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虫食い姫は隣国の王太子殿下から逃れたい。  作者: 幽八花あかね
隣国の王太子殿下から逃れたい。1章
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08. 地に落ちた好感度、償いの治癒魔法 「悪趣味ですね」

※シリアス回


 

「ッ!」


 明らかに、サイードは傷痕を見て怯んだ。オレンジ色の瞳を大きく見開き、後ずさってエリエノールの前髪からぱっと手を離す。気まずそうに目を逸らされた。


(分かってたけどさ。自分でも、醜いって思ってたけど……)


 他人のそんな反応を見ると、ひどく胸が痛んだ。やはり自分は醜いのだと、そう思った。


(分かってたけど、分かってたはずなのに……)


 分かっていても、いざ気味悪がられると辛い。こうなるのが嫌だったから、今まで髪で傷痕を隠していたのだ。別にこんなことで泣こうと思っていたわけではなかったのに、目からはぽろりと涙が落ちた。


(泣くな、自分。泣くな)


 泣きたくないのに涙は落ちる。きっと自分の惨めな過去を暴かれた悔しさと、自分が醜い事を再確認してしまったことのせいだ。恐怖のせいも相まって、もう限界だった。


(もうこれ以上、傷つきたくないな)


「……そんなに、人の傷痕がご覧になりたかったのですか? 悪趣味ですね」


 相手は王太子だと分かっていながら、口は嫌味を吐いた。不敬にあたるかもしれない。でも、こうして嫌味を言わなければもっと惨めになる気がしたのだ。


 涙を流し続けるのも惨めだから止めたいと思うのに、なかなか止まってくれない。

 暴力を振るわれていた過去など、わざわざ人に知られて嬉しいものではない。醜いところはできるだけ人には見せたくない。そんなくだらない虚栄心だった。


 でも、もうどうでもいいかもしれない。実際に傷があるのを見られてしまったのだから、もうどうしようもない。そんなに人の傷のことが知りたいのなら、言ってやろう。諦めたように、淡々と。


「これは、義姉に殴られたときの傷痕です。身体強化魔法をかけた拳で殴られ、彼女がつけていた指輪の装飾が肉を抉っていきました。その際血と皮膚――」


「もう、それ以上言うな」


 サイードが、傷がつけられた経緯について語るエリエノールの言葉を止める。彼からの質問の答えなのに、それを最後まで聞かないなんて自分勝手だ。


 涙で霞む視界で睨みつけるように彼を見上げ、また嫌味を言う。


「傷痕を眺めるご趣味がおありでしたら、他のものもご覧になりますか? この袖をまくれば、すぐにでも見られますよ。お望みならどうぞ?」


「お願いだから、もうやめてくれ」


 懇願するようにそう言われたので、とりあえず黙った。あんまり反抗的な態度をとったら本当に不敬罪に問われるかもしれない。しばしの沈黙の時が流れる。


(あーあ)


 第一印象も良くなかったが、今、彼への好感度は地に落ちた。本当の本当に彼に恋をできる気がしない。


 凹凸があって引きつった皮膚なんて触って楽しいものでもないだろうに、サイードは何故かまた頬に触れてきた。


「すまなかった。君のことを知りたかったがために、酷いことをしてしまった」

「そうですか」


 彼の声にも顔にも罪悪感を覚えているのだろう様子があったが、彼が反省したからと言ってそう簡単に許せるものでもない。

 虐待の過去とその証の傷痕のことは、エリエノールにとっては侵されたくない領域だった。


 エリエノールの何をそんなに知りたかったのか分からないが、人のことを知るためにこんな手段をとるのだとしたら、サイードは不器用かあるいはセンスがないと言えるだろう。

 知りたいからと言って、人が嫌がっているのに無理に暴くのはよろしくないと思う。


 教室で見た限りは皆に慕われているようだからコミュニケーション能力がないわけではないはずなのだが、いったいどうしてこんなことをしたのだろう。


 そんなことを考えていると、サイードの手がエリエノールの目尻に溜まっていた涙を拭った。突然気遣うようなことをされても、困惑しかない。


「本当にすまない。君を泣かせたかったのではないのだ。ごめんな」

「……はい」


 そんな(なだ)めるような声で(ささや)かれても、彼を理解できずに不信感を強めるだけだった。頭の中に二重人格疑惑まで出てくる。


 サイードの温かな大きな手で、傷のある頬を優しく撫でられた。指で頬を(さす)られ、なんだか奇妙な気持ちになる。


 気持ち悪くて怖いはずなのに、心の片隅は何故か少し満たされた。ずっと認めて欲しかった何かを、許されたような感覚。わざわざ彼に近づくなんてしたくないはずなのに、(すが)りついて泣きたくなるような気持ちにもなった。


(なんで、こんなふうに思うんだろう?)


 声も出さずに、ただ足元に視線を向ける。なんとなく、彼の顔を見たくなかったから。


 視界に入るサイードの靴はとても大きく、エリエノールの靴が小さいのもあって余計にそう見えた。

 頬を撫でられているのを感じつつ、靴を見てぼんやりとする。しばらくすると、サイードが身動(みじろ)ぎするのが視界の端に見えた。


(な、に……?)


