21,
「ご飯にしよ」
抱擁されていたソニアが、か細い声でささやき、タイラーは腕をはなす。すわって食べて片付けるのも面倒な気がした。
「立ったまま食べるか」
「それはダメ」
ソニアが目をむく。
「ちゃんと座って」
促されるまま、そばのテーブル席にタイラーは座らされる。ソニアはキッチンに回り込み、朝食の準備を始めた。
「朝ご飯なら立ったままでもかまわなかったのに……」
「だめよ。ちゃんと座って食べないと」
告白してキスをしても、ソニアはソニアだった。いそいそと鍋からスープをよそい、スプーンをさし、運んでくる。一つはタイラーの前に置き、もう一つを隣に置いた。
「なによ」
照れ隠しか、睨むように見下された。かわいいなあとタイラーは目を細める。
「ロビンもいないし、気を使わないでよ」
二人きりだと思うと、おもむろに触れたくもなるが、我慢する。
「そんな気は使ってないわ」
ソニアも座った。昨日まで斜めむかえにいた彼女が隣にいる。
「……むかえより隣の方が近いし……」
ロビンがいないからこっちにいるのよ、それぐらいわかってよ。そんな無言の理解を求められているようだった。ソニアは、背を向け体を斜めにする。
タイラーは肘をついて、ソニアの青い髪を見つめた。撫でるだけなら許される範疇だろう。
「こっちむいてよ」
そうお願いしても、振りむいてくれないのは分かっていた。手を伸ばし、髪を撫でる。びくんとソニアの体が反応し、強張る。癖で髪をいじる。耳にかける。恥ずかしいがっている。いじらしい。露になった耳が紅色していた。
タイラーは手を引く。隣に、好きな人がいる。何年ぶりかなと思いをはせれば、口元がほころぶ。彼女が用意してくれたスープを口にする。薄味だった。野菜はたくさん入っている。肉も少し。ロビンが食べやすいように作っているのだと分かる。素っ気ないように見えて、ちゃんと優しい。彼女の思いやりが染みてくる。
「美味しいね」
彼女と居る空間に充満する空気さえ甘く感じられた。
朝食を終え、ソニアが片づけを始めると、タイラーは寝室へ戻った。財布をポケットに入れ、部屋を出て、玄関へと向かう。靴を履いていると、後ろから足音が響いてきた。
「待って、タイラー」
「買い物袋がないと不便なの。持っていって」
靴を履き終えて立ち上がったタイラーに、ソニアが手にしていた布袋を差し出してくる。受け取り、まじまじと見つめた。なぜと思うも、都会のスーパーとは違うんだなと、はたと気づく。
「昨日、ソニアも持ち歩いていたもんな」
「そう。ないと、きっと困るわ」
気づいて追いかけてくれた些細な優しさにうれしくなる。
「ありがとう」
はにかめば、ソニアの笑顔が華やぐ。
タイラーの手が伸びる。どこに触れようかと指先を震わせ惑う。スカイブルーの髪に触れたくて、前髪を手のひらでそっと上げた。彼女の瞳がふわっを浮き上がる。呆けた表情が幼げで可愛らしい。露になった額に唇を寄せた。感触も残らない、触れるようなぬくもりは、額にじわっと溶けたことだろう。
「行ってくるよ」
ソニアが額を抑え、なんとも言えない戸惑った顔で、首まで赤くしていた。
「……行って、らっしゃい」
外に出る。空を見上げたら、青かった。
いいなあとタイラーはしみじみと感じいる。小さい娘に触れて返す反応がいちいち愛おしくて、癖になりそうだ。
ソニアと歩いた道を進む。坂を下りる足取りは軽かった。昨日より疲労感が少ない。目的地への距離が分かった方が歩くのが楽になる。
広場に出た。その一角にひしめき合う露店が並ぶ。どこかの地域にみられる、祭りの夜店の雰囲気に近いだろうか。地産地消で、まわっているのだろうか。歩いているだけで、知らない街の一員になる錯覚は楽しい。
ソニアのように見回しながら、目当ての店を探し歩く。昨日話しかけた恰幅の良い果物を売る女性はすぐに見つかった。
「こんにちは」
「いらっしゃい、あら、昨日の……」
女性がまぶしそうに目を細める。
「覚えていてくれたんですね」
「まあねえ。見ない顔だし、あの子と一緒だったら、おぼえているよ」
「今日は、彼女に頼まれてお使いできました。果物を買いにきたんですが……」
果物は五種類ほど積まれていた。それぞれの商品に値段もついていない。その場の言い値なのかもしれない。タイラーは財布を取り出し、紙幣一枚と袋を女性に差し出した。
「勝手分からず、すいません。見繕てもらえると助かります」
そんな買い方をする人はいないのだろうか。女性は目を丸くして、笑いだした。
「ははは、そうだろうね。値段がない店も多い。なに、毎日来てたら分かるさ。だいたい相場ってもんがある。
大丈夫、見繕ってあげるよ。おまけも入れてあげるさ」
遠慮なく女性は紙幣と袋を受け取った。
紙幣をポケットにしまい込む。袋の口をあけると、果物を手にしては仕分けを繰り返し、袋に詰めていく。鮮やかな手さばきを見ながら、俺は女性に何げなく声をかけた。
「ところで、ソニアから聞いたんですけど、人魚島にお知り合いがいると……」
「ああ、人魚島には親戚がいるよ」
女性は果物を見つめ、手を動かしながら答える。
「今度、人魚島に行こうと思っていまして、往復便が一日一便と聞いてます。
その日のうちに戻るか、少し滞在するか決めかねているんです。仮に宿泊するなら、あそこには泊まれるような施設はあるのでしょうか」
「島には漁師が漁のため一時滞在したり、魚貝を買い付けていくこともある。海によっては帰れないだろ。宿泊する部屋を用意してある家もちらほらある。島の者に聞けば、すぐに教えてくれるよ。
旅行者も稀にいる。頼めば泊めてくれるさ」
「旅行者は稀ですか……」
「そうさね。こんな小さな海辺の街だ。そうそう旅行者は少ないよ。街の者が島へ、島の者が街へ、往復するなら、一日一往復で十分なのさ」
女性が袋を差し出してくる。果物がいっぱい入っていた。買いすぎたろうか、と少し不安になる。ソニアが人魚島に出かけ、家を空けるなら、買い置きがあっても無駄はないかと思いなおした。
「三年前の海難事故から、物好きが少し訪れるようになった気がするよねえ」
「三年前ですか」
シーザーもそんなことを言っていたとタイラーは思い出す。
「あの時、栗色の髪をしたお嬢さんと話したね。人魚島へ行くけど、宿泊施設があるか心配だと世間話になってね。気さくな印象の娘だったよ」
唐突に、アンリの話題が零れ落ちてきた。タイラーは背筋がぞくっとする。こんなところで、彼女の足跡に出会うとは思ってもいなかった。