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虫食い姫は隣国の王太子殿下から逃れたい。  作者: 幽八花あかね
隣国の王太子殿下から逃れたい。2章

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33. 筋肉調査 「おいで、エリエノール」「嫌です」



「エリエノール、ちょっとここに座れ」

「……はい」


 夏休みの真っ最中、ある日の朝食後。

 サイードに呼び止められたエリエノールは、何故か彼の部屋に連れてこられてソファに座らされた。


 朝だから低血圧なのかなんだか知らないが、怒っていそうなサイードから逃げたくてたまらない。


「これは、なんだ?」


 ソファの隣に座ってきたサイードは、一枚の紙をぴらりと見せてきた。ほとんど「薬草粥」という文字で埋められたそれを見て、エリエノールは首を傾げる。


「……逆に、何故に殿下がこんなものを?」


 その紙は、どうやらエリエノールが学生寮の食堂で一学期に注文したものの記録のようだった。サイードは紙をさらに前に突き出して、きょとんとしているエリエノールの顔に近づける。


「そんなに近づけなくても見えますよ」

「エリエノール、本気で言っているのか? まさか本当にこれしか食べていないと?」

「……はい?」


 サイードが何を言いたいのか分からず、さらに首を傾げた。


「だから、君はこんないい加減な食事を本当にしているのかと聞いている。この紙にある情報は事実か?」

「ええ、まあそうですね」

「……ちょっと確認させろ」

「は……? いや、まっ、待ってください殿下なんなんですか!? きゃっ」


 サイードは紙を机の上に置くと、突然エリエノールを抱え上げて己の膝上に乗せた。

 素早く腹回りを抱きしめた後に、服の上から二の腕を掴んで手の指の先まで流れるように触り、今度は太腿から足首まで手を滑らせる。


「殿下、本当になんですか!? あの、んっ、くすぐったいんですけど!」

「やはり、どこも筋肉が全然ついていないな。軽すぎるし、細すぎる」

「は、はい……?」

「出会った日よりはましになったが、まだまだ健康からは程遠いな。特に腹筋がない」

「はゃっ!」

 

 腹を撫でられたのに驚いて、思わず変な声が出た。夏用の服は生地が薄いせいで、彼の手の感触や温度がいつもより強めに伝わってくる。

 腹以外にも、「上腕二頭筋が」「大腿直筋が」とかとわけの分からない言葉を言いながら、めちゃくちゃ体を触ってきた。


「殿下、待ってください。分かりましたから。筋肉がないんですよね、はい、分かりましたから、ね。やめましょう? ちょっ、そこ、やだっ、触って確かめるのやめてくださいぃ!」


「殿下、そろそろおやめください。ただのセクハラですよ、それ」

「アベル様っ!!」


 いつの間にかやってきたアベルが注意したことでサイードの手が一瞬離れ、エリエノールはその隙に急いで彼の腕の中から脱出した。


 また捕まってはたまらないと、アベルの背後に隠れて盾にし、サイードの悪行を告げ口する。


「アベル様、殿下がセクハラしてきました……!」


「大丈夫ですか、エリエノール様。あの王太子殿下はそういうところがありますよね。変態ですから、あんまり近づいては駄目ですよ」


「おい待てアベル、お前に変態と言われるとは心外だ。エリエノール、騙されるな。この男は僕より何倍も変態だ――って、いや、そんなことはどうでもいい。聞いてくれアベル。エリエノールが弱々しすぎて心配なんだ」


 アベル越しに聞こえたその言葉に、エリエノールは目を丸くする。サイードの方がアベルより変態なような気がすると考えていたところに、まさかの発言だ。


「え、殿下って今わたくしのこと心配してくださっていたんですか……?」

「ああ、そうだ」


 てっきり筋肉調査にかこつけた、ただのセクハラかと思っていたのだが、いったいどういうことだろう。

 アベルの後ろからひょっこりと顔を出してサイードの様子を窺う。


「エリエノール、近い。アベルから離れろ」

「あっ、ごめんなさい。どうぞアベル様、殿下のおそばにいてさしあげてください」

「違う、そうじゃない」

「え……?」


 肩を震わせて笑っているアベルと、呆れ顔のサイードを交互に見やる。サイードがアベルの近くにいるエリエノールに嫉妬したのだと思ったのだが、違ったのだろうか。


「……おいで、エリエノール」

「嫌です。近づいたら駄目ってアベル様に言われました」

「何も変なことはしないから。ほら、こっち来て?」


 優しいふりをした猫撫で声で、サイードは囁く。

 こいつ、たぶん折れてくれない。


 あからさまに大きくため息をつきながら、エリエノールはサイードのそばに近づいた。軽々と持ち上げられて、彼の膝の上に、向き合う形で座らせられる。


「エリエノール」

「はい、殿下」

「昨日、また倒れたと聞いた。……大丈夫か?」


 本当に心配そうな声を出しながら、サイードはエリエノールの髪を撫でた。別に髪を撫でること自体が悪いことだとは言えないと思うが、なんとなく気まずい。

 優しい神妙な手付きに、サイードがエリエノールのことを特別に想っているのではないかと、勘違いしてしまいそうになる。


「全然、大丈夫ですよ」


 昨日エリエノールが倒れたというのは、魔力を解放する実験でのことだ。夏季休暇に入ってからは以前より高い頻度で実験が行われているのだが、うまくいかないとエリエノールはぶっ倒れている。ちなみに、昨日で倒れたのは三回目だ。


