05. 悪役令嬢との出会い 「レティシア様が、お美しいです」「は?」
(魔導師見習いの、ローブだ)
この学園の高等部を卒業するときにはみんな魔導師試験を受ける。魔導師であることは、国から認められるほどの魔法の実力があることの証。
貴族の子女なら魔力量も多く魔法教育も受けられるので難なく魔導師になれるものだが、平民にとっては魔導師は憧れの存在であった。
病で魔法が使えないと言われていたエリエノールも、それに憧れていたのは同じ。
屋敷では、地下室に幽閉されていたとき以外は毎日のように本を読んでいた。いろいろな書物を読んだが、物語に出てくる伝説の大魔導師様は格好良い。
けれど現実では人と関わらないゆえに魔法を見ることもほとんどなかった。見るとすれば、ヘレナとネルがエリエノールを傷つけるときに用いるときくらい。体に火をつけてきたり、水責めにしてきたり。
傷つけられるばかりの魔法であったが、それでもやはり憧れだった。自分も魔法が使えたらどんなに良いかと思っていた。
中等学校や高等学校に通う生徒は、いわゆる魔導師見習いだ。学園では魔導師見習いのローブを着て、魔法の授業を受ける。
もちろん、まだエリエノールに魔法は使えない。魔力の封印が解けなければ、学園でどんなに魔法の知識を得たとしても魔導師にはなれない。
それでも、魔導師見習いになってローブを纏う事ができるということは嬉しいことだった。
シンプルな紺色のローブを手のひらでそっと撫でる。明日の入学式でこれを着ると思うと、エリエノールの気分は少し高揚した。
(不安もあるけど、頑張る)
しばらくローブを眺めていると、部屋のドアをノックする音が聞こえた。予想通りの声が向こうから聞こえる。
「エリエノールっ! お邪魔してもいいかな?」
「はい、どうぞ」
「お邪魔しまーす」
エリエノールの部屋に入ってきたのは、もちろんミクだ。きょろきょろと部屋を見回し、勝手にべたべたと家具を触っている。いったい何しに来たんだろう。
ミクはしばらくひとの部屋を物色した後、にわかに口を開いた。
「あの小説のことって、エリエノール以外には下手に言えないじゃん? 今のサイード様に、エリエノールと結ばれますよーなんて言ったって信じてもらえないだろうし」
「そうですね」
「言い忘れたことがあってね。サイード様とエリエノールの恋のことなんだけど」
「はい、それが何か?」
ミクが異世界で読んでいた小説に出てくる〝エリエノール〟は〝サイード様〟に恋をする。
そして今のところ小説の中の〝エリエノール〟の境遇や世界観はこの世界と同じで、ミクはこの世界が小説の中の世界だと考えている。
一昨日は、そう言っていた。
「エリエノールは悪役令嬢のこと心配してたけど、レティシアはサイード様から婚約破棄されるの。だから、大丈夫!」
「それは〝エリエノール〟のせいなのではなく?」
何処にも大丈夫要素を感じられなかった。
普通に考えれば、〝エリエノール〟が〝サイード様〟との恋を成就させてしまったせいで〝レティシア〟は婚約破棄されるのではなかろうか。それは浮気とかいうものではないか。
「細かいことは気にしないで、サイード様との恋路を突き進めばいいの。だってそれがハッピーエンドなんだから。他の人にはまだ理解されないかもだけど、わたしはちゃんと分かってる!」
そう言われても腑に落ちない。現状サイードとレティシアが婚約していることは変わらないし、エリエノールは彼に恋心を全く抱いていない。
自分のせいで王太子とその婚約者の仲を裂いてしまうなんて、そんな恐ろしい事態にはなって欲しくなかった。
ただ静かに平穏に生きたい。誰かと恋仲になろうだなんて、そんなことは望まない。高望みはしない。
「お話はそれだけですか?」
「ううん。まずは警告なんだけど、今日の夜レティシアに遭遇するはずだから気をつけてね。悪役令嬢だから」
