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15、

 ソニアは斜め上を見て、考えあぐねるように口元へ手を寄せる。更に斜め下に視線を落とす。

 寄せては返す波の音に紛れて、心臓が異様な速さで鳴り響き、耳が痛むタイラーは口走ったと後悔していた。周到に外堀を埋め、イエスを得るための状況を作れていない。答えを求める時は、すでに答えは決している。イチかバチかなんてありえないと叫びたかった。説得は押し切るとは違う。説明が巧みでも結果はついてこない。何事も相手ありきなのだ。


 ソニアにぶつけたのは、自分と似ているという心象と、ソニアがアンリに似ているという印象だけで、まったくもって彼女自身を配慮していない。タイラーは愚かさに恥ずかしくなる。


「いや、いいいんだ。無理にとは……」

 自分から破る必要もない沈黙さえ破ろうとしていると気づき、タイラーは言いよどむ。


「そうね」

 タイラーの思考などつゆ知らずソニアがつぶやく。

「そろそろ、いい時期なのかしら」

 彼女が漏らした答えはタイラーが下した決断とよく似ていた。

 

 来た道を引き返す。下るより、登る方が辛かった。歩きなれてないからだろうとタイラーは考える。自分が年を取っていると言い訳できないのは、すいすいと歩く年配者が多いためだ。これでは軽い登山だなとタイラーは、眉をしかめて息をつく。

 軽い会話もできない、気の利かない男になっているなとタイラーは呆れ気味に自評する。


 広場に戻ると、人は少なくなっていた。店の数も減っている。お昼前だからだろうと短くなった影を見ながらタイラーは考えた。ソニアが、「店を見てくるから休んでいて」と言うので、その言葉に甘えた。見上げれば、まだ街はなだらかに続いている。タイラーはため息をついた。

 ソニアが買い物袋を提げて戻ってきて、その袋を受け取ると、二人また街を登り始める。

 

 もうすぐ駅や線路が見えてくるあたりまであがってきて、車庫の屋根が見えかけた時、ソニアがふと横道にそれる。

「こっちにきて。少し、休もう」

 疲れていたタイラーは素直にソニアについていった。


 大きくでこぼことした四角い石が敷き詰められた公園に入り込んだ。低層の木が茂り、心地よさそうな木陰がちらほらみられる。石と石の隙間から草が生え、黄色や薄紫の花も顔をのぞかせている。

 遊具はなく、ベンチが置かれているだけ。散歩にはいい場所だが、石のおうとつにより、子どもが遊ぶには不向き。街を見下ろすと、人魚島が浮かぶ海がよく見えた。景色を楽しむ場だなとタイラーは眺める。


 ソニアが、ベンチに腰をかけ、おいでと手招きした。

 タイラーはソニアの隣に一人分あけて座る。足を投げ出し、手荷物を握ったまま、足の間に垂らした。荷物が地面につき、手を離してもよさそうだったがタイラーは握ったまま、ソニアとの距離感をどうしたらいいものかと迷っていた。


 男とは勘違いしやすい生き物だ。自分が思う以上に距離を取っておいた方が安全なこともある。シーザーの手前、自分の立場、彼女の年齢、よく考えれば、人魚島へ誘うなど考えられないはずなのだ。冷静になればなるほど、変なことを口走ったと思わずにいられない。好かれて困ると言いふらしていた男が、実は、相当嫌われていたということは往々にしてあるのだ。


「人魚島、ここからよく一人で眺めていたの。あそこに行けば、自分のことが分かるかもしれない。それはね、ずっと分かっていたのよ」

 

 タイラーは黙ってソニアの話に耳を傾ける。


「ロビンが都市部の病院に行く間に、行けばよかったのだけど。一人で行くには、踏ん切りがつかなくて、時間だけが経ってしまったわ。

 彼女を言い訳にするのはずるいわね。きっと、怒られてしまうわ」


「ロビンを一人にはできないのでは」

 断るなら丁度いい理由だとタイラーは考える。考えておくと保留にするのも常套句だろう。なのに、ソニアは首を横に振った。


「もうすぐ旦那様も来るから、そしたら、ロビンも一人にならないでしょ。人魚島に行くのも、いい機会かもしれない……。

 バカみたいだけど、きっかけを待っていたのでしょうね」

  

 一人分あけておいた隙間をソニアが詰めてきた。タイラーの方が、恐れるように身を引く。

 ソニアが買い物袋に手を伸ばし、濃いオレンジ色の小さな柑橘系の果物を取り出した。


「ここまで来るの、大変だったでしょ。喉、乾かなかった」

「そう言えば……」

 喉が渇くより、ソニアが近づいた緊張感にタイラーは戸惑っていた。


「ちょっとだけ、食べよう」

 手で包んだ果物を顔のそばに寄せ、覗き込むように見せてくる。タイラーはそういうことをされると、男はすぐ勘違いするんだよと忠告したくなって、やめた。大袈裟にとらえたと思われ、呆れられても傷つきそうだった。


 笑んだソニアが身を引き、ベンチの背もたれにゆったりと座りなおす。その細い指先で丁寧に皮をむき始めた。半分ほど器用に皮をつなげたままむくと、ソニアはむき出しになった実を二つに割った。

 差し出そうとして、タイラーの手がふさがっていることに気づき、彼女の手が止まる。


「ソニア……、食べさせて」

 さすがにずるいなとタイラーも思った。袋から手を離そうと思えばできたのに、意識して強く袋の取っ手を握り締めている。なに言っているの自分で食べてよと返されても、冗談だよと言い返せる。安全なところで、女の子を試すなんて。それでも、ただただ、ソニアの反応が見たかった。


 彼女は手元の果実に視線を落とす。半分に割ったそれから一粒つまみあげる。

 細い指先が果実を運ぶ。自分が誘っておいて逃げるわけにもいかないタイラーは、差し出されたそれを口にした。

 噛むと果汁が口に広がり、甘酸っぱかった。


「美味しい?」

「……甘い」

 

 彼女が差し出す、もう一粒をタイラーが食むと、果肉が弾け、彼女の指先に果汁が散り、ひと雫つたい流れる。ソニアが唇を寄せ、果汁の雫をなめとった。

 もう一粒つまもうと果実に手をかける。海の香りをのせて潮風が吹く。ソニアの髪がなびいた。癖なのか、なびいた髪を邪魔そうに耳にかけようとして、手が止まる。

 指先に果汁がついていると気づいたのかもしれない。

 そう察したタイラーは片手を荷物から離す。その空いた手で、ソニアの代わりに、流れた髪に触れ、彼女の耳にかけた。

 ソニアがタイラーを見つめ、驚いた表情を見せた。


「もうひとつ、欲しい」

 タイラーはねだった。


 再度、差し出された一粒が唇に触れ、口内に放り入れられる時、その指先の第一関節まで食べてしまいたかった。


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