 サイードの手が動いているのは、視覚からだけでなく触覚からも分かった。ゆっくり頬から首へと、肌の上を滑っていく大きな手。慣れていないその感覚に、背筋がぞわりとした。手は、さらに(うなじ)へと伸びていく。


(なんか、変な触り方、な気がするんだけど)


 くすぐったさを我慢して、彼に触られるがままになる。謎の雰囲気に呑まれていて、ほとんど身動きができなかったのだ。


 気づけばサイードの右手はエリエノールの頭を支え、左手は腰を抱いていた。そこで手の動きが止まり、ようやく彼を見上げる。変に熱っぽい視線で貫かれているのに気づき、ますます困惑した。


(何がしたいの? それに、密着しすぎじゃない?)


 なんだか、すっごく変な空気が漂っている。漂っているというか、彼が変な雰囲気を醸し出している。


「……姫」


「はい」


「少し目を瞑っていてくれ」


「……? はい」


(何故目を?)


 ――と思いつつ、言われた通りに瞑った。暗闇の中、何かが近づく気配を感じる。


(なんか、あったかい)


 ひどく柔らかくあたたかいものが、頬に触れた。目を瞑っているせいで、何なのかは分からない。


 それが離れると彼はまた頬に手を添えたようで、そっと一撫でした後に何か小声で囁いてきた。


「何ですか」


「いや、何でもない。〈聖なる力よ、此の者の傷を癒やし、かつての美しさを取り戻させ給え〉」


 サイードが唱えると、頬に触れられているせいだけではないあたたかさが加わった。(まぶた)越しに、何かが光っているようなのが感じられる。



「目を開けていいぞ」

「はい」


 目を開けると、サイードは何故か満足げな顔をして頬を撫でた。


(何か良いことあったのかな?)


 この短い間で何があったのかはよく分からないが、サイードの機嫌は良さそうだった。

 エリエノールの手をそっと掴み、その手を頬へと持っていくサイード。彼に促されて自分の頬に触れてみて、ひどく驚いた。


「……!」

「治っているであろう?」


 サイードの言う通り、傷痕があったはずの頬に触れるとそこは凹凸のない滑らかな肌になっていた。何度も何度も触れてみて、その感触が夢でないことを実感した。


(信じられない……!)


 目を見開き、不思議なオレンジ色の瞳を見つめる。恐怖や緊張というのは驚きのせいで何処かに吹き飛んでいた。


 サイードが、ふっと笑みを零す。


(あ、今の笑顔は普通だ)


 胡散くさい作り笑いじゃない、気がする。


「傷痕がなければ、もう顔を隠す必要もないな」


 サイードはエリエノールの長い前髪を耳に掛け、顔が見えるようにさせた。今まではほとんど隠されていた左の碧色の瞳が、初めてしっかりとサイードを捉える。


(よく分かんないけど、傷痕治してくれたのは嬉しい)


「……ありがとう、ございます」

「このくらい容易(たやす)いことだ。君を泣かせてしまったことへの償いだと思ってくれれば良い。すまなかった」


 もう何度目か分からないがサイードはまた頬を撫で、そして柔らかく微笑みかけてきた。


(変なひと)


 追い詰めて凄んで傷痕を暴いてきたかと思えば、今度は気遣うような優しい対応をしてその傷痕を治したサイード。彼が何をしたいのか、何を思ってるのか、もっとよく分からなくなってしまった。


(――あれ?)


 サイードが突然、肩に頭をもたれてきた。抱きしめるようにそのまま体重をかけられ、かくんっとその場に座り込む。


(どうしたの……?)


「あの、殿下……?」

「眠いから寝る。始業時間五分前になったら起こしてくれ」

「はぁ……」


 サイードはエリエノールの肩に顔を(うず)めたまま、ものの数秒ですやすやと寝息をたてはじめた。

 

(何故こんなところで寝てしまうのかなぁ――あ、魔力消費か)


 考え始めてすぐに思い出したのは、古傷の治癒をする魔法は難しく魔力消費が多かったことだ。容易いなんて彼は言ったが、本当は難しい治癒魔法を使って疲れてしまったのかもしれない。


 サイードが寝返りをうつように少し頭を動かすと、視界に彼の穏やかな美しい寝顔が入った。


(大人しく寝ているときの顔は、可愛いのね)


 サイードの腕時計を見ると、始業時間まではあとだいたい三十分ある。体重をかけられていてまあまあ重いのだが耐えるしかないのだろう。

 彼の治癒魔法に比べれば、肩を貸すくらい何でもないことのはずだ。


 特にすることもなく、寝入ってしまったサイードの姿を眺める。肩や背中の線がたくましく、触れているところからは筋肉質なのが感じられた。

 距離を取ろうとしていたはずなのに、今は何も知らない者が見たら人目を盗んでいちゃいちゃしていると思われそうな体勢だ。


(何故こうもうまくいかないのかしら)


 この廊下に人が通ったりしませんようにと願いながら、エリエノールは時が過ぎるのを待った。サイードは、静かに気持ち良さそうに眠っていた。



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