別に初対面から何か問題が起きたりはしないだろうが、会うと知っていたほうが対応はしやすい。一応ミクに感謝した。
「ご忠告ありがとうございます。あとは何かありますか?」
「明後日の朝サイード様とのイベントが起これば、もう小説の世界確定だと思うんだよね。校舎もエリエノールの部屋も小説と同じだから。……わたしは、エリエノールを応援してるからね! 悪役令嬢なんかに負けるな!」
「……どうも」
別に勝負などするつもりは毛頭ないが、もうミクはこういう人なのだなと思って割り切ることにした。
小説の世界を、一途に信じている。
「じゃあ、談話室行こう? サイード様とかいると思うし」
「えっ」
(行きたくない)
が、ずるずるとミクに大談話室に引っ張っていかれた。気が進まなかったが、力の差で負けた。
(悔しい)
そうしてやってきた大談話室には当然ながら多くの人がいた。
(知らない人いっぱい……怖い……くらくらする……うぇっ)
吐き気を覚え、慣れぬ人の多さに耐えきれずエリエノールは数秒で退場した。元引きこもりには、突然のあの人混みは刺激が強すぎたのだ。
去る直前に女子生徒と話していたサイードと目が合ってしまったような気がするのは、自分の気のせいだということにした。
大談話室で人と接することに恐れをなしたので、自分の部屋にこもってしばらく刺繍をした。裁縫道具が送られてきたのは本当にありがたい。
暗くなってランプなしには手元が見え難くなった頃、お手洗いに行こうと思って部屋の外に出た。
そしてそこで、彼女こそが絶世の美少女だと思えるようなひとりの令嬢に出会った。
「……あっ」
「あら? 見ない顔ですわね。ここは高等部の寮のはずなのだけれど、おかしいわ。貴女は中等部の一年生ではなくって?」
「いえ。こんななりですが、一応高等部一年生になります」
純白の長い真っ直ぐな髪と、雪のような白く柔らかそうな肌、そして真っ赤な瞳が特徴的な美しい令嬢。
(すごく、綺麗なひと)
エリエノールやミクより背が高く、訝しげな吊り目でこちらを見下ろす様には少々威圧感を覚えたが、その威圧感は彼女が表情を和らげるとすぐに消えた。
「あら、ごめんなさい。あまりにも小さな女の子だったから、まさかわたくしと同い年だなんて思わなくて……勘違いしてしまいましたわ。名は何と言いますの?」
柔らかな微笑みをたたえ、美しい彼女はエリエノールに尋ねた。声まで天上の調べのように美しい。
「エリエノール・ランシアンと申します。サージュスルス王国から参りました」
「まあ! では、貴女が神の血をひくお姫様だったのですね。よくよく見れば、そちらのお部屋から出てきましたもの。殿下から先程お話は伺いましたわ。わたくしはレティシア・ルクヴルールと申します。よろしくお願いいたしますわ、エリエノールさん」
「はい、よろしくお願いいたします。レティシア様」
レティシアは花が咲いたような笑顔でエリエノールに握手を求めた。握手で触れた滑らかな柔らかい肌に、なんだかどぎまぎしてしまう。
(……本当に、彼女が〝悪役令嬢〟?)
ミク曰く、あの小説の中で〝エリエノール〟を虐めて〝サイード様〟との恋路を邪魔するのが〝レティシア〟であり、このように主人公を虐めて邪魔をするお嬢様のことを悪役令嬢というらしい。
中等部の生徒と間違えられて「あまりにも小さな女の子」なんて言われたが、別にそれは馬鹿にしているのではないと思う。エリエノールが小柄だから、本当にそう思って言ったのだろう。
出会った日のサイードだって「せいぜい十歳くらいにしか見えない」とか言って笑っていた。そして笑いながら剣を鞘から抜いたのだ。いま思い出してもぞっとする。
サイードは馬鹿にしてきていたのかもしれないが、少なくともレティシアの言葉からはエリエノールは悪意を感じられなかった。
(本当に悪役令嬢なら、笑顔の裏は実は腹黒かったりするかな? どうだろ?)
