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 平日の仕事帰り、タイラーは恋人のアンリと、カフェで待ち合わせる。入店し、テーブル席を見渡すも、彼女らしき人影は見当たらない。仕事が長引いていると、容易に察しがつく。スモールサイズのコーヒーを注文し、ガラス越しに通りを眺められる丸いテーブル席に座った。日が暮れた時間帯、帰宅する人々が足早に通り過ぎてゆく。


 カップに手を添えて、ため息をつくタイラー・ダラスは恋人のアンリエット・ファーマンへのプロポーズをいまだ果たせずにいた。


 椅子の背もたれに体を預け、ポケットへ無造作に手を突っ込んだ。引き出した小箱をテーブルの上にあげられもせず、握ったまま太ももにのせた。大きな手に握りしめる小箱の中身はリングだ。見なくても分かるものの、カップに添えていた手をはなし、そっと開けて確認せずにはいられなかった。


 小箱にはプロポーズリングが一つ。

 婚約指輪を先に買って怒られた同僚の話から、プロポーズの際は形だけでもと思い用意した。先走って婚約指輪を購入し、あからさまに嫌な顔は向けられなくても、苦笑いされれば、彼女以上に傷つく自分をタイラーは強く自覚していた。


 リングを見つめては、これで良かったのかと今だ後悔を行ったり来たり繰り返す。所詮それが『結婚してほしい』というセリフを言い出せない迷いと混同され、増長した感情であることはうすうす分かっていても、迷い悩むループへ浸り、先延ばしを続ける自分を、タイラーは止めることができなかった。


 ガラス越しに夜空を見上げて、うつむく。頭の中で『結婚してほしい』『生涯、一緒にいてほしい』『幸せにするから、この指輪をうけとってください』、セリフが浮かんでは消えていった。

 もう一度ため息を吐いた。冷めつつあるカップに手を添える。口元へ運べば、かぐわしい香りが鼻孔を通り抜け、気持ちを幾ばくか慰めた。


 ガラスの向こうで、行きかう人々をぬいながら直進する小柄な人影が、蝶のようにくるりと旋回した。片手の平を顔に垂直に寄せ、一礼すると、また前を見て走り出す。


 肩にかけた大きなベージュのカバンが重そうだ。アンリの服装はシンプルで、いつも動きやすさを重視している。ヒールのない靴を履き、飾り気のないシャツにパンツ。寒さしのぎのコートは肩に羽織り、裾をひらめかせる。身長は平均よりも少し低く、栗色の髪を肩ほどまで伸ばしている。淡い緑の瞳が印象的だ。


 人ごみのなかに紛れても、アンリの姿をみつけることができる。そういう時に、タイラーは自分が彼女を愛していると意識できた。


 目が合ったタイラーに、嬉しそうにほほ笑んだ。無邪気に駆け寄ってくる彼女を愛らしいとタイラーは常思う。

 幼少期から水泳を習っていたタイラーはしっかりした体は作られているものの、頭脳は平均的であり、仕事もまあまあ。いくつか受けた就職先で内定をもらえた会社に滑り込み、一度の転職を経て、今の会社に営業として落ち着いていた。成績はこれまた学業の成績と同じく中の上というところであり、集団に入るとどうしてこうも似通ったポジションに落ち着くものかと思うほどだった。


 仕事にプライベートに楽し気に過ごすアンリが、どうしてこんな特徴のない冴えない男のそばにいつまでもいてくれるのかと不思議でならない。

 ひらひらと手を振りアンリに答えるタイラーは残ったコーヒーを飲み干した。


 タイラーが『愛している。結婚してほしい』『生涯を共にしたい』そんな言葉を、伝えたくなったのは、付き合いも八年という長さになり、共通の友人から届く結婚の知らせや、招待状が重なるようになってきたためだった。なにも言わないアンリが結婚を望んでいるのか、いないのか分からないなかでも、自分が切り出さねば、誰が切り出すのだと、半分言い聞かせるように準備した。


 しかしながら、今日もタイラーより遅くまで仕事に取り組んでいるアンリに『今は仕事が恋人なの。結婚なんて考えられないわ』と言い切られてしまえば、終わる。


 タイラーはそっとポケットに小箱をしまい込んだ。

 むなしいかな。アンリを前にすると、やっぱり明日にしようと怖気付いてしまう。


 熱意を持って仕事に取り組むアンリ。明るく、人懐っこく笑う彼女に誰もが声をかけそうに思うのは、欲目なのだろうとタイラーも思う。

 アンリと一緒にいたい気持ちと、それを拒否される不安と、結婚という制約がなければいずれは自分が捨てられるのではないかという疑いが入り混じりながら、プロポーズを断られれば後がないのだという緊迫感にかられ、先延ばしをすることで誤魔化すばかりだった。

 臆病で、勇気もない。こんな男のどこがいいんだとタイラーはアンリに聞きたくなる。


 席を立ったタイラーはガラス越しに彼女と向き合った。肩まで伸びた栗色の髪を邪魔そうに、耳にかけなおす。ガラスに手を伸ばして触れると、アンリもその指先を近づけた。触れれそうで触れれない冷たい感触。

 笑顔を向けてくれるアンリの額には走ってきた証拠の汗がにじむ。


 まっててと口元を動かしたタイラーに、分かったと同じく口を動かしアンリも店の入り口まで歩き始めた。

 コーヒーカップをそのままに店外へ出る。


『これからも俺についてきてほしい』

 そんなセリフを言える男らしさを持ち合わせていられたら、どんなにいいだろう。タイラーは自分の意気地のなさに笑うしかなかった。


お読みいただきありがとうございます。


40話10万字の新作投稿始めます。最終話まで予約投稿済みです。

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