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宿の部屋を出て玄関へ向かう途中、老女がふと横の部屋から顔を出し、二人をお茶に誘った。島の詳細やアンリの動向でなにか聞ければと思い、タイラーはソニアとともにご相伴にあずかることにした。
老女の話はたどたどしく、記憶もまだらで難解だった。果物売りの女性の助言通り、アンリがこの宿を利用したとは理解できた。滞在中、高台にある展望台へ行き、海辺の洞窟にも足を運んだという。
亡くなった恋人とのほのかな邂逅にしんみりするタイラーの背を、呼応するようにソニアがそっとさすった。
太陽が昇っている間に足跡をたどるため、新しい恋人と一緒に宿を後にする。老女は、二人が戻るまでには夕食を用意しておくと送り出してくれた。
街のようにグネグネと入り組んでいない、まっすぐな坂道は道幅もそれなりにあり、歩きやすかった。閑静な住宅地が続く。
ソニアを見て驚く人もいなくなった。島にしかいないはずの髪色の娘が、街からきたというインパクトが大きかったのかもしれない。
平屋の家屋に広々とした庭。田舎風情ある島の定番家屋の方が、庶民のタイラーには別荘向きな気がした。庭には複数の果実の木が植わっている。
近所の子どもが集まり木登りをしながら、やいのやいのと果実を採り、食べていた。草をむしる老人とむしられた草を集める幼児のやりとりも微笑ましい。とある家の縁側で、たたずむ青い髪の娘がぼんやりと空を見上げていた。ソニアと同色の髪を後ろで結わえている。
いるとは聞いていたものの、発見し驚き唸った。
高台まで到達した。真正面に海辺の街が見えた。山がそびえ、キラリキラリと陽光を反射するのは線路だ。駅はくっきりと見えた。駅より上が家屋もまばらな別荘地。下には数日出歩き楽しんだ海辺の街。
動く精巧なミニチュア模型として、おとぎ話の海辺の街を、再現したかのようだ。あの入り組んだ道さえ、古い権力者が連れてきた建築士が作り出した都市デザインなのかもしれない。観光には十分な資源がある。この島の高台さえ、名所になりそうだ。
海岸沿いの倉庫、港には無数の小舟が停泊し、漁業が盛んなことをものがたる。海に出ている船もあり、漁にいそしんでいる。食材が新鮮で美味いのも魅力的だ。
ふと仕事に思考をとられ、やれやれとタイラーは頭に手をのせる。仕事が好きで、その話題にことかかないアンリのような自分がいた。
「どうしたの」
「いや……、仕事のことを考えてさ。昔の恋人みたいな自分がいるなって思っただけ……」
「そんなに仕事好きな女性だったの」
「すごく熱心で、情熱的に好きなことに没頭する女性だったんだ」
「へー……」
「男でも、憧れる仕事ぶりだったよ」
失った恋人の足取りを追うなかで、自分のなかに彼女のような一面を認める。それは彼女と共に過ごした時間の証であり、彼女が残してくれた遺品のように感じられた。
展望台を下りる最中、髪を濡らす女性たちとすれ違った。脇に桶をかかえ、ちらりと見ると、大ぶりの貝類が入っていた。女性たちの一団から一人が別れ、とある平屋の門をくぐると、「母ちゃん、お帰り」という子どもの声が飛んできた。
のぼってきた道を下っていく。続いて、海岸線を歩く。宿の前の砂浜を通り過ぎて、さらに奥へと進む。海辺の洞窟へと向かった。
想像以上に大きな空間がぽっかりとあいていた。それなりの大きさの漁船が出入りできそうな出入り口が海へと開いている。天井にあたる岸壁の一部が割れて、光が差し込む。明度の高い海面に反射すれば、空気を真っ青に染め上げ、幻想的な空間を生み出していた。
「これはすごいな」
感嘆したタイラーに、ソニアがほほ笑む。
「本当ね……」
「こんな空間は……、なかなか見れるものじゃあないな」
「そうね。あなたと一緒に見ることができて、うれしいわ」
二人しばし、洞窟の青に吸い込まれるように魅入られていた。
海辺の洞窟を出る頃には、日暮れ時を迎えていた。群青に色づく空。赤く染まる太陽が水平線に吸い込まれるように近づいていく。太陽の赤と空の青がぶつかる際は紫ともオレンジともいえる色の層を重ね、その色合いは一歩足を進めるごとに変わりゆくようであった。自然が紡ぐ情景に言葉もなく、黄昏時を惜しむ歩調で宿へと向かう。
宿につく頃には、水平線に吸い込まれた太陽の残像が赤々と今日を恋う最後の灯をともしている。空は青を通り越し紫に染まる。海は大きな鏡のように、契りを交わす空を映しこむ。薄暮のひと時を通り抜け、二人は宿へと帰り着いた。
宿につくと、夕飯がもうすぐ出来上がると老女から声がかかった。すぐ行きますと部屋へ戻り一息つく。
「今日はつき合わせてしまったね」
「楽しかったわ」
「そう言ってもらえると、ほっとするよ」
二段ベッドが壁際に二つ並んでおり、下段に寝床がしつらえてあった。寝台が四人分あるので、本来は四人部屋なのだろう。
「これは下で寝てほしいということだな」
「おばあさんだもの上にはもう手が届かないのね」
寝床がシングルベッドよりこころもち小さいサイズと確認して、居間へと向かう。ローテーブルに魚介の多い家庭的な郷土料理が並ぶ。テーブルやいすはない。ローテーブルでは足腰に悪いのではないかと思えば、老女は低いスツールを寄せてきて、座った。
新鮮で素材が良いので、どのおかずを口にしてもそれなりに美味しかった。
食べ終え、お茶をいただく。タイラーはほっと一息つき、老女の問うた。
「そういえば、島にはリバイアサンの不死伝説があるときいたことがあります。海竜を食べれば不死になる。そういう言い伝えは本当にありますか」
老女は目を細めて、ほっほっほっと笑う。
「リバァイアサンねえぇ、わしらは食べんからぁなあぁ」
「では、そのような不死伝説はやはり伝説でしかないんですね」
「不死にあぁならん。人は、時がきたぁらあぁ死ぬ」
ずずっと老女が茶をすする。ソニアは背筋を伸ばし、じっと耳を傾ける。タイラーは、茶が注がれたあたたかなカップを握りしめていた。
「そうですよね……。
竜を食べて不死になるなら、人類の半分は不死で困っているはず。始めて聞いた時、俺もそう言ってました。絵空事だと……」
「リバァイアサンはぁ、神じゃてぇ」
「神ですか。地域の守り神のようなものですかね」
「青い髪の娘は、姫こっじゃぁ」
「ひめこ?」
スカイブルーの髪の娘は目の前にいる。
「姫じゃぁけ。海に嫁られんよぉになぁぁ」
「姫……を、とる、ですか?」
「嫁られたらぁ……、帰らん。あわぁなる」
くわっと老女の両眼が開かれる。
「海ぃに近づけぇば、嫁られるぞぉ。あわぁぁしか、残らん。人魚姫じゃあぁ」
老女の生気がふぅぅっと抜けるように肩から力は抜けていく。夕食を作り、しゃべりすぎ疲れたのかもしれない。
ソニアが老女の肩を支える。
「すまんあぁ」
「いえ、気にしないで。良ければ、お皿は片づけますね」
「ありがとうぅ」
そうして、食べ終わった皿はシンクに運び、二人協力し洗った。




