

 世界は真っ白になった。


 もがいた。

 

 泡のなかで顔を左右に動かせば、泡がまとわりく。髪に、まつ毛に付着した小さな気泡は左右に顔を動かすたびに割れる付着するを繰り返す。


 そんな小さな泡でも、アンリの一部かもしれない。動けば彼女を壊すのではないかとタイラーは焦る。


 アンリの姿を思い描く。


 何度も心の中で、アンリと名を叫んだ。

 

 呼びかけに答えるように、ふわっと手が伸びてきた。


 白い指先をつかんだ。


 引き寄せると、栗色の長い髪を揺らめかす、年若いアンリが現われた。


 タイラーは驚喜した。海上に顔を出していたら、号泣していたであろう。


 アンリは微笑んでいた。満足そうにタイラーの目には映った。


 ここまできた。そして、これからだ。


 タイラーは彼女を抱き寄せた。


 白い泡のなかで、アンリのぬくもりをしっかりと捕まえた。


 泡がざざっと引いていった。消え去った泡が海上に逃げたのか、海底に沈んだのか。ただよう二人にはわかりようない。


 互いに黒々とした海中に浮遊しているとは瞬時に悟る。


 竜が巨体をくねらせていた。


 シーザーの船底がこの葉のように小さい。竜の巨大さだけが強調される海中で、他の魚たちもリバイアサンを避け、これから起こるであろう竜のショーを見学する観衆のように取り巻いていた。


 女王たるリバイアサンの一挙手一投足を固唾をのんで見守る。


 海洋生物、人間しかり、その造形美の前には、ひれ伏すのみである。


 豆粒のようロビンが海底に沈んでいこうとしていた。少女は生贄のように儀式の時を待つ。その身をリバイアサンがそっとその腹で受け止めようとしていた。


 タイラーは服を着たままの重いアンリを抱えて、海上にあがろうと海水をかいた。リバイアサンの動きはどうあれ、海上にあがり、シーザーの船へと戻りたい。


 顔を出せば、きっと彼なら見つけてくれるだろう。タイラーはシーザーを信頼していた。


 その時、リバイアサンが大きな口を開けて迫ってきた。

 

 肉食ではないはずだ。海藻やプランクトンを食べる竜だ。理性が言い聞かせても、本能が恐怖した。


 ――食べられる。


 脳裏に浮かんだ言葉と同時に、タイラーはアンリを抱き寄せ両目をつぶった。

 

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