レティシアのきらびやかな笑みに、疑いの目を向けてみた。元引きこもりのエリエノールと違い、彼女は令嬢らしく社交の場にも慣れているはずだ。本心を隠す笑みくらい、得意であってもおかしくない。
(……神々しい、眩しい、美しい)
しかし彼女の笑みには一片の曇りもなく、だんだん疑うことが恥ずかしくなってきた。
他人の言葉に惑わされて人の本質を見誤ってはいけない。少なくとも第一印象ではレティシアは悪い人ではなかった。何処ぞのサイードとやらとは違って。
「わたくし、これから友人と待ち合わせがありますのでこれで失礼いたしますわ。エリエノールさんとはお部屋がお隣というご縁もありますし、これから仲良くできると嬉しいです」
「はい、レティシア様。ぜひ仲良くさせてください。では、いってらっしゃいませ」
「ええ」
そう言って優雅に礼をして廊下や階段を姿勢良く歩く彼女の姿からは育ちの良さが感じられ、その立ち居振る舞いにも惚れ惚れとした。レティシアは完璧な淑女だった。
(すごいな……あっ、そういえば……)
彼女に言われてから気づいたが、レティシアの部屋はエリエノールの隣の部屋だったらしい。反対の隣はミクの部屋だから、レティシア、エリエノール、ミクの順に部屋が並んでいることになる。
(あんな美人さんがお隣さんなんて、恐れ多い)
「なーにしてるのっ? エリエノール」
「ミクさん」
ぼーっと突っ立っていたら、背後からミクが抱きついてきた。しばらくぎゅっと抱きしめられた後、彼女が体から離れると目を合わせて言う。
「レティシア様に、お会いしました」
「えっ、大丈夫!? 意地悪言われてない?」
心配そうなその声に、首を横に振った。
「全然そんなこと言われていません。そんなことより……」
「うん?」
「レティシア様が、お美しいです」
「は?」
ミクは口を開けてぽかんとしたが、そんなことはどうでもいい。大事なのはレティシアのことだ。
(あんなに美しい女性、初めて見た)
そのあまりの美しさに、雷に打たれたような衝撃を受けた。義姉であるヘレナとネルも見た目は美しかったが、レティシアはその比ではない。
笑った顔はもっと麗しく、そして可愛らしく、その笑顔につい見惚れてしまった。
「王太子殿下より、レティシア様に惚れてしまうかもしれませんね」
「……冗談だよね?」
ミクが顔面蒼白で問う。エリエノールは毅然として答えた。
「半分くらいは本気です。お手洗い行ってきますね」
「ちょっと!!」
ミクが慌てて追いかけてきてレティシアは悪いやつだ云々言ったが、エリエノールはそれを本気にはしなかった。先程の言葉は冗談混じりではあるが、レティシアについて好印象なのは事実だ。
サイードとレティシアは婚約している仲なのだから、そのどちらにも本気で恋するつもりはない。
(お友だちとして、仲良くなりたいな)
もし万が一エリエノールがサイードと恋に落ちてミクの言うようにレティシアが婚約破棄されるような事態になったら、レティシアはきっと苦しむだろう。
(レティシア様は笑顔が似合うから、笑っていて欲しい)
だから、エリエノールはいま決意した。
(間違っても恋なんてしないように、殿下にはできるだけ近づかない)
王太子であるサイードには、美しいレティシアがお似合いだ。エリエノールは傷だらけの痩せぎすの醜い女だから、彼の隣になんて立てない。
やんごとなき身分のサイードとの関わりなんてできるだけ避けて、慎ましく平穏に生きていこう。そう、思った。