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33,

 ずぶ濡れになり一人で宿に戻ってきたことを、老女は驚かなかった。海水と砂にまみれたタイラーにシャワーを浴びるように勧める。熱い湯に打たれながら、こびりついた砂を流した。

 さっぱりして着替え終え、水場を出ると、老女に声をかけられた。


「熱いお茶ぁ、飲むかぁ」

 ふぉふぉふぉと声をあげず、口元のみ動かし笑う。

「いただきます」


 聞きたいことが山ほどあった。居間へ導かれて、ローテーブルに向かい座る。差し出されたカップを両手で包む。注がれているお茶は熱かった。立ち上る湯気を吸いこめば、肺があたたかくなり安らいだ。


「海ぃ、帰ったんだなぁ」

 なにも答えないことが肯定となる。

「迎えにいかなぁいけんなぁ」


「明日、ロビンを連れて、海の上に来てほしいと言われました」

 老女が熱い茶をすする。

「あなたに聞きたいことがあります。教えていただけますか」


 老女は目を細め、しわくちゃの顔にさらに深いしわを刻み笑む。タイラーは老女のペースに合わせて、教えを乞うた。

 たどたどしい老女の物語を脳内でタイラーは要約する。


 リバイアサンと同化した娘を人魚姫と呼び、海へ近づけない風習は、海水に沈むと竜に戻ってしまう現象に由来する。せっかく生き残るため同化したのに死んでは意味がない。水中では有利な水生物に戻り、存生ぞんじょうを優先させていると島では理解されている。


 海でリバイアサンへ変容すると陸へはほぼ戻ってはこない。竜としての生きる道を選んだに等しく、古くは貴族から逃げ出した娘達がよく海に身を投げていたそうだ。


 リバイアサンと人間の共生には限りがある。竜が癒され人間と分離する時、大量の泡が発生する。海中で放出された泡から竜が逃れ、巨大な泡玉が残る。その泡玉が海水へと溶けだしてしまえば、泡に残された人間は姿形戻ることなく泡のまま消えてしまう。


 貴族から逃れた娘たちは、そのように泡と消える道を選んだのだろう。


 島では、時期が来るまで娘たちは各家で大事にかくまわれる。髪が常時濡れそぼるようになると、リバイアサンとの分離が近いことを示す。天候が良い日を選び、娘を沖へ船で連れて行く。


 その時、必ず家族や恋人が船にのる。

 泡玉のまま海で漂い溶けてしまう前に、愛する者が手を伸ばし分離した娘を泡の中から引き上げるのだ。誰でもいいわけではない。人間の姿を知る、娘を想う者がいてこそ人間に戻れるのだという。


「俺が彼女をその泡の中から救い出せばいいんだな」

 覚悟を込めて噛みしめる。

 

「わしわぁは、母が迎えてぇくれぇたぁ」

「母親でもいいのですか」


 老女は震える指を二本折り曲げて、三という数字を示す。

「わしゃあ、三回だぁ」

「三回……同化したということですか」

 ゆっくりと首を縦に振る。

「二度目はぁ、夫。三度目はぁ、子どもだぁ」

 詳しいわけだとタイラーは合点する。


「三年前に髪が栗色のアンリという女性がきたと思います。覚えていますか」

「ああぁぁ」

「あなたは、俺と連れ立ってきた青い髪の少女が、三年前にきた女性と同一人物だと見抜かれていましたね」

 老女はにぃっと綻ぶ。

「ああぁ」


「あんたと似てるよぉ」

「俺と……」

「じぃくりぃ、話をきくぅぅ」

 老女が破顔する。

「似合いじゃぁ」

 だしぬけに言われた一言に虚を突かれ、じわっと似合いという言葉の意味が浸透するなり、少年のように照れてしまう。そんなタイラーを見つめて、ニコニコする老女は茶をすすった。


 老女との会話から、アンリが懇願した内容を再確認する。老女に礼を告げ、部屋へと戻った。そのまま電気もつけず、ベッドへと身を投げる。

 明日は長い一日になるかもしれないと腹をくくった。

「まさか一人で泊まることになるとはなあ……」

 つぶやくうちに意識がすううと眠りの世界へ溶けていった。


 タイラーは夢を見ることなく朝を迎えた。窓辺に立つと太陽はすでに高く、陽光に照らされた海がキラキラと輝いていた。昼近くまで寝入っていたと気づく。着替え部屋を出ると、廊下や各部屋を掃除している老女に会う。朝とも昼とも言える挨拶を交わした。朝ご飯はローテーブルに用意していると言われ、ありがたく頂戴する。昼ごはんと兼用だなと思いながら頬張った。


 海辺の街への定期船は昼過ぎに出港する。食べ終え、食器をシンクへ片づけて部屋に戻った。アンリの荷物も含めて荷造りする。二人分の荷物を持ち宿を出た。


「色々教えていただき、ありがとうございます」

「またぁ、二人で、おいでぇ」

 玄関先で、目を細めて老女はタイラーを送り出した。

 離れてからもう一度振り向くと、まだタイラーを見つめいる。もう一度会釈し、定期船へと向かった。

 

 乗りこんだ船で出発を待つ間、一人で戻ることになった経緯に思いを馳せる。片割れがいないことが寂しかった。帰りに捨てようと思っていたリングが、事情も推し量らず胸で密やかに揺れる。


 船が出港し、波を漕いで進む。白い小さな泡が船横を流れ消える。空を飛びまわる海鳥が、甲高い声で鳴く。


 この街にきた時は今この瞬間にリングを捨てようと考えていたと、タイラーは追想する。

 思い出をリングとともに海の藻屑とし、人生の門出にする予定だった。愛した少女と一緒に人魚島へと旅立てば、奇しくも彼女こそ焦がれていた女性自身だったとは……。


 穏やかに現状を受け止めていることが不思議だった。迎えに行くと決意すれば、後は彼女が望む行動を選択するだけだ。もう一度迎えに行く。愛していると告げる。


 甘えたかったというアンリの望みを叶えてあげれるほど、この三年で成長したのだと思えば、感慨深い。苦しんだ三年が報われたようでもある。

 おなじ女性に二度恋をする。贅沢な気さえしてきた。


 捨てるはずのリングの行方は決まった。

 必ずアンリに渡そう。タイラーは誓いを立てた。


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