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22,

「その女性のこと……、憶えている範囲で教えてくれませんか」

 タイラーの声は震えていた。

「知り合いかい」

 タイラーの顔色がんしょくを値踏みし、店主の女性は真顔になる。


「ええ……、はい……」

 目じりに力がこもり、眉間にもその緊張が流入する。タイラーはありありと自覚できるほど、苦渋の表情を浮かべていた。


「店の後ろにおいで。商売の合間に話すでいいかい」

「かまいません」


 タイラーは狭い店と店の間を通り、女性の後ろに立った。「そこの椅子に座ってな」と指示され、言われるまま木箱を裏返した椅子と呼ばれた物に腰をかける。目立たないように小さくなり、動揺している姿を誰にも見られないように、買い物袋を抱え込んだ。


 果物を並べた台に手をかけて、女性はタイラーに体を向けつつ、通路を通る人々へも気を配る。

「栗色のお嬢さんは、二日続けて果物を買いにきたんだ」


 店先に客の気配がすれば相手をし、商売の合間にタイラーに思い出せる範囲で、アンリのことを語る。記憶の紐を手繰り寄せ、語られる過去はたどたどしく、内容が前後し重複する。タイラーは頭の中で彼女の曖昧な話を再構成しながら、相槌を打ちつつ耳を傾けた。


 およその内容はこうだ。

 買い物にきたアンリに、女性がぽろりと「見慣れないだね」とこぼす。つてをたどってこの街へやってきた旅行者だとアンリが答えたのがきっかけで、話が弾んだ。アンリの目的地が人魚島だと分かると、そこには親戚がいると話題が広がり、詳しい話を聞かせてほしいと頼まれ、宿泊に関してタイラーへ教えたことと同じ内容を伝えたそうだ。


 若い女性だったので、「間違っても、誘われて漁船にはのるんじゃないよ」と忠告したとまで教えてくれた。「あんたは男だから、そこまでは言う必要はないだろ」と女性はあっけらかんと笑う。

 『男の一人でもつれていけないのかい』という余計な助言にも、『来てくれそうな人とはちょっとダメなのよ』と苦笑して答えていたそうだ。


 宿泊先についてもアドバイスしてくれていた。

「人魚島の親戚は、年寄でね。海際の家に一人で住んでいる。

 古くは家族もいたが、みなそれぞれ自立し一人になった。残った家だけは広くてね。宿泊する小部屋が数部屋あり、まだ現役で稼働しているんだよ。老女一人で切り盛りする宿に新規の客がつくわけもない。漁師も滅多に彼女の宿は利用しなくなった。それでも続けているのは、きっと昔からの習慣みたいなものだろうね。

 そのばあさんの家なら、安全に泊まれるよと伝えたんだ」


 そんなことがあったのかとタイラーはしんみりする。彼女一人で送り出さず、一緒に行ってあげればよかっただろうかと、無意味な後悔とともに打ちひしがれた。


 その後の話は、タイラーの記憶と一致する。事故があり、調査があり、名簿が公開され、その行方不明者名簿と写真の中に彼女がいた。名もその時、知ったそうだ。


 果物が入った袋を抱えて、片手を口元へ寄せる。アンリの最期の足跡とこんなところで出会うとは思わなかった。目頭が熱くなってきた。

 

 ここに彼女がいた。ちゃんと訪れて、目的を果たすために行動していた。親指と人差し指でこめかみを抑える。ぐっと急に近寄ってきた、アンリの死の匂いに胸苦しさを覚えた。

 タイラーは、ろうそくの火をふるふると震わせるか細い空気の対流を思わせる小さな小さな想いで、アンリの名を心底で呼び続けていた。

 胸が焼かれるように熱く、痛んだ。火傷のような痛みだった。


 不意にソニアの顔が瞼の裏に浮かび上がる。彼女のスカイブルーの髪が柔らかくなびき、艶やかな色と香りに包まれ、胸の奥が透いた。


 一人で行くには踏ん切りがつかない。そう言った彼女以上に、タイラーは一人で行くことが辛かったと自覚する。一緒に行ってくれることで救われているのは、まぎれもなく自分の方だった。タイラーは、ソニアの存在に焦がれるように感謝した。

 

 ソニアに好きだと伝えた。後悔はしていない。

 アンリも愛していた。彼女はもういない。

 ソニアとのひと時を楽しみ、真の目的であるアンリとの別れを忘れていたわけではない。

 あのさっぱりした女性は、いつまでもうじうじとしていることを望みはしない。これでいい、これでいいんだ。アンリがここにいたことをちゃんと確かめて、自分のなかでの区切りをつける。大丈夫だ、大丈夫。タイラーはじっとうずくまり、自分の底へと言い聞かせ続けた。


 店主の女性はうつむくタイラーをそっとして、客の相手に談笑し、店先の果物をさばき続ける。

 こらえる感情の波が落ち着くまでタイラーはじっとしていた。沸き立った感情が徐々に、凪いでゆく。深く息を吐きだした。吸って、もう一度深く吐く。


「……色々教えてくれて、ありがとうございます」

「いいよ。果物を買ってくれた礼と、これも何かの縁だろう。未だかつて記憶にない事故だった。誰もが、なぜと思ったよ。

 親族を亡くした知り合いもいる。あんたも偶然、その一人なんだろ」

「……はい」


 片手で両目を抑えて、うずくまった。タイラーの肩は震えた。深呼吸の末、取り繕った顔と感情は、もう一度崩れ去り、今度は声を殺して泣いた。アンリとの別れが、刻々と近づいてきているをひしひしと実感する。

 その別れを一人で迎えなくてすむ。それだけが、救いだった。


 ひとしきり、感情の整理をして、立ち上がった。

「お時間とお話ありがとうございます」

「いいさ。これも縁だと言ったろう」

 はははと女性は口を大きく分けて笑う。


 店の前を通る人々は、この店主の女性も含め、濃い薄いはあるも茶色い髪色ばかりだ。

「ソニアの髪色は、珍しいんですね」

 タイラーの口からはらりとこぼれたつぶやきに、店主の女性の手が止まる。

「そうだね」

 ゆっくり重々しく肯定する。


「人魚島には、同じ髪色の人がいると聞きました。行けば、あの髪色の人がたくさんいるんでしょうか」

「稀だよ。でもいる。

 青い髪の子は島の外には出さないのよ。昔からそういう習わしなんだ。

 こちらで暮らすソニアは珍しい子だよ」

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