 魔王の封印魔法は心臓にかかっているのだが、解放するための魔法と衝突すると何かの反応が起こって、心臓に大きな負荷がかかって意識が飛んでしまうらしい。研究者たちが腕によりをかけた自信作も、ことごとく魔王の魔法の前には敗れており、まさに前途多難である。

 

「倒れたと報告を受けるたびに心配でたまらないが、特に昨日は吐血までしたと聞いている。それは事実か?」

「はい、そうですね」

「エリエノール」


 サイードがぎゅっと、エリエノールの細い体を抱きしめた。今は血の匂いはしていないが、夏休みに入ってからは血の匂いとは関係なしに、遠慮なく触ってくるようになっている気がする。また注意した方がいいだろうか。


「言わなくても分かっているだろうが、君はいろいろと危険に晒されることが多い身だ。こんな華奢な体では、すぐに壊れてしまいそうじゃないか」

「はあ……」


 今まで屋敷で散々ぼろぼろになっても生き残った経歴があるので、見かけに反して耐久性はそれなりにあると思うのだが、言っても信じてもらえなそうである。


「というわけで、君に食生活の改善と、鍛錬(筋トレ)をすることを命じる」

「はあ……?」

「つまり、これからはもっといっぱい食べろ。そして運動をしろ、ということだ」


(なるほどなるほど?)


 ようやく先程のセクハラもとい筋肉調査と話が繋がった。エリエノールはうんうんと頷く。

 サイードは貧弱なエリエノールの体を心配して、健康的な、生き残れるような体にしようとしてくれているのだ。


 良いことを思いついたエリエノールは、にやりと口角を上げた。


「交換条件はどうでしょうか?」

「は?」

「殿下のその提案にわたくしが従う代わりに、殿下もひとつ、わたくしのお願いを聞いてくださいませんか?」


 エリエノールは最近、〝上目遣い〟や〝甘える〟という技を覚えた……気がする。うまくいっているかはさっぱり分からないが、とにかく頑張ってかわいこぶってみたつもりだ。


 じぃっとサイードを見つめると、ほんのりと彼の頬が赤らんだ。


「お願い、とはなんだ?」

「問答無用で、わたくしの作った料理を一度食べてみて欲しいんです」

「料理……?」


 何故そんなことを、という表情を三秒ほど浮かべた後、サイードは頬を引きつらせた。


「……それ、は、きちんと食べ物だよな?」

「はい、食べ物です」


 サイードが恐れて言う〝それ〟がなんのことか、エリエノールはきっと正確に分かっていた。エリエノールにとっては、それは食べ物である。


「あー……一般的に、食べ物か?」

「一般的には、料理をして食べ物に、という形よりは調薬に使われます」


 それは、食べ物としてはあまり広まっていない。むしろ食べ物として扱うと気味悪がられる傾向にある。

 しかしみんなが下手物扱いするそれは、粉末なんかは魔法薬の調合にしばしば使われるものだ。

 お貴族様の買うのは加工済みの材料か出来合いの薬だから実感がないのかもしれないが、魔法薬の中にもそれが入っていることはある。


「……エリエノール。その……不味いものは、あまり人に食わせるものじゃないぞ? 嫌がらせになりかねない」

「失礼な。きちんとわたくしの自信作をお出ししますよ。わたくしが美味しいと思ったものを、他の方にも食べていただきたいんです」

「…………」

「殿下が食べてくださるなら、わたくしも全力で鍛錬(筋トレ)に励んで、ご飯も頑張っていっぱい食べますよ? 一度だけ、一食だけ試食してくだされば良いんです」


 あれを他人様に食べさせられる機会は、そうそうない。どうにかこの約束は取り付けたいものだと、エリエノールは粘る。


「アベルを道連れにして良いか?」

「はいっ! ぜひ!」


「げっ」というアベルの声が聞こえた気がしたのは、きっと幻聴だろう。


「ならば交渉成立だ。……君の料理はいつ食べれば良い?」

「明日っ! 明日のお昼にお願いします!」

「ああ、分かった。……楽しみにしている」


 まったく楽しみじゃなさそうなサイードだったが、それとは反対にエリエノールはるんるん気分だった。


(やっと……やっと! 人に虫料理を食べさせられるっ!)


「アベル、明日は頑張ろうな」

「殿下、まじで恨みますから」

 

 ふたりが険悪な声で交わした会話には、気づかないふりをした。





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