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 人間と竜種の歴史は長い。有史以前にさかのぼるその歴史は血塗られた茨の道程である。人が竜に喰われ、人が竜を滅ぼす歴史だ。数多の衝突が生じたのは、人間が竜の領域を荒らすことによる無益な戦いであったと判明したのは数百年前。それでも竜を恐れ迫害する思想が長らく根を張り、竜に対する誤解や誤認は人類から払拭されることはなく、正しい知識が一般化するまでも数百年を要した。時に、竜について調べようとする研究者さえ、人間の敵のように扱われ殺されてきた歴史もある。

 竜の研究者が一つの職業として表立って認知されるようになったのも、ここ数十年のことであった。


 アンリは、数ある竜種のうち海を生息域とするリバイアサンを研究対象としている。


 火山帯に住むサラマンダーや翼が特徴的なワイバーン、ジャングルなどの森の奥に住むジャバウォックやバジリスク、ヒュドラあたりは地上や空に住む竜種の有名どころだ。亜種何種か絶滅しているものの、現在まで生き残り、保護対象種含め、人間との共生が望まれている。


 リバイアサンは海を生息域としており、いまだ生態が不明確な部分も多い。盛んに目撃例があがる海域や島にアンリは飛んでいくことも多く、出張とはつまり、リバイアサンの目撃可能な地域へ足を運ぶことなのである。


「なにか心配事でもあるの」


 手を止めたまま、動かなくなってしまったアンリ。タイラーはじっと彼女の言葉を待つ。帰り道と違い、時間はいつまでもある。言いにくいことを避けて、どう説明したらいいか、迷っているのだろう。彼女の用意してくれたほどよい酸味のトマトソースのパスタを食べながら、タイラーはせかすことなく、待ち続ける。


「気になる地域があるの」

 いつまでも動かないでいたアンリがやっとフォークを動かし始める。ナスとベーコンを手元で遊ぶように一つ二つと刺す。

「頻繁ではないのだけど、浅瀬に近いところまで来るらしいの。ただ、どうもそこはリバイアサンを食べることに変わった伝承があるのよね」


「竜を食べるなんて珍しくはないだろう」

 フォークを口に運びながらタイラーはアンリに問う。空腹にはかなわない、彼女の話を聞くにしても、お腹を満たしてからだ。


 竜を食べる地域はそこここにある。大きな生物ゆえに、一頭狩れば貴重なたんぱく源になる。大人しく警戒心の低い竜の中には、早々に絶滅した種もあった。狩るとなると、徹底的に狩りつくす人間が絶滅させた種は何例かすぐ思いつく。

 今でも竜を食べる地域と食べない地域、保護と共生の視点も交えて、答えのない論議が繰り返されている。


「そうなのよ。珍しくないの。

 ただ、その地域にある伝承がね……」

 言いにくそうに口ごもるアンリ。

「地域ごとに違えど、伝承なんてよくあるものじゃないか」

「そうなんだけど。その地域だけちょっと変わっていて、

 リバイアサンの肉を食べるとね」再び、ぴたりとアンリの手が止まる。「不死になるんですって。死なないってことよ。ありえないでしょ」

 身を乗り出すアンリの発した言葉とその意味も含めて、タイラーは驚いた。


「それはまた……、大きな絵空事だね」

 竜を食べて不死になるなら、すでに人類の半分以上が死ななくて困っていることだろう。


「タイラーのように、絵空事と笑ってもらえればいいんだけどね」ため息をつきながらアンリは座りなおす。「研究者の端くれなら、リバイアサンを食べるチャンスもあるけど、普通の肉だったわ。所詮、ただの竜の肉なのよ。

 それでも、そんな伝承があれば、真に受けるというか。やっぱり、魅力的なんじゃないかしら、その不死という響きが……」

 いつもなら、相槌を打つ間もないほど語り出す彼女の様子がかんばしくなく、アンリの歯切れが悪い。タイラーは、食べ終わったフォークを皿にのせた。


 アンリが考えながら少しずつ食べ始める。考えに没入しているようで、視線がテーブルのあらぬ方を向いている。

 最初からお皿に寄せる量も違う。食べる速さも違う。一口が小動物のようだ。

 タイラーは皿を横に退いて、片肘をつき、アンリを眺める。

 

 リバイアサンは成獣こそ目撃例が絶えないものの、主たる生息域や繁殖方法がいまだはっきりしない。陸地と違い、深海など前人未踏な領域が多く、調べが及ばず、研究が滞りがちとなっている。陸の孤島に生息する古竜の原型をとどめる新種の竜の方が調べやすく、追い抜くように生態があきらかになっていく。

 伝承研究。他の竜の先行研究。照らし合わせながらも、海が生息空間にあたるため、魚類の研究も交えて、手探りが続いている。タイラーはアンリのそばにいて、その難しさを理解はした。

 細かく複雑なパズルピースを組み立てることにアンリがどれほどの情熱をもって続けているか、出会った時からいまだ続く、リバイアサンへの好奇心にタイラーは尊敬の念を覚える。彼にはそこまでの情熱を感じる事柄と出会ったことはなかった。


 食べ終えたアンリがお皿にフォークを置き、意を決するように話し始めた。

「密漁の可能性もあるかもとね。疑っているだけよ。

 その地域があからさまに竜を食べる地域ではなくとも、そのような伝承に惹かれて、食べたくなる外の人間はどこにでもいるのよ。

 調査で捕獲したり、一定数狩るようなことは定期的に行われるのは、生態を調べるうえでも必要なことだわ。

 密猟は乱獲につながり、種の存続にかかわる。それだけよ、心配事なんて」


「研究者である君が、悩ましく思う気持ちも分かるが、仕事の領分から幾ばくかはなれるんじゃないかな」

「タイラーの言う通りよ。私の出る幕はないわ。リバイアサンについてのアドバイザーにしかなれないわ。どちらにしろ、行ってみないとわからないこともあるし。どうしても行かなくてはいけない理由もあるのよ」


 食べ終えたアンリのお皿を手元に寄せて、タイラーは自分の皿に重ねた。食べ終えた皿を持って台所へ向かう。アンリが食事を作ったのなら、片づけ洗うのはタイラーの役割になる。キッチンペーパーでフライパンとお皿に残るトマトソースをふき取り、シンクに置いた皿に、パスタをゆでた後のぬめりが残るお湯を流しかけた。残ったお湯をフライパンに注ぎ、空になった鍋から洗っていく。

 

 背中にすり寄る人の感触を得て、タイラーは止まった。

「タイラー。

 今回ね、小島へ行くの。

 定期船が一日一往復しかないの」

 背に指を触れてきたアンリの手が、タイラーの腰回りを抱きしめ、背中に彼女の頬が触れた。

「いつ戻れるのか、約束できなかったのよ」

「気にしなくていいよ」

「そう……」

 彼女が離れ、「シャワー浴びてくるわ」と居間から去って行った。


 リバイアサンの心配ばかりしていたわけではなく、しばらく会えないことにも何か思うところがある歯切れの悪さだったのだろうか。そんなそぶりをみせてくれるアンリを、タイラーは愛おしいと思わずにはいられなかった。

 

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